100.明かされし内心と、その血脈
被害者のようにも思えた人物からの、きっぱりとした物言い。
見据えられたアロアは、しどろもどろに言い返す。
「あ、悪党じゃない? 何言ってんだよ…… だって、ほら、こいつこうやって、ここでのびてんじゃねぇか…… あんただってさっき、上で殺されかかって……」
ファデルは小さく、首を振った。
「それは違う。その男が今倒れているのは思惑を止められただけ。先ほど暴れていたのは聖職者の力を得て、タガがはずれただけだ。そもそもが私は人に害を成す魔族であり、ドゥモの宿敵である『邪悪』。レナルドの立場からすれば、始末して当然の存在なのだ」
困惑に、アロアは眉を潜める。
先ほどレナルドの悪行を知らしめていたその声が、今度は明らかに庇っているように聞こえた。
「……たしかに、レナルドは私から家財をせしめた。損失とも言えぬ、勝手に生まれるものだとしても、それは決して気分のいいものではなかった。だが、見ろ」
ファデルの視線と指が、教会を指す。
「それを商売に用い、得た金をそいつはどう使ったと思う。私が知る過去のこの建物は、このように立派なものではなかった。ましてや今のように、頻繁に人が出入りするような場所でもなかった。この建物だけではない、今の村に、いったいいくつの診療所があり、生活を支える施設がある」
その問いの答えを、アロアは知っていた。
何度と聞き、感謝する人を見てきた。
「このような辺境に、それだけ豊かな整備など行き届くはずがない。全てレナルドからの寄付のたまものだ」
更なる困惑に、アロアはファデルに背を向け、レナルドの顔を振り返る。
その人物の正体を、本人に問うように。
「イサ、と言ったかそこの修士よ」
呼ばれ、アロアを見ていたイサが顔を上げる。
「私の先ほどの物言い…… まさか勘違いはしておらぬだろうな?」
「……どういったことでしょう?」
「レナルドが、まるで法王にでもなりたかったかのようにだ」
イサは静かに首を振った。
「大丈夫です…… 目的は、『ドゥモの創設』とおっしゃいましたね」
「ああ、レナルドはそのために法王となる必要があった。全ては今のドゥモを潰し…… 新たなドゥモ教を創りあげるためにだ」
「なぜ、レナルドはそんなことを?」
ファデルは一度アロアの姿を見、視線をレナルドへと落とした。
隣で見上げるシャノンの目には、見たことのない、父の憐憫の眼差しがあった。
「……不正の横行だ。ドゥモは今や国家を超える権力を持つにまで大きくなり、結果として歪みきった。十六年前、計画と一緒に聞かされたドゥモの現状は、魔族である私をして忘れられぬまでに愚劣なものだ。信者は食い物にされ、司祭や司教でさえもが私欲に腐り、神は保身に使われている……」
ファデルの苦々しげな語り口に、ダテやイサは抑えたものを感じた。
それは娘達の前だからこそ語れない凄惨な人の悪意、その具体を伏したものだと。
「実家を捨て、ドゥモに尽くしたレナルドには堪えきれるものではなかったのだろう…… 計画の発端は、レナルドの最終的な目的は、全てのドゥモの神を愛する子らへの嘘偽りの無い救いの地をもたらしたい、それに尽き、それ以外の思惑は無い」
「そう…… ですか……」
「この男の計画にも、やってきたことにも、私欲などは無かった…… レナルドは、そういう人間だ」
イサは膝を折ると、レナルドの手を取り感慨深げに自らの両手に包んだ。
その様にくっと拳を握り、アロアが背中を向けたまま首を振り向く。
「そ、それは…… いいやつのフリして、あんたを騙してるんじゃないのか?」
「私を騙してなんになる。目の前の人間が善人であるかどうかなど、魔族である私にはなんの関係も無い」
「か、関係無いとか言いながら、今庇ってるじゃないか…… なんで、そんなにこんなやつの肩を持つんだよ……」
語気を荒げようと荒げきれない。反論しようとしきれない。今のアロアの口振りには、レナルドという人間をどう見ていいのかわからないという、そんな迷いが垣間見えていた。
しかし今の彼女の疑問は苦し紛れに揚げ足をとったものであれど、様子を見守るままに聞いていたダテやシャノンにとっても奇妙に思う点であることは事実だった。
特別、レナルドと面識の無いシャノンにおいては、自らの知らないところで父に心労を与えていた加害者の印象が強い。なのになぜ、この場で信頼を回復するような物言いをするのか、哀れむような目を見せたのか、不思議に思わずにはいられなかった。
皆の疑問が誰知らず内にファデルに視線を集め、沈黙を作った。
やがて、ファデルは観念の様子ではなく、心を決めたという表情で口を開いた。
「私は…… レナルドに救われたことがあるのだ……」
