94.超越せし魔力
「ぐっ…… て、てめぇ……!」
右足のふくらはぎを貫通され、倒れ込んだダテがレナルドを睨む。
「これが…… 対『邪悪』用に用意した私の奥の手です。最大の合月魔法を応用し、使用に至れる段階にまで改良したあらゆるものを貫く光の一矢。さすがに避けられませんでしたな?」
背後のダテへと目を配っていたファデルが、レナルドへと顔を合わせる。
「私が狙いでは…… なかったのか……!」
その呆然と驚嘆を、レナルドは鼻で笑って返した。
「阿呆が。お前など、いつでもどうとでも出来る。それに、最高の贄を前にお前ごときを狙ってなんになると言うのだ?」
――贄……
はたと、ダテは自らの足を見る。貫通され、穴の開けられた足から血が噴き出していた。
「くっ……!」
両手を当て、緑の光を強く這わせる。
回復魔法を放ちつつ、その裏で足を『変形』させ、一瞬にして穴を閉じた。
「ふははっ……! 無駄ですよ無駄! もう、充分なのです!」
すっと、レナルドは聖杯をダテへ―― ダテの転がる床へと向けた。
「……!?」
床に流れた血液が球となって浮き、聖杯へと吸い込まれていく。
「礼を捧げましょう、ダテ様。あなたが何者かは皆目見当もつきませんが、その力はまさに神にも等しい! 『道士』だ『邪悪』だ『合月』だのは、なんと矮小な話なのでしょう!」
ぼう、と聖杯の上皿が輝き、虹色のプリズムを発する。
「……!? あの魔力は……!」
自らの知る力の輝きに、ダテが背筋を凍らせた。
「では…… 失礼……?」
――聖杯が、レナルドの口元に運ばれる。
刈り揃えられた顎髭の上を、赤い筋が一本と垂れた。
「おのれ……! レナルド……!」
制止に走り出したファデルが――
――力の昂ぶりに咆哮を上げたレナルドの波動に吹き飛ばされた。
「ぐわっ……!」
「ダンナ! ぐっ……!」
ダテが放っていた魔力と同じ、金色の光が波動となってレナルドから吹き荒れる。
ファデルがロードの力を解放した時よりも、遙かに大きな力が礼拝堂を揺るがす。
残っていた窓ガラスの全てが砕け散り、玄関の壁にはヒビ割れが生じ、天井から梁の一部が轟音を立てて床へと降った。
「す、素晴らしい……! なんという力! これがダテ様の見ていた次元…… 私などが敵うべくもなかった! 私は私を否定する! たしかに思い上がっていたのは私の方であったと!」
驚嘆と歓喜の叫びを漏らしながら、金のオーラを纏ったレナルドが力を増大させていく。
「せ、聖職者よ……! この力は……!」
昂ぶりのままに放たれるその圧倒的な魔力に、立ち上がることさえ出来ないファデルがダテを見やり、言葉を失う。
これまでに無い、真剣そのものの顔をそこに見た。
――どこまで、コピーされる……?
自らとまったく同じにして、レナルドの聖属性をも混ぜた力を感じながら、ダテは思考を総動員して状況を分析にかける。
全てをコピーされ、身に付けてきたものを丸ごと上乗せされるのであれば勝ち目は無い。
いや、今のダテにとっては、力がある一線を超えただけでも勝ち目は薄いと言えた。
そしてその一線は、誰であろうとわかる形で目の前に現れる――
「ふははは……! はっ…… ぐ…… ぐむ……!?」
力の増大と目前の勝利に、笑い声をあげていたレナルドの様子が変わった。
「……? なんだ……?」
杖と聖杯を取り落とし、口元を抑えレナルドが呻く。力の波が、止んだ。
「苦しんでいる……? まさかあいつ…… 身の丈を超えた力で自滅を……」
「いや……」
自壊を期待したファデルを、ダテが否定した。
「身の丈を超えた力に、墜ちた……」
両腕をだらりと下げ、幽鬼のように立ち尽くすレナルド、その顔が――
「ぐ…… ぬ…… おォ……」
脈打つように歪みだし、その左半分に硬質な白い鱗が現れ出す。
鱗は形状を変化させつつ広がり、真っ二つに割れた兜のような様相を彼の左顔面に作り上げた。
「な…… 何……?」
ファデルが驚きに声を漏らすと同時に、レナルドの左肩から曲剣のような二本の刃が法衣を突き破って現れた。続き、甲冑を纏った腕が、胸元が、次々に膨れあがってレナルドの法衣を裂き、その姿を見せていった。
「あの姿は……」
「精神と肉体が耐えられる範囲を、取り込んだ魔力が超えちまったんだ……」
「そんなことが…… あるのか?」
「普通は無い。肉体が生み出す魔力は少ない、世界が貸す魔力も使用者が操れる最大量を超えることは無い」
「ではなぜ……?」
「聖杯だ…… あの宝具で採るものは「液体」…… 形があるものだけに、体に取り込んでしまえば許容量を超えても外に逃がすことが出来ない」
半身を白銀の鋭利でいびつな甲冑に。もう半身の皮膚を白く。
――レナルドは変貌した。
身に得た多大な魔力により、肉体が変質する。
その現象は、聖杯のような特殊な道具によって起こされる他に、意図的な術式による場合、個人の強すぎる心により引き起こされる場合など、起こりえるケースは複数存在した。
