66.遠き日々より変わらぬはずの背
紅く広がる空の元、染められるように赤茶けた土の道を彼らは歩む。遠くには黒に近い緑色の葉を茂らせる針葉樹の森と、時折こちらを窺う小さな四足の魔物の姿が見られた。
「シャノンって、意外と料理上手いんだな」
「は……!? えっと…… あり、ありがとうございます……!」
案内するように少し前方を歩く少女がびくっと体を震わせ、首を彼へと向けた。
「意外ってことはないんじゃないスか? 大将。シャノンちゃんってそういうの得意そうに見えるじゃないスか」
「いやいや、なんでだよ。お屋敷に住んでる深窓の令嬢ってのは、普通自分では家事なんかしないもんだろうが」
昨夜帰ってからの遅い夕食に続き、朝食を戴いた一夜の宿は既に遠く、彼らの後方に小さく顔を覗かせていた。
「父と二人で住んでいますから、昔から家事の方は私が…… 祖父の頃には使用人が屋敷の一部としていたそうなのですけど……」
「へぇ、この領域使用人まで現れるのか…… 変わった仕組みだな」
軽口を叩き、時に談笑しながら紅い世界を歩く。
訪れた時と同じ場所にさしかかり、『歪み』が現れると、シャノンが右手をかざした。
――彼らは中空に現れた、表の世界への扉をくぐる。
深緑の森が目の前に広がった。
朝の光が木漏れ日として揺れる森には昨夜のような真の闇は無く。目覚めの遅い鳥達の泣き声と、葉を揺らし、冷ややかに頬を撫でる草木の匂いが広がる。
「今日も良い天気だなぁ……」
異世界の紅はどこへいったのか、今日も天にはアーデリッドの青い空が広がっていた。
「相変わらず、雲一つ無いっスな。農家とか大丈夫なんでしょうか」
「一ヶ月と前からずっと快晴が続いています。これも合月の影響なのかもしれませんね」
見上げる緑と青のコントラスト。肌に当たる柔らかな朝の日光が心地よかった。
彼らは止めていた足を動かし、森の外へと向かい出す。
「さてと…… じゃあ、最後の情報収集だな。今日一日が勝負となるわけだが……」
歩きながらダテは腕を組み、顎に手を当てた。
「なんせ合月は明日っスからね。多少強引な手を使ってでもバリバリと…… あれ?」
妖精が空中に止まり、前に出た二人が振り向く。
「どうした?」
「クモさん?」
「あ、いや……」
怪訝な顔をする二人の注目を集めた後、クモはダテへと顔を向けた。
「大将、今更ですが…… なんの情報を集めるんです?」
「あ?」
「いえ、ほら…… もう合月の儀式がどういうものかもわかってるわけですし、合月魔法の正体もだいたいわかったっスよね? 今から何か調べることってあるのかな~って……」
クモの言葉にシャノンがダテへうかがうような視線を送る。彼は一つ、ため息を吐いた。
「何言ってんだクモ…… まだ調べなきゃならん人物がいるだろうが」
「レナルド神父っスか? 確かに気にはなりますけど、意味は無いような……」
「……? なんでだ?」
「いえ、だって…… 合月の儀式って言っても、もうアロアちゃんもシャノンちゃんもお互いに戦わないって決めちゃってるわけですし、レナルド神父がどう動いてもあんまり意味ないんじゃないかな~って……」
「んなわけあるか」
ダテは一人、先へと歩き出した。それに合わせ、クモとシャノンも彼に連れ添う。
「ダテ様? 何か問題があるのですか……?」
「あるよ、大アリだ。端的に言って、君達の戦いは避けられん」
その一言に彼女らの歩みが一時止まり、すぐさまに、歩みを止めないダテを小走りに追う。
「大将、避けられないってなんでっスか? シャノンちゃんのお父さんとか、アロアちゃんのところの宗教の問題っスか?」
「ん? それは考えてなかったが、あるな…… シャノンのお父さんのことはともかく、アロアに関してはこれからのためにも見かけ上は避けない方がいいのかもな」
「別の問題があるのですか? ダテ様……」
「ああ、だが…… それに関してはアロアも交えて話す。儀式の対策も一緒にな」
ただ前へと歩み続けるダテの両脇に、彼女達は詰め寄った。
「ダテ様……! 対策って……」
