89.用いられし切り札
「ぐっ……! んぅ……!?」
『……愚かしいな、レナルドの思惑通りに怒りにかられ、我が気配を見過ごすとは』
含み笑う声を発するもやがダテを取り巻き、その全身を覆った。
予想外の伏兵の奇襲に、レナルドが驚きを見せる。
「ファデル……! お前生きて……!」
『浅く見られたものだ、あの程度で死ぬとでも思ったか。我は千の姿を持つロード…… 己が体を霧と化す、ヴァンパイアの常套の手管が出来ぬはずがない』
ダテが腕を振るうも、その手は空を切り続け、ファデルをかき回すだけに留まる。
「くっ! ぬっ……!」
『無駄だ…… 我が体は晴れぬ。毒の瘴気の中、もがき苦しんで果てるがいい……!』
その言葉通り、ファデルは毒の霧と化していた。毒性の強さだけになく、ロードとしてのファデルより流れる暗黒の魔力、その瘴気そのものが生物にとっては猛毒だった。
合わさった毒は、毒に強い耐性を持つダテでさえもが苦しむ、生身の人間など数秒と持たないまでの強烈なものとなっていた。
「よくやったぞファデル……! よくぞ戻った!」
『うるさい! 次は貴様だ! 貴様がどういう末路を辿るか! この男を見ておくのだな!』
左手を口にあてたダテが、右手を垂らし、動きを止めた。
『ふっ…… 我が毒は身に触れるだけで死に至る。人間にしてはよく持った方だが、最早身じろぎ一つすら出来ぬだろう』
ダテは、動かない。
――レナルドが、口角を上げた。
「いや、よくやった……」
すっ、とレナルドの二柱の杖が振りかぶられ、全身を白く輝かせる。
レナルドの笑みが強まるとともに聖なる魔力が杖に満ち、その輝きはこれまでにない、杖の形状すらも覆い隠すほどのものとなっていく。
『……! レナルド……!』
「よぉく…… 抑えておけよ……?」
長い光を構えたレナルドが、二人に向けてにじり寄る。
『貴様何を……!』
「これぞ奇跡よ! 二人まとめて浄化されるがよい!」
レナルドが、床を蹴って駆けだした。
聖なる魔力に力をたぎらせる二柱の杖の接近に、ファデルが焦りを見せる。
霧状とはいえ暗黒の魔力そのもの、塊となっている彼にとって、その杖との接触は危険が過ぎた。そして同じく、無防備な状態になっているダテにとっても、レナルドの全身全霊の一撃は致命となり得る。
『や、やめろ!』
「さぁ! 消えいっ!」
レナルドが錫杖を大きく反らし――
――ダテが、眼前にて両腕を組んだ。
「はあああああああっ!」
一気に両腕を開いたダテの全身から、光の波が吹いた。
『うおぉおおおっ!』
「ぐうっ……!?」
霧がダテの左側へと流され、逆側にレナルドが吹き飛ばされる。
流された霧は煙を上げながらダークスーツの男となって地に落ち、レナルドは勢いを殺せぬままに床を転がった。
「こ、これは……」
床へと手をつき、顔を上げたレナルドを、ダテの笑みが見下ろしていた。
「教えてもらっとくもんだな。消費はデカいが、使い勝手はよさそうだ」
回復魔法を教え、共に過ごした日々。休憩中のほんの戯れ。ダテは彼女から、彼女の特技を教わっていた。
「うん、合格だ…… 貰っておくことにしよう」
得られた新たな技術を、かみしめるように目を閉じる。
例え時が流れようと、体は忘れてしまわぬようにと。
「ぐ…… おのれぇ……!」
ゆらゆらと煙を昇らせながら、ファデルが立ち上がる。
「貴様……! 戻ってきた瞬間に殺す気か……!」
「アホか、ちゃんと手加減はしてる」
ファデルのどこか間の抜けた物言いに、ダテは呆れた笑い顔を送った。
「神父…… さっさと立ちな。強めに撃ったとはいえ聖なる魔力だ。吹っ飛ばされただけで全然効いちゃいないだろ?」
「ふん……」
「じゃ、ダンナも戻ってきたことだし、二回戦といこうじゃねぇか。まぁ…… 行いが悪いと言うか自業自得と言うか…… あんたに攻撃が集中するかもだがな?」
ダテの背後からレナルドに睨みを利かせるファデルが、口の端を引き上がらせた。
