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玄人仕事  作者: 千場 葉
#6 『コネクティング・ホーリー・アンド・ダーク』
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65.静けき屋敷の夜話(後編)

 その長身にして美麗にも映る容姿に見合わず、どこかコソコソと壮年の男は廊下を歩んでいた。


「ふふ…… どうなったことだろうな……」


 我ながら、うまい誘導だったと思う。

 私室にて、行くまいか行くべきか、どうしようかどうしようかと部屋の中をうろうろしている様を見たときには苦笑してしまったが、そんな初々しさを持つ娘は彼の思うとおりの娘であり、微笑ましくもあった。

 ならばと、きっかけを与え、ダテの元へと行けるように背中を押してやったのが他ならぬ彼、ファデルである。


「さて…… うまくやってくれよ、シャノン……」


 無論、彼は娘の恋路を応援しようなどという気は毛頭無い。

 彼は足音一つ立てることなく、様子を窺うために例の客間、娘が創り上げたダテ専用のチープな客間へと歩んでいく。


「もし」


 そんな彼の背後に、鈴を鳴らしたような女性の声が響いた。

 振り向いた彼の目には、声の主とおぼしき若い女の姿が映る。


「どちらへ行かれるのですか? あるじ様?」


 緑の縁取りをされた、見覚えの無い白い法衣に身を包む女。優しげな深緑の瞳でこちらを見る、足下まで伸びる長い金の髪を持つ女は、一目に人間では無いと認識された。


「……どちら様だ?」


 少々間抜けな尋ね方が出てしまった。

 娘に引けを取らぬ俗世の者とは思えない整った容姿に、自らの魔力が産みだした従者とは考え難い神々しさ。一言で言えば女神のような佇まいに、情けなくも畏れ入ってしまっていた。


「クモです。クモちゃんとお呼びください」


 女神の一言に、ファデルは目を閉じ、眉間にしわを寄せた。


「何者で…… 何用かな?」


 しずしずと、クモと名乗る存在は怖れることもなくファデルへと歩み寄り、彼の肩に寄り添うようにして顔を見上げた。


「この先に立ち入るのは野暮というものです、父親なら、わきまえるべきでは?」

「む……」

「それとも、気になるのですか……? 娘がうまく、彼を手籠めに…… 眷属けんぞくに迎えられるか否かが」


 ファデルは背筋に悪寒を感じた。


「貴様…… 何を……」

「吸血鬼の一族は気に入った相手を吸血する習性があります…… 加えて彼は、この世界には並ぶ者の無い、常軌じょうきを逸した力の持ち主。あそこまで暗黒の魔力が増大した娘さんの状態では、本人に習性に抗う術はありませんでしょうね」


 何も言うことが出来なかった。手の内全て、見透かされていた。

 彼女はすっと、彼の前へと歩み、向かい合う。


「私は彼の、ダテ=リョウイチの従者。私の前で行うことは今、彼に筒抜けになっています。悪いことは言いません、お引き取りを」


 得体の知れない存在だった。動く者全てがもつはずの魔力を一切と感じることができない代わりに、ほんのわずかな、まみえたことのない別種の力を有する存在。その力は小さくも、触れれば浄化されかねないほどに、煌々と輝いてすら思える。

 空気に呑まれていた彼に、ふっと彼女は笑った。


「父として、恥ずかしいことはなさらないでください。あなたの思惑通りにはいかなくとも、ご心配せずとも私めが大将は悪い御仁ではありませんから、きっと何も、彼女を悲しませるようなことはありません」


 むぅ、と、父として考えた。たしかに、過分に恥ずかしいマネをしようとしていたようにも思う。だが、惜しくはある。自らの考えが知られていたとなると事が成る可能性は薄いが、ここで自らが何か動けば、万に一つでも成功の機会はあるのではないか。

