96.諦めし、その時
庭先に倒れたダテが緩慢に身を起こそうとする様子に、二人の少女が縄を解かれたように走り出す。
「ダテ!」「ダテ様!」
「お前ら……」
走り寄る二人を見やり、ダテは彼女達が無事にことを終えたのだと理解した。
「ダテ様! 何が……」
「ちょ! お前! すげぇ怪我してんじゃねぇか!」
アロアが彼の真っ赤に染まった額や首筋、拳に目を剥き、左腕をひっぱって回復魔法を使い出す。ダテはそれを振りほどき、血みどろの手で押しとどめた。
「逃げろ、早く」
ダテは二人を背中に破れた大扉へと向き合い、険しい目を見せる。
そしてらしくない剣幕に怯む二人へと、端的に告げる。
「聖杯で俺の力が奪われた。こいつは俺の責任だ。解決するまでどこか遠くに避難していろ」
シャノンが状況の理解に至り、息を呑んだ。
「ちょ、ちょっと待てダテ! 避難ってお前もうボロボロじゃねぇ――」
鈍い破砕音が起こり、玄関にぶら下がっていた大扉の残りが引きちぎられ、礼拝堂の中の暗闇へと吸い込まれていった。
がしゃりと音を立て、白銀の甲冑が左手を玄関の枠につき、よろめきながら姿を現わす。
「へっ……?」
その人物が誰であるかは、アロアにはすぐにわかった。
例え皮膚は白く染まろうとも、玄関をくぐる背の高さと、右半身の生身は見間違えようが無い。
「神父…… あのカッコ…… 何やって……」
愕然となるアロアの様子に、ダテは一瞬と苦い表情を見せる。
「シャノン! アロアを連れてここから飛び立て! ダメージは与えてある! 追いつかれることは無いはずだ!」
シャノンがびくりと身を震わせ、ダテを見つめた。
そしてレナルドへと目を送り、彼女は――
「……できません」
ダテの右を過ぎ、前へと踏み出した。
「おい、シャノン……!」
それに呼応するように、アロアがダテの左を過ぎる。
「そうだよな、できん」
ダテを背に、二人の少女はレナルドへと立ち塞がった。
「お、お前ら……」
「なめんな、ダテ。身内の不始末ってのは、誰かになんとかしてもらうもんじゃねぇよ」
「ダテ様を捨てて逃げろなどと…… 残酷なことはおっしゃらないでください」
彼を挟むように向けられた彼女達の横顔は頼もしく、ダテは彼女達こそがこの世界の主人公であるのだと、今更に思わせられた。
しかし―― その行動は、ダテが見るに最悪なものにしか成り得ない。
足を引きずり、玄関の段差をレナルドが降りる。
「アロア、魔力は?」
「心配すんな! もう行ける!」
二人の体を、聖なる魔力と暗黒の魔力が覆う。
世界が供給する力。一度ピークを過ぎ、疲労に無理を重ねている様子が見られるとはいえ、二人が放つ力が凄まじいものであることは間違いなかった。
「やめ――」
やめろとダテが声を発するよりも早く、事態は動き出していた。
左からアロアが、右からシャノンが、戦いの消耗に背を曲げたレナルドへと挑みかかろうとする。
迫る二人へと、甲冑の頭部が動く。
――レナルドの兜から覗く、右顔面が愉悦に口元を曲げた。
一度戦ったからこそわかる。自らだからこそわかる。
世界に縛られない、全力の「自分」の力ならば、
今の二人を、一瞬にして潰すことが可能だと――
レナルドの全身に虹色の魔力が灯り、ダテの脳裏に最悪の予想が走る。
「……!?」
瞬間―― 事態は急転を見せた。
「ふぇっ!?」
「えっ!?」
アロアとシャノンが目標を失い、庭を滑りながら空を見上げる。
ダテも、空を見上げた。
三者が接触する間際、巨大な金色がレナルドをかっさらい、そのまま空へと連れて行った。
人の何十倍の大きさはあろうその金色は、教会の上空にてレナルドと激しい争いを始める。
――その姿は『金色の狼』。
『やらせん! やらせんぞレナルドオォオオ!』
体躯に見合わぬ俊敏な動作で荒れ狂い。爪を穿ち、稲光を放ち、獣がレナルドと交錯する。宙に浮かぶ二者の魔力の明滅が目を射すように教会を照らした。
「お父様!」
「と、父ちゃん!? あれが!?」
それはロードとなった一族の最終形態、至高の生物の姿だった。
当のファデルでさえも、なぜ変貌出来たのかはわからない。自分には出来ぬだろうと、試したことすらもない。ただ彼は必死だった。
目の前の家族を救う、それだけのために。
「ダンナ…… やるじゃねぇか……」
だが、それが一時の奇跡、ただの奇襲にしかならないことは確かだった。
どれだけ持つかはわからない、その時間は短いだろう。
ダテはこの機を逃すまいと、打開への思考に全力を尽くす。
――まず、力押しでは敵わない。
今のレナルドは、元の力にダテの力を上乗せしているのだ。真正面からやって敵うべくもない。
ましてや今は、世界がダテの全力を拒否している。瞬間的に誤魔化すことは出来ても、持続出来なければ防戦以上のことは難しい。
――搦め手はどうか。
