19.墜とされた小鳥
――彼らにとっての最大の戦いが始まった。
「ふはははは! 無駄だ無駄!」
フロアの上空へとレラオンの体が舞い、無数の『闇』の穴が置かれていく。
「『フレイムボルト』!」
対抗するように、シュンの腕から無数の火球が放たれる。
「ハッ……! 芸の無い―― ……!?」
「『バリアウインド』!」
レラオンの闇を『風』の膜が覆い、誘導する火球は闇の吸引力を逸れてレラオンを追尾する。
「くっ……! 頭の回る!」
――真魔法を使いこなすレラオンに対し、真魔法を実戦で鍛え上げてきた二人の善戦が、徐々に大勢を押し始める。
「『バーンウィップ』!」
火球を回避し、空中から柱を蹴って地を駆け出すレラオンを、シュンの炎のムチが追う。四本同時に振られるムチは、走るレラオンのわずか背後の床に遅れて跳ね、
「『フォームシックル』!」
「……!?」
先端を鋭利な鎌へと変形させて再び持ち上がった。
「こいつ……! 真魔法を独自に改変したか!」
動きを止めたレラオンの体が、鎌によって寸断される。寸断された体が、黒い闇の塊になってその場に崩れた。
「……! どこだ……!?」
「シュン! 足下!」
「なにっ……!?」
シュンの影から、レラオンの腕が伸びる。
「『フリージング・コフィン』……!」
足首を掴んだその腕が、『氷』の真魔法を唱えた。
「シュン!」
「こいつ……! ぬぅあああああっ!」
全身に炎をたぎらせ、シュンはレラオンの腕をとって引き抜くと、力任せにその体を背負い投げる。
「はっ! いい反応だ!」
投げられながら自ら高く飛んだレラオンが、彼らを向いて着地した。
――押され始めたかに見えたレラオン。彼の力と才能は、その大勢を押し返し、シュン達を圧倒する。
衝突は大気を揺らし、轟音は時に血しぶきをあげ、闇が飛び交い、炎と風は地を駆け巡る。
そんなやりとりを幾度となく繰り返し、時は『世界』が読んだ、『分岐の一点』を迎える――
「……見事だと言おう、シュン」
「気安いんだよ、その名前呼びをやめろ……」
肩で息をし、強がるシュン。削られた体力を支えるものが気力に突入し、体を間断なく汗が伝う。
レラオンとて無事ではない。激戦の中、最大級の真魔法を破られ目に見えて力が落ちている。
「シュン、息を整えて」
「ああ、すまない……」
風の回復魔法が呼吸を整え、傷を癒していく。だがユアナの魔力も彼の消耗を癒しきれない。
強靱な攻撃力を誇るシュンと、サポートから接戦まで多面的に風を操るユアナ。絶大な魔力量だけにあらず、天賦の才を以てガラの書の知識を活かすレラオン。
二対一。当初不利に思われたシュン達の状況は、その緊迫感を糧に善戦を見せ、今や力は拮抗を見せていた。
「ひとつ…… 提案がある」
レラオンが構えを解き、もの静かに、改まって言った。
「なんだよ……」
戦いの高揚に前傾したまま、シュンは答えた。
油断は無い、今更レラオンの無理解な戯言など聞きたくもない。だが、まともに答えざるを得なかった。今のレラオンの表情に、そうさせられた。
「お前を殺すのが惜しくなった…… 手駒になれなどとは言わぬ。生き続けて見ぬか?」
「……? なんだって?」
「やはりお前には才がある。いずれは仲間の手を借りずとも、この私と肩を並べられるまでに成長するだろう。私はお前に、私を退屈させぬための好敵手になってもらいたい。私にも戯れが必要だ。……どうだ?」
その姿勢にも目線にも、自分を道化として見ていたはずの、あの高みからの視点を感じない。一瞬と気を削がれ、レラオンの顔を注視したシュンは、すぐさまに首を一振りした。
「わけのわからないことを言うな、気持ちの悪い……!」
「そっちはどうだ、神学者。呑んでくれるのならシュンは数年に一度、私と試合をするだけでいいと約束しよう。無論、君を含め他の仲間にも手は出さん」
