87.定めし視野
いつものような、じわり、という感じではなかった。
背中に当てた手から流れる回復魔法は、普段の数倍という力と速度で体を駆け巡る。
「……!」
シャノンの目元が、わずかに動いた。
「何をしてるの?」
「な、なんでもねぇよ……」
強気な笑みで返す。「勘づかれたか?」という焦りが生まれる。
――まだだ、もう少し……
まだ動くことは出来なかった。いや、まだ回復魔法の「力」が足りなかった。
「……そうね」
「……?」
手の輝きが、小さくなる。
シャノンはその輝きを持つ手を、両手から右手一つに切り替えた。
「たとえ『回復』したとしても、そんな体勢からでは避けられないでしょう。なんでもないことだわ」
表情の無い顔に、嘘はなかった。彼女は勝利を前にした感情にぶれることなく、冷静にアロアの動きを分析していた。
手に見える輝きは小さくなっても、そこから感じる力は変わらない。凝縮され、引き絞られたのだとアロアは理解した。それはまるで、狙いを定めた弓の弦のように。
「そっか、バレてるか……」
笑いながらアロアは肘を緩め、大の字に寝っ転がった。
「……? あら、諦めたの?」
予想外、というような声がかかる。
安らかな表情で、アロアは瞳を閉じた。
「疲れたしな…… そもそもが、わたしにシャノンを止めることは無理だったんだ」
「そう……」
シャノンの手の中の魔力が空気を激しく振動させ、電動に似た音を発する。
「なぁシャノン……」
心地良さそうに、柔らかい声色でアロアは告げる。
「諦めるわけ、ないだろ?」
シャノンが肘を引き、突き出すと同時一瞬の閃光が闇を照らし、凝縮された魔力が射出される。
アロアは――
三人で遊んだ、都の思い出に耽っていた。
「……!?」
暗き紫色の明滅、大地を抉り取る強烈な衝撃と爆発音、大気の震え、巻き起こる砂塵。
射出寸前から着弾までの、秒の半分と無いそのわずか過ぎる時間の一コマを彼女の目は捉えていた。
アロアの背中が爆発し、爆風が体を押し上げ――
「っしゃあっ! 避けたぁっ!」
――放たれた魔力塊から、間一髪で彼女を上空へと逃がしていた。
「っ……! どうやって……!?」
信じられないという表情で見上げるシャノンに、アロアはいたずらな笑みを返す。
――『魔法を使う時は集中を切るな』
何度となく、彼に聞かされた教えが彼女の中に生きていた。
回復魔法がシャノンに見透かされようとされまいと、脱出にはこれしかないと彼女は計画立てていた。
出来うる限りの力で回復魔法を置き、あえて『集中を切る』――
賢くお行儀よく、お利口なシャノンには思いもつかないだろうとの確信があった。そして、この奇策の成功であれば、体勢を立て直せ、続く奇策も成る、と。
シャノンは驚き見上げたまま、動きを見せようとはしない。
――ここだ……!
アロアは空中で姿勢を変え、両手をシャノンへと向ける。
「……!?」
青白く発光する手のひらに、シャノンがみじろぎする様が見えた。林で初めて出会った時、彼女はアロアの姿よりも先にその巨大なエネルギー塊を見ている。合月の今、それがいかに危険な力で放たれるかを察するのは容易い。
賢い彼女であれば避けることを考えるだろうと、アロアは睨む。
シャノンはアロアの思う通り、後方へと下がった――
アロアは、背中へと全集中力を注ぐ。
――イメージするは、緑色の体に四枚の羽を持つ、癒やしの妖精。
上昇から、下降へと折り返すアロアの体が、重力の流れに逆らった。
「羽……!?」
シャノンが驚きの声を上げる。
アロアの背中に、緑色に輝く四つの細長い菱形が現れていた。アロアの体の半分近くの大きさがあろうと見られる菱形の柱は、彼女の体を張付けるように中空に留めていた。
その異様に釘付けになるシャノンを前に、彼女に向けて開かれていた輝く両の手を、アロアは自らを抱きしめるように体へと巻いた。
――アロアの体が、藍緑色のドームへと包まれる。
「防壁……? ……!?」
羽を背に、ドームに包まれたアロアは地表へと急降下した。驚くほどにイメージ通り、魔法は成った。ならば後は命懸けで、シャノンへと向かうのみ。