魔に墜ちた者はまともな思考を失う。比較的簡単な罠であれ、はめることは難しくない。状態異常、捕縛結界―― どのような魔法や呪術にも、簡単にかかることだろう。
だが、そんなものは「ダテの全力」の前には気合い一つでかき消されてしまう。
そうであれば、やはり、結末はどうであれ――
「っ…… どうしろっていうんだ……!」
かぶりを振って考えを打ち消し、ダテは空を見上げる。宙を暴れ回るファデルを、レナルドが押し始めていた。ダテという他人の魔力に墜ちてしまったレナルドは、その力の使い方をまだ理解できないのか不器用に空を飛び、魔力を打ち出す以外のまともな攻撃を行わない。
だが、その身体強化のみにしてすでに次元の違う怪物。今のファデルにしても、いつ判断を誤り殺されようとおかしくはない。
「お、おいダテ!」
「……! お、おう」
小走りにアロアが近寄り、猛り狂う空へと指を差す。
「ありゃなんだ! 神父はなんであんな格好になってるんだ!」
緊迫した空気の中、まるで歳を考えろよでも言いたげな口調に、ダテは思わずと苦笑を漏らす。
「……俺から手に入れた魔力がでかすぎたんだ。体が変わっちまうくらいにな」
「も、もとには戻せないのか!? どうやったら戻る!?」
「戻す? そ、そりゃあ――」
「倒してしまう以外にない」。
そう言おうとして、ダテは本当にそれが正しいのかを考え直した。
ダテが魔に墜ちた者に出会ったことはこれが初めてではなかった。大なり小なり、倒してきた経験がある。
彼は経験上「倒してしまえば」、魔に墜ち、変貌した相手が自然と人の姿と心を取り戻すことを知っていた。だが、それは所詮は経験であり、彼にとって楽で確実であるがゆえに行ってきたやり方に過ぎない。
「倒して」どうして「戻る」のか、その理由がわからないわけではない。ただ、わざわざと急を要するような場面でやり方を変える、そんなハイリスクは避けるべきだと思われていた。過去であれ、今であろうとも。
しかし現状、これまでのやり方は通用しない。
ならば今の場面に、玄人の経験から来る勘などは必要無い。
必要なのは理論。「戻す」ことに特化した無駄の無いプロセス。
経験から来る思考を捨て、結果を一点に絞るのであればその手段は何か――
「ダテ……?」
言葉の途中、何も言わなくなったダテを、アロアが小首を傾げて覗き込んだ。
――ダテは熟考する。
魔に墜ちた者は支配的に魔力に操られており、気を失うということがない。
「倒す」ためにはひたすらに追い詰め、魔力による身体強化すらも不可能なまでに追い込む、それ以外に無い。
「倒れる」理由は魔力切れ、ゆえに「戻る」。
その結果を生じる、理由だけを引き起こすには――
「奪取…… 消沈……」
「ショーチン……?」
――取り込んだ魔力を奪うか、霧散、消沈させてしまえばいい。
「お父様!」
シャノンの叫び声がし、ダテとアロアが空を向く。
金の体毛から紫の血を滴らせ、ファデルの動きが精彩を欠き始めている。戦いはすでに一方的なものへとなりつつあった。
「ダテ! ショーチンだかなんだかわからんが、やり方あるなら手伝うからなんとかしてくれ! このままじゃシャノンの父ちゃんが……!」
「っ…… しかし……!」
魔力を奪う魔法、魔力を消沈させる魔法。手札としてはどちらも持っている。
前者はレナルドの力の強大さと、搾取にかかる時間から選択肢に無いとしても、後者ならば効果は充分に期待できると思えた。
その魔法は奇しくも例の魔力理論。二人の少女達の合月対策に用いた、二種の魔力の相殺による返還現象を基盤に作られた彼の持つ最大級の特殊攻撃魔法。
だが、そちらにせよ今のダテには出来ない。
発動には莫大な量の相反する魔力を生み出す必要がある。それもダテの力を手にし、魔に墜ちたレナルドに通用するほどに。
それは到底、世界の目を誤魔化せるものではなかった。
「万事…… 休すか……!」
ダテの思考が究極の切り札へと傾く。
幸いに、憎らしいことに、こちらの手段による結末を世界は禁じてはいなかった。
――すまない、アロア……
心の中で呟き、ダテは両足を肩幅に、空に右手を掲げた。
あとは『叫ぶ』だけ、それが決着の呼び声となる。
おそらくは、レナルドの死をもって――
唐突に構えたヒーローのようなポーズを、アロアがぽかんと見つめる。
ダテはそんなアロアを一度だけ見、空を見守るシャノンの背中を見た。
未だ消えぬ世界の聖なる力と、暗黒の力を灯す少女達。
崩れた教会の屋根から、散々に千切れたドゥモの旗が風に乗って流れた――
一時の逡巡を打ち消し、ダテは大きく息を吸い込む。
横長の旗、左に薄い青地、右は黒地――
「……ん……?」
まさに土壇場、最後の間際。
ダテの脳裏に彼自身が見失っていた、成功のスタイルが煌めいた。