だが、いずれにせよ変貌を遂げた人間は、魔力の傾向と本人の失われる直前の意識に支配された、自制の無い狂気となる。
数多の世界の術者達は、その現象、人が魔力に侵され狂気の怪物となる現象を――
「魔に墜ちる」と言った――
前に屈んだ上体を起こし、彼らを見定めるレナルドから再び金色の魔力がオーラとなって現れる、そしてそのオーラは――
「ダンナ! 気ぃ抜くなよ! 下手すりゃ一発で即死だ!」
「ぬぅ……!」
――白く淡く、虹色のプリズムを放つオーラへと変化を遂げる。
「くるぞ!」
~~
荒い息をあげながら見上げる星空に、影が差す。
「よく、頑張りましたね」
「イサ……」
アロアは土がむき出しになった地面に寝転がったまま、覗き込んできたイサへと右腕を差し出す。
「すまん…… 起こしてくれ」
言われるままにイサはアロアを起こし、彼女が示す方向へと歩ませた。
その方向には、仰向けに倒れ、妖精に見守られる少女がいる。
「よぉ…… 終わったな……」
体を支えられながら、アロアは少女に声をかけた。息を整える小さな呼吸を見せつつ、少女の上気した白い頬が穏やかな微笑を向ける。
「……どっちが、勝ったのかしら……?」
「そうだなぁ……」
わざとらしい、考えるような声。
「引き分け、だな」
微笑みとともに、ほつれた青い法衣の右手が少女に出された。
「そうね」
二人の手が合わさり、二人の間に、鮮明な笑顔が灯った。
二人が始めた、最後の賭けとも言える「勝負」は結果として奇跡的な成功を導き出した。
互いを信じきり、全力で放ちあった魔力の波。それはいつしか、世界が二人に供給する二種の魔力の供給速度と等しくなり、ただ夢中で放つままに、調整すらも必要とすることなく拮抗した。
世界が望み、均衡を保ってきた聖と暗黒―― 二種の魔力。
二人の体はまさにそれを流し、溶かし合うだけのパイプラインとして機能し、世界に与えられた魔力の全てを還していった。
それはわずか数分、選ばれし者達が同時に、地に倒れるその時まで――
「はぁ~、疲れた~」
「大丈夫っスか? アロアちゃん……」
シャノンの前にへたり込んだアロアを、クモが心配そうに見つめる。「おう」と片手を挙げながら小さく答えた彼女の目に、妖精の肩に掛かる細い鎖で繋がれた懐中時計が映った。
力に持って行かれた意識を取り戻させてくれた音色の正体と、それを運んでくれた妖精。アロアはこの場にいない、離れていても救いの手を差し伸べてくれた彼のことを想う。
「……? どうしたっスか?」
「え!? ああ、いや! なんでも……!」
妖精に小首を傾げられ、時計を見つめていたアロアはわたわたと我に返った。
「え、ええとだな! 今、何時くらいかなと!」
誰に見透かされるわけではなくとも、ついと彼を思い浮かべてしまったことが恥ずかしく、不自然に焦りが出てしまう。
あの時、感情に流されるままにシャノンに切った啖呵が、冷えてきた頭に逃れようのない羞恥心を生み出していた。
「時間ですか、確認しておきましょう」
「へ?」
苦し紛れの言い訳に真面目に答えられ、間抜けな声を発するアロアをよそに、イサは自分の胸元から懐中時計を取り出す。
「……まだ合月は二時間と少しありますね。二人とも、魔力の方はいかがですか?」
その真剣な口調に、安堵感に包まれていた空気が引き締められる。
合月の時間は約三時間とされている。やり遂げた実感はあろうとも、事態そのものが終わったわけではない。それは全員が意識していたことでもあった。
「大丈夫です。流れこんでは来ていますが体の方が限界のようで、もう受け付けないようです」
「ん、ああ…… 入って来てんのはわかるけど、なんかすぐに抜けていってる感じだな」
二人の言葉に、イサは頷く。
「まだ油断はせず、いつでも先ほどと同じことが出来るように用意しておいた方がいいかもしれませんね。こうして休んでいれば、体も回復していくでしょう」
「え…… えぇ……? まだやんなきゃダメなのかよ……」
げんなりとした表情になるアロアに、シャノンが小さく失笑した。
「心配しなくていいわ、あれだけやったんだもの。すぐに動くなんて無理でしょう?」
「ま、まぁな……」
「それに、もう世界の聖なる魔力も暗黒の魔力も、さっきの勝負で大部分が返還されているわ。これだけ減らすことが出来ているなら、衝突をさせるにしても昨日の練習程度で充分よ」
「……そっか、そうだな」
どこを見るとも無く、アロアは空に視線を這わせた。言われてみれば、確かに合月に入ったと感じた時の感覚、世界が止まってしまったような、ピンと何かを張ったような感覚はどこかへ消え、感じようと思わなければわからないまでに薄くなっていた。
「はぁ…… じゃ、ちょっと休んだら、またやるかな」
そう呟いて、アロアが草地に横になった。その時――
大地の鳴動が起こり、全員の首が一つの方向へと向いた。
「なんだ!?」
アロアが体を起こし、叫ぶ。
彼女らの目線の向こうより、種の分からない莫大な魔力が噴き上がっていた。
そこは森の外遠く、ルーレント教会が位置する方向だった。