「シャノーーーーン!」
地表を滑空し、彼女の名前を叫びながら直進したアロアは、その一直線上で腕を広げてきりもみ回転し、二柱の杖を拾い上げてシャノンへと突撃する。
「くっ……!」
杖を手にまっすぐに向かってくるアロアへと、シャノンから数発の光弾が放たれる。藍緑色のドームへと接触する光弾――
撃墜されたアロアが、地表を転がった。
「え……?」
ドームと羽はそのままに、草地に倒れ伏すアロア。あまりのあっけなさに、シャノンが呆ける。
「……ふはははははー!」
「なっ!?」
ぼうとドームが光を強め、立ち上がったアロアが再びシャノンへと突撃を始めた。虚をつかれたシャノンはその接近を許し、反応が遅れる。
「ぐっ……!」
右腰だめから振りかぶられたアロアの杖の一撃。
防壁も無しに受け止めたシャノンの左腕に、重い打撃がのしかかった。
「うらぁっ!」
苦痛に顔を歪ませるシャノンに対し、さらに振りかぶって同じ打撃をアロアが放つ。
「このっ!」
アロアが右から左へと振るう杖に対し、シャノンは打撃の終端方向へと素早く円を描いて動き、彼女の背中へと左肘を落とした。
「がはっ!」
「ぐぅっ……!」
衝撃に地面へとうつぶせに落ちるアロア。打たれたばかりの左腕での攻撃が、シャノン自らに痛苦を与える。
「うりゃっ!」
「っ……!?」
倒れた状態で、アロアがシャノンの足に向けて錫杖を薙いだ。驚きつつもかわし、間合いをとろうとするも、アロアはなおも食い下がって杖を振り続ける。
杖が振られ、シャノンがかわす。また杖が振られ、かわしたシャノンが打撃を加え、アロアが倒れる。倒れたアロアが復帰し、シャノンに走り込む。間合いをあけたシャノンの光弾に、アロアが吹き飛ぶ――
「くっ……! 何がどうなって……!」
「まだまだー!」
どれだけ殴られようと撃たれようと、空に逃げられようと、アロアは攻めかかっていった。
ただただまっすぐに、ダメージをものともせずに襲いかかる。魔力の防壁も張ることは無く、痛みを受けながら、子供のケンカのような肉弾戦を挑み続けた。
――敵う? 止める? 馬鹿を言うんじゃない。
杖を真上から振り下ろす。避けられて、回し蹴りをくらう。
――そんなのは努力してきたシャノンに失礼だ。
寝転がりながら蹴りを放つ、飛び上がってさけたシャノンに光弾を撃たれる。
――私に出来ることは、『待つこと』、それだけだ。
回復魔法によって上空に舞い上がり、アロアがイメージしたのは『回復の妖精』だった。都にて、ダテが見せてくれた高度な回復魔法。
アロアは『それ自体になることが出来れば』と、想像の力を働かせていた。
合月が始まり、こうしている今も、アロアの思考には『聖なる魔力』が影響し続け、ともすれば彼女は力に操られるままに、自分を見失いそうになっている。それはダテが語った、聖なる魔力の特徴のそのままに。
ならばとアロアは考え、今までの考えを切り替えて実行に移した。
――『合月が終わるまで時間を稼ぐこと』、それだけに視野を絞って。
「うらああっ! 行くぜシャノン!」
合月の間は、何をしようと魔力はいくらでも運ばれてくる。ならば合月の時間が二時間だろうと三時間だろうと、『回復の妖精』そのものである状態ならば体力が尽きることは無い。
あとは力を溜められて、一発で殺されるようなことにさえならなければいい。それゆえに、ひたすらな肉弾戦だった。
痛みは、友達のために我慢する―― 出来る。
「くぅっ……!」
常時回復状態にあるアロアに対し、急速に攻め続けられるシャノンは精神と体力を削がれ、動きを緩慢なものにし始めていた。
スマートな戦い方の染みついた体が鈍り、昂ぶった気持ちが冷静さを消し、憤りに任せた力任せな攻撃へと行動が縛られる。
「死ねっ……!」
アロアが真っ向から、上段から振りかぶろうとする様子に対し、彼女は赤黒い爪を伸ばし、突撃する。
「らああああああっ!」
「はあああああっ!」
二人の咆哮とともに、彼女達の渾身の一撃が放たれた――