「さぁ幕だ、とっとと決着…… つけようぜ?」
レナルドは杖を握りしめ、奥歯を噛みしめた。
~~
二柱の杖――
接合などを行わず、一塊の純銀によって拵えられたその錫杖は、当初においてはドゥモの祭事に使われる儀式用の道具だったという。しかしある時、歴史が忘れさせるほどの過去、その道具はとある賢者の手により奇跡の宝具へと生まれ変わった。
その賢者の素性は残っていない。賢者が使った手法も伝わることはなかった。
――物質への付加魔法。
賢者はただの銀の棒に過ぎなかったそれに、強力が過ぎるまでの力を施した。
以来、杖は世界の命運を背負う、選ばれし道士の決戦に用いられている。
使用者の聖なる魔力に呼応し、本体そのものと、手にする者を力で満たすその杖は、決して曲がらず、傷つかず、棄損されることは無い。
万物を切り裂く力を持つ邪悪に対抗できる、唯一無二の武器。
それが、ドゥモ教に伝わりし宝具、『二柱の杖』だった――
夜の静けさの中、少女達は静止を見せていた。
『邪悪』を冠する少女が右腕を突き出し、『選ばれし道士』を冠する少女は両手に握った武器を振り下ろしきっていた。
向かい合う少女達の傍らに、転がるものがある。
――それは音叉の形をし、銀の体で月の光を跳ねていた。
金の髪の少女が、その口元に笑みを見せる。
互いに渾身の力を込め、真正面から放ちあった終局必至の一撃。
それは彼女にとっては、まさに「必至」の一撃だった。
「残念ね、アロア…… それでは、私の爪は止められないの」
彼女は見抜いていた。その杖は「偽物」であると。神父があの街で、『鍛冶屋』に通い作らせた、取り繕いのための品であると。
見抜きつつ、彼女は戦いの中、決して悟られぬようにと秘めていた。
この事象を、必殺の切り札に用いるために。
シャノンの爪は、穂先を失った錫杖を握るアロアの、胸元へと突き刺さっていた――
「う…… あ……」
胸に入り込んだ異物の感触。その傷へと瞬時に回復を巡らせる自らの魔力が生じる熱さが、アロアの意識へと戦慄をもたらし、彼女を凍らせた。
――死ぬ。
向かい合う少女の白い手を滑る、自らの赤い体液。疑うことの無い窮地をアロアは察した。
――上でも、下でも、前でも…… 動かされれば、死ぬ。
ぞわりと、足下から頭へと、嫌な感覚が駆け抜けていった。
「さようなら」
シャノンは一息に、終わりに向けて手首に力を込める。
「……!」
抉り、上方へと引き裂こうと考える彼女の手首に、アロアの両手が重ねられた。
離された銀メッキの鉄棒と化した杖が、草地を転がる。
「ぐ…… うう……!」
「無駄な―― ……!?」
アロアの背中から羽が消え、回復のドームが消え、全身から青白い魔力が炎のように立ち昇った。
――殺せ……!
――死ぬぞ、殺せ……!
――死のうとも、殺せ……!
――世界の人々のために、自らを殉じろ……!
「ああああああああっ!」
「くっ……! この……!」
シャノンの腕が、莫大な力によって引き抜かれていく。
生命の危機に、戦いを放棄する心を世界は許さなかった。
流れ込んだ力は彼女の生物的な本能へと駆け巡り、肉体の最大までに満たした。
そして、その危険が過ぎる力に呼応するように、対する魔族の少女の体にも同様の、性格の色を違えた世界の力が流れ込む。
魔力に炎上する二人の少女――
――少女達の精神は、世界の力によって完全に変貌を遂げた。
ジリリリリリリ――
それはほんの、ほんのかすかな音。
小さな動力達が擦り合う、風に乗って、かき消えそうな音色。
――『今日は楽しかったな、二人とも仲良くなれたようで良かった』
――『今日のこと、忘れんなよ』
優しい声。意識の奥から、鮮明に目の前に映し出される夕闇の光景。
「……っ!?」
アロアの瞳孔に、光が潤うように煌めいた。
燃え上がっていた魔力が消え、放心した表情が音の方向、夜の空へと向けられる。
空には一点、月を反射する金色の光。
――金の懐中時計を提げる、妖精の姿があった。




