99.向けられし赤き瞳
「レナルドは当時まだ幼児にも満たないシャノンの持つ、潜在的な力を見抜いていた。望むべくは『ロード』の力。だが例えそれを得られないとしても、補うに充分な力が得られるだろうとこの男は言った」
教会を風が通り抜け、からりと物音を立てる。
庭にはただ、ファデルの声だけが流れていた。
「計画において私に課せられたことは些細なことを除けばほぼ一つ…… 娘を来たるべき日に向け、贄となるに相応しい『邪悪』に育てあげること、それに尽きた」
皆が、絶句していた。
レナルドの抱いた計画の大きさにではなく、生まれたばかりの他人の娘を自らの謀に加え、踏み台に使おうと語ったという人間の業に。
それはいずこの世界においてもおおよそ理解のされない、心無い行為だった。
「私とて、流石に憤慨せずにいられたわけではない。だが、私は結局…… レナルドの説得に屈した」
「なぜ…… です?」
「私がお前を育て上げることは誰に言われるまでもなく、当然のこと。そして、レナルドの計画を拒めたとしても、お前が世界に選ばれるのならば結局は同じことだからだ」
ファデルは一度示すようにダテを指差し、シャノンへと語る。
「聖杯は血液のみを必要とする道具だ。あの通り、命を奪わずとも力は得られる。その時のレナルドも怪我はさせても殺しはしないと言った。無理に断れば、利用価値が無いとしてその場で殺されるかもしれない。次の合月で『道士』がまたレナルドになるのであれば、協力を拒んだ我々に容赦は得られないかもしれない。その場でのお前の死も、未来の死の確定も…… 私には堪えられそうになかった……」
父の苦渋の決断と、その想いにシャノンが顔を伏せた。
「計画の内容については聖職者よ、貴様が知っての通りだ。今更語るべくもないだろう」
「ああ、大体のことはわかっている、かまわない。ただ、一つだけ」
言ってダテは、神父を見下ろしたまま動かない青いベールの頭に目をやった。
「計画に、アロアは組み込まれていたのか?」
「当時まだ生まれてもおらん。私とレナルドにしても、たった二十五年の間であればレナルドが再び選ばれる可能性を考えていた。途中で巻き込まれたと言うべきだな」
「そうか」
ダテの頭の中に、おおよその時系列が並んだ。
二十五年前の合月があり、シャノンが生まれ、レナルドが聖杯を知り、走り出した計画。目的の規模からいって目に見えない範囲、調べようのない範囲での下準備は整えられていたと思われるが、計画の要は今日である『合月』の日と、その直近に集まっている。
今更に聞くことは無いと思えた。
「ん~、でも国を興すって…… そんな計画でほんとに出来るっスか? 大将。だって国っスよ? この計画って、ぶっちゃけレナルド神父がすっごい強くなるってだけじゃないスか?」
「……普通の国を考えなければ出来るな」
「と、言いますと?」
「独裁国家だ。国も人も、個にして最強となった神父には抗えないし、立ち上げていざ善政を敷いてしまえば逆らう個人もいなくなる。仮に『ロード』の力まで手に入ったとすれば、そこら辺の魔物をも手勢に出来るんだ。神父ならいつぞやのザコ―― 魔王なんざとは比べものにならないくらいの強固な集まりを作ってしまえるだろうよ」
「うぇぇ……」
その言葉を肯定するように、ファデルが頷きを送った。
人の世からすれば奇異に聞こえる話であれど、その集まりの体制は国という呼び方を除けば、魔族にとってはごく一般的なものである。現在世界を賑わしている魔王という存在が、まさにその体制をとっていた。
「ですが…… わかりません」
イサが言った。
「国を興す。たしかに大きなお話だとは思うのですが、それは目的とは呼べませんでしょう?」
「ふむ…… それ自体を目的、とは思えぬか」
「ええ、レナルドはビジネスの手管にも優れた面があります。そんな彼が、なんら目的もなくそのように大きな箱を拵えるとは思えないのです」
