74.昇りし太陽の安息
昼食後の祈りを終え、教会の庭に修士達が集まる。
「ノナは…… 実家だっけ?」
「うん、シーさんとルイさんがうちに泊まるよ。広いだけが取り柄みたいな家だしね~」
二十五年に一度という大切な儀式。行われる際は関係しない全ての修士が終日教会を離れるのが習わしだった。村の知り合い、通いの修士、実家。頼った泊まり先はそれぞれとはいえ、皆が皆、普段は無い外泊のイベントに、ここ数日少しばかり浮き足だっていたのは事実だった。
主役であるアロアにとっては、盛り上がれるのが羨ましい蚊帳の外の話である。
「では、みなさん。快く宿を与えてくださった方々に粗相の無いように、あくまでルーレントの修士であることを忘れずに過ごすのですよ」
皆を集めて行われたイサの挨拶に返事をし、一礼とともに修士達が教会を後にする。
「じゃあ、アロアちゃん。私うまくいくように祈ってるから」
「おう、ありがとな!」
ノナだけになく、皆が口々にアロアを励まし、庭を出ていった。
大役を担わない何も知らない皆を羨ましくも思う反面、ほんの少し誇らしく、気持ちを嬉しく思うのも事実だった。
「アロア、無事に…… 済ませましょうね」
「……おう!」
普段よりも幾分優しく思えたイサの微笑みに、アロアはここ数日過分に影響を受けた、力強い笑みを返すのだった。
~~
先ほどまで読んでいた手帳をベッドの枕元に、伊達は仰向けに寝転がっていた。彼は指を一本立て、リズミカルに振り、三角形を描き続けている。
「何やってんスか? 大将」
ぱたぱたと羽を動かしながら、ぱたぱたとハタキで窓の桟を掃除するクモが、訝しげな顔で伊達に振り返った。
「ん…… ああ、練習?」
「なんのっスか?」
答えず、笑みだけをこぼして伊達はベッドの上にあぐらをかいた。
「掃除終わったら、メシ食いに行こうか。クモ、何食いたい?」
「のんきっスなぁ…… 今日『合月』っスよ?」
ずるずると、腕を突っ込んだ紫色の空間からホウキとちりとりを取り出す彼に、クモは冷やかしまじりに笑いをもらした。
「だからだよ、そろそろがつっと旨いもん食っておこうぜ。この世界に来てから妙なキャラクター作っちまったせいか、酒はともかくロクなもん食ってないからな」
「それ大将が悪いんじゃないスか、それにこないだ都でもイイもの食べましたし、シャノンちゃんの料理も美味しいって言ってたっしょ?」
言いつつ、笑いつつ、クモはハタキをかけ、ホウキを持った伊達が部屋を掃いていく。昇った太陽から射し込む光に、埃がキラキラと渦を巻いていた。
「シャノンのメシは旨かったが…… どうにも健康的過ぎて良くない。今の俺はジャンクを求めてるんだ」
「あー、ジャンクっスかぁ…… そろそろ私、シーフード●ードルが恋しくなってきましたぁ~」
「むぅ、カップ麺とは贅沢な……! さすがよのぅ」
「よっと」と、気の抜けた声を出し、伊達が空間からポリバケツを引き抜く。床に置かれたそれに、彼の手から勢いよく水が降った。
「うし、あっち戻ったらコンビニに行ってやろうじゃねぇか!」
「うほぉ! コンビニっスか! お大尽っスな!」
「コンビニ弁当にカップ麺買って、ビール空けてよ…… んで――」
新たに雑巾を取り出した彼は、水に放り込もうとする手を止め、クモに顔を向ける。
「なぁ、クモ…… あれ…… ちゃんとセーブしたか?」
「はい……?」
「あれ」という随分前の話に、妖精は首を捻り。
「はっは! ばっちりっスよ! ちゃんとセーブして、パワースイッチもオフっときました!」
「でかした! なら…… 帰ったらちゃんとエンディングだな!」
「ええですとも! ……電気が止められてなければ」
「ぐむ……」
さかさかぱたぱたと、部屋を掃除の音が支配する。
「……ねぇ大将。どっちもいいエンディングで、終わらせましょうね」
見た目よりも、大人びた印象を受ける静かな声色が部屋に染みいる。
「ああ、任せとけ」
そう言って、彼はホウキを放り投げ、雑巾を手にとった。
~~
「彼は、どうしたのだ? 姿を見せないが」
暗いホールのテーブルに、ワゴンを引いてきた娘から朝食とも夜食ともわからない配膳を受けながらファデルが聞いた。
ランプの灯りに照らされる白いクロスの上に、パン、マッシュルームの入ったクリームシチュー、仔牛のソテーに領域の森に自生する山菜の入ったサラダというバランスの良い、見栄えのするメニューが並んでいく。
「昨日、都に帰られました」
「都に……? しばらく逗留するのではなかったのか?」
「ダテ様は法王より仰せつかって、このアーデリッドに生息する魔物の調査に来ていたそうです。例の林の状態を重く考え、すぐにでも戻らなければならないとおっしゃっていました」
「何……? そういう目的だったのか?」
「ご安心を…… 魔族には理解のある方です。私達には何も危害を加える気は無いとのこと。お父様にも、宿の提供の礼をよろしくと頼まれました」
「むぅ…… そうか……」
それはシャノンが昨晩から、前持って考えておいた出任せだった。思案顔を見せる父に、何を思うかはわからないが今は素っ気なく、坦々(たんたん)と事実を装う必要があると、シャノンは配膳を進めた。
「我が娘の魅力に骨抜きにされぬとは、それはそれで面白くないな」
ガシャン、と、シャノンの手からフォークやらスプーンやら、手に取っていたものが床に飛び散った。
「うぉうっ! シャノン!」
「ほ、ほ骨抜きだなんてて、そそ、そんなことを、すす、すするつもりはわ……」
急いで拾い集めながら、うわごとのように弁解を吐く。彼女の頭の中には一昨日の出来事がフラッシュバックしていた。
「む…… むぅ…… しかし…… 出て行ったか」
シャノンは落ちた食器から、目を父親へと向ける。こちらを見ることなく、目線を右上へと上げる父。
その口元は、たしかに笑っていた。
厄介者がいなくなってくれた。そう主張するようなその表情を、シャノンは配膳に戻りつつ、油断なく見守るのだった。
「あー、シャノン?」
「はい?」
「せめて…… 落ちていないやつを貰えると嬉しいのだが……」
ファデルの前には、床から上げられたフォークばかりが並んでいた。
――暗闇を裂くように昇った太陽は日常を経て傾き、世界に紅が射し込む。
空に張り付く二つの神は、今たしかにと体を寄せ、真白い輝きに身を包み始めた。
――ただ一度、ただ一時へと向け、思惑は絡まり合う。
そして『合月』は、寸分違わす、容赦を知らず訪れようと空を泳ぐ。
時に意思など、無いかのように――




