20.霊鳥の叫び
彼女の猛攻は凄まじかった。
荒れ狂う風はレラオンの闇を切り裂き、闇に潜む彼の居場所を即座に掴み、彼女自身の体を縦横無尽に振り動かした。
「これは…… なんだ……!? ガラの書には無い……!」
思わぬ苦戦に戦闘本能を再点火されるレラオン。
ともすれば暴風に身を捕られ、瞬間の判断で死地へと追いやられそうな状況に、彼は戦いに疲弊した体を奮い立たせ抵抗する。
この局面にてユアナが持ち出した一手。それはガラの書に文字として記されない、書に見出された属性を高めることでのみ『開く』、最奥の真魔法だった。三週間、数え切れない多くの戦闘を踏み、試練を乗り越えた彼女はその真魔法に目覚めていた。
その効果は『能力強化』。一時的に使用者の能力を高めるもので、上昇の幅は他の強化魔法を遙かに凌ぎ、倍を超える。
「『ウインドザッパー』!」
小さな真空の刃が一度に数百と放たれ、直線上にレラオンへと飛びかかる。
「くっ……! 『影刃』!」
かわしきれないレラオンは、突出する刃の踊る穴を空間に配し、それを盾に逃れるも――
「ぐっ……!?」
風と闇が弾き合う剣戟から漏れた数発に、身を掠められる。
魔力がもたらす戦いの力には、矮小な人間の体格の差などにはさしたる意味は無い。遠距離、中近距離、接戦による格闘においてでさえ、自らに強化を施したユアナはレラオンを圧倒した。
しかし――
「『ウインド――』 っ……!」
ユアナの接近に、後方に下がったレラオンを追撃しようとするその手が、わずかな間を作った。
取り繕うようにすぐ様に風の魔法を放つも、たやすくかわしたレラオンはそのわずかな間、彼女が見せた苦悶の表情を見逃さなかった。
「……なるほど、そういう真魔法か」
「……!」
単独にてレラオンを圧倒できるまでの能力強化。この魔法の代償は魔力だけになく、使用者の『生命』にあった。
「侮っていた…… 非礼を詫びよう。私に立ち向かうに相応しい覚悟だ。まさかそのような切り札を隠し持っていたとはな……」
両腕をだらりと下げ、ユアナはレラオンを睨む。能力を看破された焦りが疲労を生み出していた。
「……侮っていた? そういうことなのね…… さっきの真魔法を使わないのは……」
「『闇の羽』は、一度見た者には効かぬ。残念だがお前は苦しむ他無い」
「そう…… それは、ありがたいことね……」
ユアナの先制により、再開される戦い。
だがその真魔法のコストを見破ったレラオンには、もう彼女の切り札は通用しなかった。反撃に転じることなく、その攻めの全てを的確に捌いていく。
いたずらに時間をかけること、それだけで彼女を追い込むことが出来た。
「くっ……!」
彼女が間断を見せず放っていた魔法が、詠唱から発動までの時間に遅れを見せ始め――
「諦めろ……」
いよいよと、レラオンの能力が彼女を上回った。
彼女は未熟ゆえに、その力を完全に制御できるまでにはなかった。
反動に命を削られる以前に、加速度的に増していく消耗から、すでに意識が途切れかかっていた。
苦し紛れに放たれた彼女の風の刃をかわし、レラオンが急速に接近する――
「あぅっ……!」
その震えた足を、後方に回り込んだレラオンのすねが払った。
床へと転倒したユアナに向け、レラオンの右腕がかざされる。
「さらばだ…… ユアナ」
奮闘を称え、初めてレラオンは彼女の名を呼んだ。
彼の右腕が白い粒子の煌めきとともに黒く染まり、闇が手のひらに形成される。
ユアナは固く、目を閉じる――
――轟音が巻き起こり、熱い空気の渦が彼女の脇を駆け抜けた。
唐突な横槍に吹き飛ばされ、レラオンの体が背中から柱へと叩き付けられる。
「ぐっ…… な、なにぃっ……!? き、貴様……!」
床に転がるレラオンの瞳が、仕掛けた主を捉え驚愕に震える。
訪れない死に目を開けたユアナが、レラオンの視線の先を追って身を起こした。
「よう…… やってくれたな……」
血濡れの制服を身に纏い、右腕に炎をたぎらせる少年が笑みを浮かべて立っていた。
レラオンを睨む彼の胸元には、開いていたはずの風穴が無い。
「シュン…… シュン……!」
起き上がれない足で、うつぶせに這いながら名前を呼ぶ彼女に、彼の強気な笑顔が向けられた。
「よく頑張ったな…… 後は、任せろ」
「体は…… 大丈夫なの……?」
「ああ、大丈夫だ」
涙とともに感激の笑みを見せ、彼女は言葉も無く意識を失った。
「き、貴様どうして……! 確実に死んでいたはず……!」
立ち上がったレラオンが狼狽に震えながらシュンを凝視する。
シュンは制服の上着を脱ぎ、仰向けに返したユアナへと被せ、彼女を抱き上げながら答える。
「さてな、失敗したんじゃないか?」
「有り得ない……! 完璧だった! 貴様まさか自己蘇生の真魔法を……」
「そんな魔法知るかよ、なんか間違えて暗記してたんじゃないか?」
ユアナを運び、離れた位置へと置いたシュンがレラオンへと振り返った。
「なんにせよ、俺は生きてる。お前の魔法は不発に終わったってことだ」
「馬鹿な……!」
目の前の動かしがたい事実が、レラオンには理解出来なかった。
心臓を撃ち抜き、その死を確認した。書に選ばれた『闇』属性に、覚え違いなどは無い。だがまるで、時間を巻き戻らせたようにシュンは生き返り、その顔には生命力が満ち溢れている。
「さて、聞いたぜレラオン。お前もう、さっきの真魔法は俺には使えないんだってな?」
「……!」
歩み寄るシュンの全身から、これまでに無い魔力量の炎が噴き上がっていた。
「だったらもう…… お前には切り札は無いじゃないか。決めさせてもらう」
「そ、その力は……! 貴様もガラの書に無い真魔法を……!」
シュンが魔法の詠唱に入る。フロア全体が揺れ、視界の全てが灼熱に発光し、辺りの壁からは高温により炎が噴出し始めた。
「こいつが俺の切り札…… 最奥の真魔法だ……!」
中空へと跳んだシュンの全身に、壁を取り巻いていた炎全てが集い、その身を炎の塊へと変えた。
全身を炎の鎧に包んだようなその様に、レラオンは火の神の化身を見る。
「くっ…… ならば……!」
レラオンは腕を振り、全身を闇に包んだ。
そして同じく跳び上がり、両腕を前に立ち向かう様子を見せる。
シュンの背中に、かつて彼が見せたものを遙かに上回る巨大な業火の翼が生まれ、足下にはたなびく炎の尾が生まれる。
レラオンが縦に構えた両掌に、闇が顎を形成し、体から地中へと伸びる闇が、長い胴体を象るように黒を濃くする。
「『フェニックスドライブ』!」
「『破亡・慟哭』!」
鳳凰と黒竜が叫びを上げ、大気が、石壁が、万象がさんざめく――
真正面から押し合う二人が巻き起こす衝撃が砦を揺るがし、二本の柱をへし折った。
頬に流れる涙をそのままに横たわる少女。
彼女にかけられた青い制服が、風に煽られて床へと振る。
ころころと、制服より転がる玉が一つ。
かつて灰色だったその玉は、白く透明なものへと変わっていた――