ファデルは一度強く目を閉じ、質問を投げた少女をまっすぐに見つめた。
「十五年前、私と妻の間に、第二子が生まれた」
ファデルを見上げていたシャノンが目を見開く。
「私の妻は人間で…… 二人目の子はシャノンとは違い、妻と同じ、人間として生まれてしまった。私の領域を吹く風は人の子供には毒で、私は生まれたばかりで日に日に弱っていく子を見ながら、途方にくれているよりなかった……」
イサがレナルドの手を置き、話に触発されるように立ち上がる。
ダテがファデルから視線を外し、思考を巡らせる様子を見せた。
「私に引き替え、妻の決断は早かった。生まれて一週間と経たない内に領域を抜け、人の世界へと子供を預けた。その時の妻の様子は――」
ファデルの目が、イサへと、投げられた。
「おそらくは貴女が、知っているのだろう?」
僅かに震える左手を口元へとあてがい、イサの顔が彼女へと向けられる――
「今日まで育ててくれたことに礼を言う…… 私が、その子の父親だ……」
皆の視線が、驚きに漏れる声が、一つの点へと集まる。
「……へ? お、おぃ……」
集まった中心にいた彼女は、くりくりと首を振り、皆の顔を見回した。
「な…… な、ウソ…… だろ……?」
問われたファデルは、俯き、目を伏せた。
「嘘では…… ありませんよ、アロア」
「イサ……」
彼の気持ちを察し、イサは語りを引き継ぐ。
「十五年前、あなたを教会に預けにきたのは一人の女性でした。その方は自らの住む場所には疫病が流行り、小さな子を手元には置けないのだとおっしゃられていました。時期もさることながらお話も、女性が内容に含みを持たせたと考えれば合います。応対したのは私と神父、間違いありません」
「そんな…… だって、わたしの親は死んだって……」
「……私はそう、思っていました」
「……え?」
「あなたを預かる時、私は務めのために細かな取り決めには同席は出来ず、全ては神父がその女性―― あなたのお母様との相談の上で決定いたしました。そこで今のようなお話があったのかどうかは、私にはわかりません。最初に疫病の地域から来たと聞いていただけの私は、もう戻れぬ人になられたのだと、そう思っていたのです」
アロアはまぶたをしばたかせ、言葉を探すように目線を泳がせる。
「で、でも…… そんな話はこれまで一回も……」
「神父より最初から亡くなっている者として教えるように言われ、私自身もその方が良いと考え、伏せておくことに決めたのです」
「なんで……」
「私は…… 少なくとも、大人になるまでは黙っておこうと思っていました。いつか迎えに来る…… そう思いながら待ち、心に負担を持ち続けることが、小さな子供にとって良いことだとは思えなかったからです」
「神父は……?」
イサは困った顔を見せ、ファデルに微笑を送った。
「……その辺りのことなら、妻から聞いた。レナルドは妻の素性を見透かした上で、誰の子であれ、無垢な赤子を見捨てることは神に仕える者のすることではないと、嫌な顔一つせずに引き受けてくれたそうだ。ただ、たった一つ、レナルドは妻に、条件を呑むことを約束させた……」
自分を向いたアロアの目線を避けるようにして彼は続ける。
「人は人の世界にいる者。魔族は魔族の世界にいる者。人の体を持ち、人の世界で過ごした子供を、別の世界に連れ帰ることが正しいかどうかは、何十年かかってもかまわないので考えるようにと。その答えがはっきりと出るまでは、親として存在しないものすると」
かぶりを振り、ファデルは空を、夜の晴天の空を見上げた。
「結果は今の通りだ…… 妻は魔族の世界へと嫁いだ身、想うところは多かったのだろう。想っているうちに、お前は『道士』に選ばれてしまい、引き取る機会も失った。事が物心つく前であったことをいいことに、シャノンにも黙っていた。今この時になっても、どうすればよかったのかわからん」
父の想いとアロアの想い、初めて語られた事実に、どう顔を作っていいのかわからない、そんな様子で見上げてくるシャノンの頭を、ファデルが一度撫でた。
アロアが膝を折り、その場に座り込む。
「なんだそれ、何がどうなってんだよ…… いっぱいあってわけがわかんねぇよ…… 神父って結局、どういうやつなんだよ…… 私を騙したかったのか? 命を助けたのか? 何がなんだか……」
この一日、さんざんに振り回された頭が悲鳴を上げていた。
誰が悪く、誰が良く、何が嬉しくて哀しくて、今何をやっているのかもわからなくなってきていた。
その様子に一同が言葉を失い、幾度目かの沈黙が訪れた最中――
「……勝手なことを言わないでくれ、ファデル」
一斉に、皆の注目が声の主へと集まった――




