18.エゴの両翼を広げ
四本の白い柱が並ぶ広間の奥。一人の男が革張りの椅子に座っていた。
神殿を思わせる一室の入り口から、椅子まで伸びるレッドカーペット。一段高くなったその場所に足を組んで座る彼は、玉座を奪い取った反逆者を想起させた。
「待たせたか…… レラオン」
シュンの声に初めて出会った時と同じ、白いジャケットのような戦闘服を着込んだ、白髪の男が紫の眼光を送る。
「ようやく訪れたか、キノムラ・シュン…… 神学者は一緒のようだが、他の二人はどうした?」
「帰ったさ、お前をぶん殴る役目を俺達に譲ってな」
見下す視線と、尊大な物言いに見合う魔力量。レラオンから伝わる重圧を、シュンは受け流せていた。それは当人にしても奇妙な感覚だった。これまでの相手の誰よりも危ういのに、これまでの相手の誰よりも気後れしない。
「ふん…… 貴様ら二人だけで私をどうしようというのだ?」
「こちらは二人になったけど、あなたは一人になったわ」
ユアナも、シュンと同じく自らに冷静さを感じていた。
策も何も無い、目の前の敵を倒すことが出来ればいい。うまくやろうなどとは思わない、自分を捨てた覚悟が二人から強者への気後れを打ち消していた。
「レラオン、ガラの書はどこだ?」
「ガラの書か…… どう思う?」
「なに?」
レラオンは椅子から立ち上がり、二人を見下ろす。単純な上背ではない、その存在は二人の目に異様に大きく映った。
彼の顔には、滑稽なものを見るような笑みが張り付いていた。
「捨てたよ、破棄した」
二人に灯る驚嘆に、レラオンは含み笑いを漏らす。
「心配するな。粉々になり、燃えて灰になった」
「ど、どういうことだ……!」
「あなたはガラの書で仲間を増やして…… 理想郷を創ろうとしてたはずじゃ……」
足下をすくわれたような気分で二人はレラオンを見上げる。
レラオンが書いたという論文の内容は知らない。だが、それを信じる者達はこれまで嫌というほど目にし、戦ってきた。まるで裏切りなど怖れないかのように、十数人を超える真魔法使いが彼によって過激派幹部として生み出されていた。
信者達もレラオン自身も、彼の考える理想郷を創り上げるために動き、その要こそが彼らの世界に対抗しうる武器、ガラの書であったはずだった。
レラオンはそれを燃やしたという。真意がわからなかった。
「……そうだな、仮に私がガラの書を持ち続け、私を敬う人間を作り続ければ、世界を手中にすることも容易い話だっただろう。今こうして、貴様らがここに踏み入ることすらもなかったやもしれん」
「なんだと……!」
戸惑う二人に対し、レラオンは満足そうに首を振り、人差し指を立てた。
「お前達は最初から、私という人間を読み誤っていたということだ。考えてもみろ…… 私はあの日、城の膝元にある神学校を、魔法を扱う生徒や教員が集まる最高学府を、短時間に丸ごと占拠してみせたのだぞ? 何十という手下を率いてな」
彼は指を閉じ、結論を述べる。
「つまり私は…… 元より世界を手に収めるのにそのような力は必要としないのだ」
「馬鹿な…… あんなのただの過激派の不意打ちじゃ――」
「当時の私に真魔法の力などあったか? あったとすれば貴様らなどに不覚をとったりはせん。だが、そんな私ですら、あのような国家を相手どるような暴挙に加担する手駒を得ていたのだよ。無論、信奉者としてな……」
「たかが学校一つだろう、話が飛躍しすぎだ」
「卓越した指導者のもと、頭数さえ揃えば物事などどうとでも動かせる。やって意味があるのならば、私は王城であれ占拠できたぞ?」
シュンは有り得ない虚言とは思いつつ、否定できないでいた。例え真魔法が手にあったとしても、常人ならば実行には移さないだろう計画をやってのけようとするレラオン。彼に心酔する者達を見てきたシュンは、不可能と言い切れない何かを感じてしまう。
彼の隣、ため息一つ。神を学ぶ少女は物怖じせず、レラオンへと冷めた目を送った。
「言いたいことは、わかったわ……」
「ほう……」
「あなたが勘違いのカリスマだということはわかったわ。それで、結局あなたは何をしたかったの?」
怒気もなく、彼女はシュンが感じ、信奉者達がつき動かされてきた『何か』を否定し、追及のみを送った。
「何を、とは?」
