92.気づきし感情
晴天続きのアーデリッドの青空の下、馬車がやってくる。
誰よりも早く、いち早くそいつを見てやろうとアロアはこっそりと、馬車道の脇にある茂みに身を潜めていた。
馬車から降りたそいつを見た時、アロアは一目で怒りに駆られてしまった。
誰かをまた取られる、そう思わせるくらいにそいつは格好良かった。
パンをこっそりと持ち出した。
神父が往診しているポイントの多さは知っている。来たばかりで道もよく知らないやつが、昼までに戻ることは絶対に無理だと確信があった。ならばと、パンを持っていってやることにした。
それを機会に普通に話が出来るようになればいい。そこから近くで見張っていられるようになればいい。決して同情なんかじゃない、そう心で言い張って教会を出た。
道すがら、ちょっと考えた。
――あれ? これがきっかけでわたしを連れて行こうとか思われたら……
てめぇ鏡見ろと、自分で自分の頭を殴った。
魔法を教わることになった。
興味はあったが、面倒くさいと思った。それでも口の悪いあいつに褒められると、なぜか嬉しいと思ってしまった。少しだけ、まともに話が出来るようになったと思った。
あいつが倒れた。
必死で出来るかわからない回復魔法を使った。死ぬなと、素直に思った。
――『合格だ』
そう言われて、頬を撫でられた。
手紙を渡された。
一緒に毎日、魔法の練習につきあってくれた。
口は悪いが気は合う、気づけば探して、いつも一緒にいた。
失敗を見せたくなくて、念入りにオルガンを練習した。
豊穣の日を無事にこなすと、びっくりしながらまたゴキゴキと頭を撫でられた。
シャノンに出会って、二人になっても構わずに、一緒に魔法を教えてくれた。
突然、旅行に行こうと言い出した。
背中ごしに、空を見ながら沢山騒いだ。
あいつの家に行った。コーヒーを作ってくれて、服を買ってくれた。
もうダメだと思ったら、助けてくれた。一緒に馬鹿みたいにうまいメシを食った。
服を褒められて恥ずかしかった。腹いせにあいつにも着替えさせた、ナンパされていた。観光旅行した。
屋上で、楽しかったなと言ってくれた。
神父が帰ってきて、あいつが出て行った。
あっさりしてるなと、思った。
なんだかぐったりしていたら、その日の夜に帰って来た……!
――『さぁ、こっからだ。ふざけたこの儀式とやらを、今回で終わりにしてやろうぜ』
あいつはずっと、見守ってくれていた。
あいつはずっと、優しかった……
~~
「アロア……?」
はたと、アロアは我に返った。
「そ、そうそう! そうだ! 言っておいてくれれば…… よかったんだよ……!」
「……?」
ぎこちなく、同じ言葉を繰り返すアロアをシャノンが覗き込む。
「さ、最初から、最初からだ…… 先に言っておいてくれれば、あいつなんて……」
アロアがうつむいて、拳を震わせる。
「ダテなんて…… シャノンにいくらでも…… くれて……」
目の前が、霞む。
「くれて……!」
呻くように呟きながら、震えた右手を額に持って行くアロアに、シャノンが心配そうに半歩と近寄ろうとする――
アロアの脳裏に、自らの名前を呼ぶ、彼の姿――
「くれて……! やらんわぁぁーーー!!」
「ひぁっ!?」
怒濤のような光が吹き、シャノンの体が大きく持って行かれた。
「ア、アロア……?」
突然の叫びとあわさった爆発に、草地に伏したシャノンが顔を上げ、驚きと戸惑いの入り交じった表情を見せる。
アロアは彼女を振り向いて、キッと厳しい目を送っていた。
「やっぱやめだ……」
「え……?」
「やめだ! やめやめ! とっとともう一回! あいつの言う通り撃ち合いするぞ!」
「で、でもアロア…… それじゃあ私はまた――」
だんっと、アロアの足裏が草地を強く打った。
「甘ったれんな!」
その剣幕に、シャノンが体を竦ませる。