「大将! ひょっとしてもうクリアまでの道筋が出来上がってるんスか!?」
予想外の興奮を見せる二人に挟まれ、「え? えっ?」と二人を交互に見るダテ。「すみません」と、ついと接近しすぎていたシャノンが恥ずかしそうに離れた。
「あ、え~と…… まぁ、なんていうか…… 俺からすれば、全部はわからないまでもシャノンとアロアが戦うことになるってことくらいは予想していたことだからな。一応は、解決策みたいなものは前々から考えてはいたさ」
「おお! マジっスか!?」
「多少難しくはあるかもしれんが、全然無理なことじゃない。期待してくれていいぞ」
「考えてくださっていたのですね……! 感激です……!」
まず間違いの無い最善の手段とはいえ、まさか十分程度で思いついた強引な策だとは言い出しにくい空気が漂う。輝くような笑顔で感嘆するシャノンに、ダテは一つ、照れくさそうに咳払いを打った。
「と、ともかくだ。それを確実に行うためにも、最悪のことを考えて気になるところは徹底的に洗っておく必要がある。特にレナルド神父は今一番ひっかかる、気になる存在であり、決定的に障害となる人物でもある。探らずに放っておくことはできない」
おずおずと、シャノンが首を傾げながらダテを下から覗き込む。
「ダテ様…… 決定的に障害になるとはどういうことでしょう? 昨日お婆様のおっしゃった人となりを鑑みる限り、悪い人には思えないのですが……」
「神父がイサさんの言った通りの考えであろうとなかろうと、『合月の儀』に何かしらの例外的な手を加えてくることは確定済みなんだ。俺の策はあくまでアロアと君が戦うことを想定してのもの、君が神父と戦うようでは台無しになる。それに――」
ダテは森の外、遠く位置する教会の方へと顔を向ける――
「イサさんにしても…… 神父を言葉通りに、まるっきり信用出来ているわけではないさ」
二代の選ばれし道士を「家族」として見続けた。その人の抱える心を見通すように。
「じゃ、そろそろ行くぞ」
「はい…… って、大将、どこへ?」
ふわりと、ダテの体が地面を離れる。
「都へだ」
~~
朝の陽光の下、修士達が沢山のカゴを軒先から持ち出し、畑に直線的に掘られた窪みの前へと並べていた。カゴの中には先日掘り出したイモを始め教会で栽培している収穫物、中でも屑ものとして食するには適さない不良品が放りこまれていた。
「よっと」
他の修士達と同様に、アロアは一つのカゴを所定の位置へと運ぶ。彼女はカゴを置いた目の前の窪みを、慣れた手つきで地面に作り続けている男の背中へと目をやった。
黒い法衣を脱いだシャツの背中は、これまで何年と見てきた大きな背中に違いはなかった。スコップを奮うその太い腕は、物心ついた頃から見てきたこの場所の柱としての、頼りがいを感じるものに違いなかった。
「本当はもう少し早くやっておきたかったのだが…… 虫など苦労しなかったか?」
「いえ、今年は気温が下がるのが早かったせいか、幸い何事も」
「そうか、それはよかったな」
何事も無いかのように、普段と変わらずイサと話すその背中に――
「アロアちゃん、どうしたの?」
「あ、ううん、なんでも……」
今は、目を奪われずにはいられない。
「ほら、あと一個ずつくらい運べば終わりだよー、神父様が掘り終わる前にやっちゃおう?」
「お、おう、だな」
ノナに促されるままに、アロアはその場を離れた。
ずっと昔から続いてきたという儀式の内容をねじ曲げ、選ばれし道士である自分の代わりに過酷な戦いへと赴こうという育ての父。シャノンと戦って、倒して貰いたいなどとは間違っても思わない。だが、その心は素直に有り難いと思うし、柄にもなく感激もする。
しかし――
「ダテ……」
「ん? なんか言った?」
「い!? いや……」
彼が持つような勘などではなく、長年見てきた「子供」としての勘が、違和感を感じさせるのだ。あのいつもと同じ背中に、言葉にし難い奇妙な感覚を。
穴へと屑物を破棄し、土を被せていく。
続く作業の間にも、彼女は普段通りに振る舞うことに苦労を強いられるのだった。




