77.見守りし者の祈り
現れた男の姿。その世界観を無視した服装の、予期せぬ人物に二人が驚きの目を向ける。
「なっ……!?」
「聖職者…… ダテだと……!?」
男は二人の表情に満足そうに一息短く笑うと、オルガンの頭へと肘をかけ、指先で鍵盤を撫でた。
「いやぁ…… お聞き苦しい演奏ですまないな。なんせオルガンなんてほとんど触ったことがないもんでね。タッチは妙に重いわ、音が出るまで間があるわ…… やっぱピアノとは全然別モンだ、速い曲には向かねーな」
にやにやと、冷やかすような笑顔が二人に向けられる。
険しい目元をしたレナルドが、彼へと睨みを利かせた。
「……ダテ様、都にお戻りになったのではなかったのですか?」
丁寧な、静かな口調とは裏腹に、その表情には以前までの親しみやすさは無い。
「そうはいかないな…… 俺も一応は、大人のはしくれなんでね。困ったことになってる子供達を見捨ててどっかに行っちまうようなことは出来んだろ。特に…… 大人に利用されそうになってる子供なんかはな」
バタリと、無造作にオルガンの蓋が閉じられる。
レナルドの目元が更に険しくなり、奥歯を噛みしめ、口の端がわずかに持ち上がった。
「貴様…… 選ばれし道士はどうした! どこに隠している!」
「あん……? 隠して?」
半ば叫ぶように問うファデルに、ダテが一拍と呆けた顔を見せる。
彼はすぐさまにファデルの見当違いに気づき、薄ら笑いを浮かべてオルガンの後ろ、礼拝堂の窓へと首を逸らした。
「どこにも隠したりなんてしてないさ、あいつなら今頃――」
~~
強大な青白い魔力が、人の身の丈を超えた一本の魔力波となって決戦の地に流れ続ける。その波は、逆方向から流れる暗い紫色の魔力と押し合い、長く間を空けた二人の少女の中心で拮抗し、怒号のような重音と稲光に似た明滅を周囲に轟かせ、大気に風圧と、大地に振動を生じさせていた。
「くっ…… ぬぬぬぬぬ……!」
両の手のひらで青白い魔力を放つアロアが、額に汗を浮かべ、歯を食いしばる。
慣れない光の波の制御は力任せの光弾よりも遙かに難しく、合月の庇護の元にあっても彼女には難易度の高い作業だった。
轟音と炸裂しあう光の向こう、黒く大きな羽がかすかに見える。
――羽ばたきを、二回。
押し合う相手側からの、「大丈夫?」の合図だった。
「へっ……!」
アロアは一笑し、魔力の出力を二度、強く流す。
「まだまだ! 何時間だろうが耐えてみせらぁっ!」
二人の少女の中央にてぶつかり合う魔力は、二色の光の粒子を爆ぜるように飛び散らせていた。
~~
「森にいるだと……? だが、先ほどの聖なる魔力は……!」
ファデルが狼狽えを見せながら問い質す。突然の教会からの力の発露、その強大さゆえに『選ばれし道士』の力だと確信していた彼からすれば、無理も無い反応だった。
堅い表情のままにいるレナルドにしても、狐につままれたような感覚は変わらなかった。むしろ、アロアの魔力を身近に感じ続けてきた彼であればこそ、理解のし難い話と言えた。
「さっきの魔力なら、間違いなく『選ばれし道士』本人のものだよ。昨日た~っぷり、込めてもらったからな」
オルガンに肘をかけたままのダテの視線が、床へと向く。
「小細工はわりと得意でね、「身代わり」や「発火装置」を作るくらいはわけない」
その視線の先には、小さな人を模した紙切れが落ちていた。
「まんまと…… おびき出されたということですか……」
「まぁ、そうなるかな」
にやりと笑みを見せるダテに、レナルドの眼光が行く。
理解した。誰の指示か、どういった所以かは計れない。ただ、この男は暗躍していた。自らの行動を阻止するためにと。
レナルドはダテという男を、明確に障害と定めた。
「貴様…… 何が目的だ……! 私達を呼び出して何をするつもりだ……!」
「決まってんだろ? あんたらの計画をぶっ壊したい、それだけだ」
「なっ……!?」
絶句し、目に見えて動揺するファデルに対し、レナルドの表情には冷たさのみがあった。
「……計画ですか。それはどのような?」
礼拝堂に響く冷徹な声に、ダテは厳しい目元を向け、また、笑みを戻す。
「語らせたいのかい?」
「ええ、是非に……」
笑みに答えるように、にぃ、と、レナルドも笑った。
「いいぜ、こういうシチュエーションは嫌いじゃない。せっかく苦労して調べ上げた中身なんだ、答え合わせでもさせてもらうとするか」
ダテは奏者の椅子にどかりと腰掛けると、足を組み、両肘を閉じたオルガンに預けた。
「そろそろと…… 例の時間がやってくる。手短にいくぜ」
~~
白と黒、二つの魔力の波が押し合う森は、最早真昼のように明るい。
意味をなさなくなったランプを手に提げた見届役は、法衣に風を受けながら、二人の少女が作りだしたその光景を静かに見守っていた。
今更ながらに、「なぜ」という言葉ばかりが思考をよぎる。
なぜ自分は、アロアに最後の合月魔法を教えたのか。なぜ自分は、そのくせあの時に紫の本を隠すような真似をしたのか。
なぜ自分は、レナルドを疑いつつ、信じているのか。なぜ自分は、そのくせダテの話を聞き入れ、協力するように動いたのか。
なぜ、自分は「見届役」の立場を超えて―― 二人の少女を想うのか。
理由は、明白だった。
長年の暮らしとともに育った、情がそうさせてしまったのだろう。
家族を信じる心、疑う心。板挟みの心が、半端な行動となって表に出ていたのだ。
あの日、秋風とともに、新たな空気を運び込むように現れたダテという男。
彼には感謝しなければならない、そう思う。
きっと彼が現れなければ、自らが「見届役」の立場を超えることはなかっただろう。四半世紀を越え、長くそう在り過ぎた。
大人のような、少年のような青年。冷静さと情熱を兼ね備えた、彼のような人間にでなければ、おそらく自らが揺り動かされることはなかった。
凝り固まった老人というのは面倒だなと、我ながらに思う。
「二柱の神よ……」
肚は決まった。ならば、あとは修士として、祈るのみ。
「どうか私達の、愛しき子をお守りください。そして――」
合わさった月を、見上げる。
「どうか彼女の、愛しき子をお守りください」
目を閉じ、しばし祈る。
そして、修士は再び目を開け、「見届役」ではなく「イサ」として、二人の少女を静かに見守るのだった。




