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玄人仕事  作者: 千場 葉
#6 『コネクティング・ホーリー・アンド・ダーク』
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76.紡がれし異曲

 二人の男は森を駆け野へと抜け、夜の闇を疾走する。

 上衣の裏地に赤をあしらわれた華美なダークスーツの男と、白布の長物を手にする黒き法衣の男が併走する姿は、見る者が見れば善悪判断のつかない異様な光景でもあった。


「レナルド! これはどういうことだ! 『道士』は森に入ったのではなかったのか!?」


 半ば宙を舞うように後方を走るファデルが、人とは思えない速度で足を動かすレナルドの背中に叫んだ。


「それはたしかだ、だが……」


 険しい顔つきでレナルドは前方、まだ遠く、小高い丘と点在する高い木々の向こうに顔を出す、教会の屋根を見る。彼の目には建物全体から青白い、湯気のように取り巻くオーラが視えていた。

 その力は間違いなく聖なる魔力、そして、何年と馴染んだ一人の娘の気配だった。


「どうなっている……!」


 思考の及ばぬ事態にレナルドは舌打ちを一つ、猛然と速度を上げた。


「お、おい……!」


 追従するファデルが置いて行かれまいと地を強く蹴る。

 二人はまさに矢のように、矢を超えた速さでルーレントへと直行していった。



~~



 頼りないランプの灯りを足下に、草を踏み分け木々の中を歩む。

 暗がりの中を歩み続けるという不安感と、出来れば逃げたくも思う緊張感がないまぜになり、彼女がそこまでを歩んだ体感時間は、実際の時間とほぼ等しくあった。


 上方から、ランプを凌駕りょうがする明かりが、その眼前へと降る。


 鬱蒼うっそうと立ち並んだ森が開け、彼女は月下の舞台へと足を踏み入れた。



「シャノン……」


 広場の遠くに、光を跳ねる白金の髪を持つ少女の姿を見つけた。

 少女はこれまでそうしていたように、腰掛けるに手頃な大きさの石が転がる中央部にて、彼女を待っていた。

 ただ、今日は穏やかに座り、彼女の姿をみとめて笑いかけることはない。

 合わさった月を背に遙か高み、黒いミニドレスで夜空に溶け込むように身を留めた少女は、現れた彼女へと目を向けることもなく、空の一帯へと、全身から禍々(まがまが)しいエネルギーを散布していた。


「アロア」


 ランプを持った見届役オブザーバー―― イサが彼女の視線を引く。


「潜んでいた大きな気配が移動しました。ここまで、予定通りです」


 アロアはイサの細い目を見て、真剣な眼差しで頷いた。普段と変わらない、落ち着いたイサの表情が彼女の心を少しだけ軽くした。


「この場にて、事を成し遂げることが出来るかはあなた達次第です。強く、心を持ちなさい」

「ああ、わかってる」


 硬い表情のまま、再び頷きを返すアロア。イサは彼女へと真正面に向かい、手を組んだ。


「どうかあなた達に、ドゥモの神のご加護を」


 そしてこれまで、大きな行事や儀式の前にはそうしていたように、祈りの言葉を傾けた。

 「あなた」ではなく、「あなた達」。

 これまでとの僅かな違いに、アロアの胸が少しだけ熱くなった。


「イサ…… これを」


 片手で首元にかけられた黒い首紐を外し、「霧生きりゅうの守り」が入れられたポーチをイサへと向ける。


「シャノンにとっての宝物なんだ。壊れたらまずい」


 そう言って笑うアロアに、「そうですね」と笑顔を返し、イサはそれを受け取った。


「やってくる…… 見ててくれ」

「はい、頑張りなさい。ダテ様の期待を裏切らぬように」

「おう!」


 イサの視線を背に、『長物』を手に、彼女は強く足を踏み出す。

 空に浮かんだ、儚い月光のような友達のもとへと。



~~



 無人の庭へと入り、足音を忍ばせてその大扉の前へと寄る。

 息を殺し、二人は中の気配を探った。


「……?」

「これは……」


 大扉の向こう、礼拝堂に気配があった。いや、気配などというものではない。そこには確実に、「誰かが居る」という確証があった。

 その確証は、今初めて得たレナルドに怪訝な表情を与え、本来であれば知覚出来ていたはずのファデルにとっては、異常事態に冷静さを失っていた我を自覚させた。


 二人は目配せをし、頷きを返し、静かに扉を開いていく――



 扉が遮っていた確証が開け放たれ、二人の「耳」を打つ。

 身へと伝わる重厚にして、心地の良い振動が押し入った者達の意識を奪った。

 その絶えない呼吸が、緩やかに、伸びやかに、まさに歌うようにして温かに、冷えた一室と入り込んだ男達を震わせる。


 ――『オルガン』を奏でる、青い背中。



「選ばれし…… 道士……」


 その豪奢な儀式用のローブの背中に、ファデルが呟く。


「いや……」


 だが、育ての親にはわかる。椅子へと座る、頭部から身を隠すその大きなローブに誤魔化されることなく、彼の目が耳が、それを否定する。

 曲に色を見せようとするタッチの繊細さ、芸術へと向き合う神秘的な姿勢、身へと伝わる奏者の内面を写した音の震え、その何もかもが違う。

 そして何より――



 「子供の情景」、第七曲、『トロイメライ』。

 『ロベルト・シューマン』などはこの世界には存在しない――



 最早身を隠すこともなく、抱えていた木箱を床へと放置し、玄関を越えて押し入ったレナルドは礼拝堂のど真ん中、居並ぶ長椅子の中央を歩み、祭壇左側にてオルガンへと向かう背中に体ごと敵視の視線を送った。


「なんの悪ふざけだ、見抜けないとでも思うか……!」


 不作法に足音を高く、奏者へと叫んだレナルドに、焦ってファデルが走り寄る。


「な、何者だ……! 貴様…… 今日がどのような日か知って……」


 続けざまに問いかけるファデル。青い背中に視線を注ぎ続けるレナルド。

 奏者が反応を見せ、指先の動きを止めた。


 奏者の首が、背中を向けたまま彼らの顔を一瞥する。目深にベールを被ったその口元が、にやりと観客に向けられた。


 ――指先が、激しい動きを見せる。


「っ……!?」


 彼らが決して聞くことのない、ハイスピードにして荘厳、軽快な音楽が礼拝堂に木霊す。スタッカート気味に刻まれるリズミカルな十六分音符には、どこかクラシカルな響きがあった。


 それは『彼』が以前に、クリア目前までプレイしていたテレビゲーム。その一連のシリーズにおいての代表曲となっている名曲の一つ。


「やめろ! 馬鹿にしているのか!」


 テンポについていける時代にいないレナルドの耳が、不快感を示す。

 奏者はそんな文句に手を止め、また首だけを向ける。


「おや、今の状況には相応しい曲だと思ったのですが…… お気に召さないようですね」


 聞き覚えのある声に、二人の男が目を見張る。



 奏者がひっつかんだ青いローブが、『彼』が立ち上がるとともに礼拝堂を舞った――



 羽織った黒いジャンパーから青いシャツを覗かせる、ベージュのカーゴパンツを履いた男が、彼らの前へと現れる。


「よぉ、お二人さん。玄人プロのリサイタルへようこそ」


 不敵に笑う『彼』の背後、オルガンから、小さな人型の紙切れが床へと舞い落ちた。


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