「いいかシャノン、わたしは同じことしようなんて思ってないぞ! こっからは勝負だ! 息なんてまったく合わせてやらん!」
「勝…… 負……?」
「わたしは全力でぶっ放す! そっちも逃げずに全力でぶっ放せ!」
何を言いたいのか、何をやろうとしているのか、なんの勝負なのか、まるで理解に至れないシャノンが目を白黒させた。
だが、次のアロアの一言で、彼女は理解に至る。
「勝った方があいつを貰う! それでいいな!」
「……え?」
指を突き出して宣言したアロアの顔を、シャノンはまじまじと見た。
その顔はりりしさを装いつつも、口元がぷるぷると震え、肌もなんだか紅潮を見せていた。
「アロア…… あなた…… それは……」
「ふ、ふんっ……!」
見透かされた想い、半ば言ってしまった想いを誤魔化すように、アロアはぶっきらぼうな仕草でそっぽを向いた。そして忙しなく、ベールからはみ出た横髪をいじりつつ、言う。
「ま、まぁ? やりたくねぇってんならいいさ。やらねぇってんならあいつはほっといても、わ、わたしのモンだしな。シャノンなんか最初からわたしの相手じゃねぇしよ」
困惑し、見上げ続けるシャノンに、チラリとアロアの横目が振られる。
「……おっぱいちっちゃいし」
「なぁっ!?」
ガン、と何かで叩かれたようにシャノンが頭を上げた。
「な、ななな何をここここんな時に……!」
「だぁっていっつも姉ちゃん言ってたぜ? とりあえずおっきくなかったら男なんてどうにもならんってな」
「あ、ああああなただって、そんな、そそんなには……」
「でもシャノンわたしより二つも年上でそれだろ?」
「ぐむ……!」
「こっちには、姉ちゃんも御利益があるって言ってたノナがいるしな。今でさえわたしの方がちょっと大きいんだ、そんなペストリーボードみたいに貧相にはどうやってもなんねぇよ」
「ぺ、ぺすとりっ!?」
※パンをこねる台のことである。
「こ、この……」
ぐぬぬぬ、と、立ち上がりつつ、シャノンが拳を震わせた。
ここここんな時、ああああんなことの後であれ、看過できない見過ごせない捨て置けない、まさに座視できない物言いに、シャノンは顔を真っ赤にして煙を噴いた。いろいろ忙しい子である。
「うるさいっ! このシスコン!」
「なぁ”っ!?」
その意味をもつ言葉はこの世界にもあったらしく、アロアが反撃の砲撃に衝撃を受ける。
「姉ちゃん姉ちゃんって十五にもなって子供みたいに! 言ってた言ってたじゃなくて独り立ちしなさいよ! そんな甘えた子供なんて子供どまりよ! 言葉遣いの一つも淑女らしく直したらどうなの!?」
「ぬぐ…… イサみたいなことを……」
「ふんっ、あなたみたいな子供、最初っからダテ様がお相手になんてなさるもんですかっ、考えるだけ馬鹿馬鹿しいお話でしたわっ」
最後ちょっと、居丈高なお嬢様風だった。
「ぐ、ぐぬぬ…… 小麦粉こねれそうな胸してるくせに……!」
「この……! 尻尾振る子犬みたいな頭してるくせに……!」
互いに怒りをたぎらせながら、精神的ショックから半泣きな感じで睨み合う。
睨み合い、視線を合わせ、お互いを見据え――
――二人は、ニッと笑い合った。
「うおっしゃああっ! 行くぜぇー!」
「タダじゃおかないわよ!」
我先にと駆けあい、二人は最初の位置、決められた場所へと戻る。
「くううらぁあええぇええっ!」
「このぉおおー!」
ほぼ同時、わずか数秒のズレも無く二人がエネルギーを放った。
本当に、まったく遠慮の無い、聖なる力と暗黒の力がぶつかり合い、草地は衝撃波に形を変えて轟音とともに揺れ、取り囲む木々は突風に吹かれて傾き、合月の闇夜は今宵最大の、真昼のような明るさに破られた。
――そっか、これが…… 好きって気持ちか。
脳が焼き切れそうになる心地良いせめぎ合いの中、アロアは新しい感情に、笑っていた。