「おい、誰に聞いてる」
レラオンは答えず、ユアナを見つめていた。
風の真魔法を得た彼女は、人の気配だけになく感情の機微にも鋭敏な感覚を持つようになった。だがそんなものはなくとも、彼女は察せただろう。今のレラオンには、冗談や嘘を言っている様子はなかった。
彼女は俯き、答える。
「……お断りするわ」
「なぜだ?」
「私達はあなたを止めるためにここに来た。あなたが考えを改めない限り、この戦いは終われない」
「世界のため…… か?」
「ええ、私達を送り出した国も、戦いを託したシオンとリイクも、そんな提案に乗ることを許すはずがないわ。でも……」
ユアナは一度、レラオンを睨み続けるシュンの姿を見た。
「一番の理由は、シュンが嫌がってるからよ……」
儚くなる声色に、目元を緩めたシュンが振り返る。
「私は…… シュンを戦いから解放してあげたい。私はシュンが、ずっと戦い続けなきゃいけない未来なんて嫌…… だからここで、終わりにするの」
「ユアナ……」
ユアナはよく知っていた。本当のシュンは、植物を愛で本を読むのが好きな優しい少年だった。引けない戦いに巻き込まれ、無理を重ねているだけだということを。
そして彼女自身もそんな彼を想い、支えたくて無理を重ねてきた。
例えレラオンが今の提案のみを望み、全ての野望を捨てると言おうとも、到底呑める話ではなかった。
「そんなに嫌か?」
「ああ、嫌だね…… 俺はお前をここで倒す。ここで手切れだ」
迷う理由は無い、シュンの右腕に炎が灯った。
「そうか…… 残念だな……」
落胆したように見えたレラオンの体から、黒い魔力が吹き上がった。
「……!?」
紫に輝く古代文字がレラオンを取り囲み、数本の光のベルトとなって回転する。
脅威、緊迫、戦慄―― そんな言葉では言い表せない、押しつぶされそうな「予感」に、二人は竦んだ。
「さらばだ、シュン……」
体を取り囲んでいた光のベルトが、レラオンの右腕へと収束する。
シュンは身構え――
黒い光に、胸元を貫かれた。
それは暗雲を割る雷光同然の、瞬間とも言い難い闇の一矢。
無防備に、声を上げることも無く、物のように体が地面を転がった。
「え……?」
まだレラオンにあったユアナの視線が、状況を把握しきれないままに点いた光の先へと向く。
横を向いて床に倒れたシュン。
彼の体を中心に、赤黒い血だまりが生まれていく――
彼女が事態を把握し、絶叫に至るまで、数秒の時間が必要だった――
「真魔法の究極の一端…… 訳するならば『闇の羽』…… 味気の無い魔法だ」
動かなくなったシュン、彼の名を呼びながら、覆い被さるようにして体を揺するユアナ。
レラオンは彼らに背を向け、歩き出す。一室の入り口へと、興が失せたという足取りで。
その足が、止まる。
「……まだ戦うか、神学者」
冷めた目が、背後を振り返った。
「当然……! 最後まで、諦めない……!」
シュンの亡骸を背に、ユアナが立ち上がっていた。
涙も拭わず凝視を向けるその顔には、自棄ではない決意や覚悟。言葉通りの諦めない強さが見られた。
レラオンは彼女に対し、無感情な瞳で告げる。
「今の私は酷く身が寒い…… 手向かうなら、容赦はしてやれんぞ」
歴然とした力の差。いかに隠そうとも、隠しきれない精神の乱れ。レラオンは付き合う気にもならなかった。だが抵抗は抵抗、一合にして敵を排除しようと、体は自然と闇の魔力を呼び起こす。
レラオンに現れた黒いオーラに対し、ユアナが静かに目を閉じた――
「風の精霊よ、旅の神の気を賜り、幾ばくかの神気を我が身に――」
「……!」
詠唱を行ったユアナの魔力が数倍に膨れあがり、空気が緑色を成して彼女の周りに渦巻いた。
力の増大に思わず身構えたレラオンへと、地を蹴ったユアナが跳びかかる。
動かなくなったシュンの胸元。
赤く染まった上衣の胸元から、僅かな輝きが漏れていた――