「その通りだ…… レナルドは手段と目的をはき違えるような浅い男ではない。この男の目的は――」
ファデルはイサから目を外し、崩れた教会をあごでしゃくった。
「ドゥモ教の創設だ」
皆が一様に呼吸を止めた。動かずにいたアロアでさえも、ファデルを振り返った。
「……ダンナ、それはいったい…… どういうことだ?」
「そのままの意味だ。レナルドはここアーデリッドに国を興し、ドゥモ教を発足させるつもりでいた」
要領を得ない話に、ダテが眉を潜める。
「え? え? この教会とか都の本部の宗教って、『ドゥモ』っスよね? 私何か間違って憶えてましたか?」
「いや…… 俺の翻訳には固有名詞のミスは無いはずだが……」
ファデルを向いていたダテと、ちらと振り返ったシャノンの目が合う。シャノンは首を振り、「私にもわからない」という仕草を見せた。
イサが小首を傾げ、目線を下に思案まじりに尋ねる。
「……ここ、アーデリッドはドゥモの発祥の地です。もしやレナルドは、ドゥモの本拠をこの地に戻そうというのですか?」
「そうだ。興す国は聖地を内包する宗教国家として樹立され、現在都にある本部はドゥモを語る邪教として解体。そしてこの男は…… 新たなドゥモの法王として君臨する。それがレナルドの狙いだ」
「レナルドが…… 法王に……」
法王とは、単に国を治める国王とはまるで違う重みを持っていた。
いずこともなく続くドゥモの歴史を一手に引き継ぐ者であり、神の代弁者として、信者全てを指導していく立場にもある。
それはまさに国家を超えた枠組み。ドゥモの全てを動かす地位と言えた。
「……とんでもねぇな」
ずっと押し黙り、レナルドを見下ろしていたアロアが、呟いた。
「なんだよそれ…… 意味わかんねぇ。なんなんだよ、こいつ……」
「アロア……」
イサは、顔を伏せたままのアロアを見る。背の高い彼女には、表情を窺うことはできなかった。
「いっつも怖いツラしてるくせに優しいフリして、ほんとにフリだったのかよ…… 法王ってなんだよ、ひでぇことしまくって…… そんなになりたいもんなのかよ……」
アロアの声には、怒気が見られなかった。
暗闇の中に立ち尽くす、傷つき、廃屋になってしまったような教会。今のルーレントに見合う、何かが抜けてしまったような声だった。
「わたしを騙して、十何年もシャノンを狙って失敗して…… そんでダテに殴られて…… アホなんじゃないか? こいつ……」
ダテもイサも、彼女の独白を沈痛な面持ちで見守っていた。シャノンも声をかけようとして、出来なかった。誰にもどう触れていいかわからない、余人を許さない想いがそこにあった。
「もっともだ。阿呆だな、こいつは……」
ファデルが同調するように答え、アロアの首が一度そちらへと振り向き、また、戻った。
「父ちゃんも父ちゃんだろ。なんなんだよ……」
「何……?」
「……こいつの金儲けのためにカツアゲされてさ、シャノンにひどいことするって言われて…… そんでなんでこいつをちょっと気に入ってる風なんだよ」
「意味のわからん……」
アロアはファデルに背を向けたまま、左手で教会の屋根を指差した。
「だってほんとに嫌ってりゃ、落っこちて助けるわけないだろっ」
ダテの大魔法により上空から落ちたレナルド。誰も何も言わずとも、助けたのはファデルだった。
「……こっちが意味わかんねぇよ。わかんねぇことだらけだよ…… いったい誰が悪者なんだよ。ひょっとして何も知らなかったわたしが一番悪いのか? なんなんだよ……」
うずくまり、肩を落としたアロアへとシャノンが歩み寄ろうとする。
その行く手に腕を伸ばし、ファデルが押しとどめた。
「一つだけ、言わせてもらおう、アロア」
名を呼ばれ、アロアがファデルを振り返った。
「私は決して、レナルドを悪党だとは思ってはいない」
彼はまっすぐに、赤い双眸でアロアの瞳を捉えていた。