小馬鹿にするような口調での逆質問。彼女は安い挑発に対し、哀れみの視線を返す。
「あれだけの騒ぎを起こして、ここまでの戦いを繰り返して、あなた自身も何度となく手ひどい目に遭ってきた。それで結局こうして追い込まれて、ガラの書なんて最初からいらなかったなんて言っているのよ。それじゃああなたは何をやっていたの? 長い長い遠回りなの?」
無論、ユアナとてレラオンが、その程度の浅い男ではないことを心得ている。ただ、淡々と事実を並べてみただけだ。いや、実際はこの男が何か裏を持っていることを期待していたのかもしれない。そうでなければ、振り回されてきたシュン達が哀れすぎる。
「これは手厳しい…… 私は馬鹿にされているようだ」
わざとらしく、額に指先を当てながら参ったとジェスチャーを見せるレラオン。だが、余裕のある笑みはそのままだった。
「……弁解すりゃどうだ? 聞くだけは聞いてやる」
ユアナの冷静さに気を取り直し、平静を見せるシュン。それが装いであり、自らを警戒している様子にレラオンは気をよくしていた。
「そうだな…… 言うなれば、時間稼ぎか……」
「時間稼ぎ……?」
「『暗記の』、と言えばわかるか?」
暗記、その言葉が指す意味は、学生であるシュンにはすぐに閃いた。
「まさか…… ガラの書の……?」
「古代語で書かれ、あの厚みだ…… 私にしても容易くはなかったがな」
「あの本を、暗記した……?」
触れた瞬間に、その者に適した真魔法を授けるガラの書。情報は脳に刻まれ、忘れてしまうということは無い。全ての魔法は触れた時点で既に手元にあり、今は『開く』ことが出来ない真魔法も、本人の成長で次々と『思い出される』仕組みになっている。
学ぶ必要はおろか、開く必要すらも無い本、それがガラの書であるはずだった。
「そんなことをして…… いったいなんになるの?」
「そうだ! なんの意味もないだろう! 不得手な系統の真魔法まで知って、なんの意味があるんだ!」
「意味など一つしかなかろう……」
レラオンの目元がギラつき、笑みが強いものになる。
「この天空! 地上! 唯一私のみが! 真魔法の全てを知る者になれるということだ!」
その語気に、二人が息を呑む。
「お前…… 何を言ってるんだ……?」
「言ったままだ。ガラの書は私の頭脳の中にあり、それを見ることが出来るのは私のみ…… そして触れられる者はおらず、これから先真魔法を覚醒させる者は無い」
「だから…… それでなんなの……?」
「私に逆らえる者は誰一人としてこの世にはいなくなる、そういうことだ。私は最初から、それを実現するために動いていたに過ぎん。結社を作ったことも、理想を説いたことも、この抗争も…… 全てが全て、私が目的を成すための戯れ―― 茶番だったということだ」
「最初から……? そのつもりだったと? ガラの書を奪って、真魔法を独占する目的で……?」
答える代わりに、レラオンは見下した笑みを送った。
「ならばお前を信じてきたお前の仲間は! お前が創ると言った理想卿を信じて戦った仲間はいったいなんだったんだ!」
シュンの足下から肩口までを、赤く火の魔力が走り抜けた。
黒騎士やアスタリッド、彼らだけではない。戦ってきた者達それぞれに、それぞれが持つレラオンへの忠誠、美しくも感じるほどの一本の志をシュン達は何度も見てきた。敵であることは関係無い。理解出来無い理想であることは関係無い。ひたむきに力を尽くす人間の、そんな姿を彼は見てきたのだ。
レラオンは目を細め、真っ直ぐにシュンを見つめると――
「……なんだったんだろうな?」
愉快そうに、笑った。
「てめぇ……!」
その一言に、シュンは自らの目の前が白くなる思いがした。目の前の男はあざ笑っていた。自らの同胞を、滑稽な道化として。
「まぁ…… 真魔法を使える人間は、私に逆らえる人間ということだ。それを処分してきてくれたお前には感謝しよう」
レラオンは両の腕を広げた。チリチリと、黒い魔力の爆ぜる音が大気に混じる。
「さぁ、来るがいいキノムラ・シュン。お前達を倒し、逃げたお前の仲間を倒せば私の計画は完遂される。今に蘇りしマルウーリラの全能、その身に受けて沈むがいい」
「このクズが……! 跡形も無く焼き払ってやる……!」
レラオンの生み出す闇に呼応するように、シュンの体から炎が舞い上がった。