 そう悪あがきを考えるほどに、ダテの力は魅力的だった。


「早く、退いた方がいいですよ?」


 優しく詰めてくる声に、顔を向ける。

 途端、その女神の顔がニヤっと嫌な感じの薄ら笑いに変わった。


「大将じゃなく、娘さんに言っちゃいたくて仕方無くなってきましたから」

「ぐむ……!?」


 びくん、とファデルの体が震えた。


「……ふ、ふふ、まぁ、いいだろう…… 私は去ることにしよう」


 気高いながらも、カタカタと糸繰り人形のような動作でファデルは背中を向け、彼女に片手を挙げた。


「ご忠告、感謝する…… ではな、クモちゃん」

「はい、お休みなさいませ~」


 そうしてファデルは、クモの笑顔に見送られるまま屋敷の廊下を歩み、闇に溶けていった。



~~



「と、いうことがあったんですよ」

「……ふ~ん、まぁそんなこったろうと思ったけどな」


 シャノンが部屋を訪れた際、差し入れを父親からと言われたダテはその厚意を怪しんでいた。魔力が増大し、おそらくはタガが外れやすくなっている状態のシャノンを部屋へと差し向ける。吸血鬼であればその後の事態は理解しているに違いないだろうとの考えである。

 ダテはシャノンの相手をしながらクモに思念を送り、ファデルの様子を探らせに向かわせたのだった。


「まぁ…… 父親のその様子からすると、シャノンは知らなかったようだがこの一族にはいわゆる、吸血鬼特有の能力はあるってことだな」

「ドレイにしちゃうやつっスな?」

「別に奴隷じゃねぇだろ…… ってその辺はわからないか」


 テーブルに向かい、手帳を広げていた彼の手から安いボールペンが投げられた。ペンはころころとテーブルの端に向かい、落ちる直前で止まった。


「とんでもない話っスよな、一族として大将のお力が欲しいのはわかりますけど、シャノンちゃんは真剣だっていうのに…… お父さんとして思うところはないんでしょうか?」

「……さぁな」


 ごろりと、ダテは絨毯に寝転がり、目を閉じた。


「一発くらいブン殴っといた方がよかったっスかね?」

「無茶すんな…… 一応は魔族の長だ、お前の敵う相手じゃないだろ。今は間借りしてる身だしな。それに……」


 真剣な表情で、開いた目が天井を見つめる。


「ブン殴られるべきは、俺だ」


 その怒気をはらんだ声に、クモは彼の顔を窺う。


「大将……?」


 誰にも向けられていない厳しい視線の先は、見えているものではなく、見えるはずのない自分の姿に向けられている。そう感じた。


「シャノンっていう子は…… とても強い、理性の強い子だ」


 声は低く、冷淡で、責めの色を濃く持っていた。


「はっきり言って、俺はあの子が信じられない。魔族とはいえあの歳でこれほどの魔力を、暗黒の魔力を世界から流しこまれて正気を保ち、破壊衝動を抑え込むことができているあの子が……」


 圧されるように、クモは静かに問いかける。


「難しい…… ことなんスか?」

「ああ…… 暗黒の魔力が強い、吸血鬼を含めた人型魔族に敵役が多いのはそのせいだ。人型であるが故に知能が高く、精巧な心を持ちやすい。精巧な心があれば魔力の傾向は過分に影響を見せる。本人の意思をねじ曲げるほどに」


 彼の目はクモには向けられず、天井の一点から動くことはなかった。


「今のシャノンはほんの小さなほころび一つ、それだけで瓦解がかいし、暗黒の魔力と本能の赴くままの、怪物になりかねないような危うい状況にある」

「そう…… なんスか?」

「都での一件だ。あの子は理不尽な横暴に耐えかね、衝動に呑み込まれそうになっていた。俺はそれを抑えるため、あの子から暗黒の魔力を吸収した。驚いたよ…… 俺は人間でそもそも下地は違うのだろうが、一瞬にして呑み込まれそうになるほどに禍々しい、暗黒の魔力だった」


 都の一件。この場で詳しく語られずともクモには察しがついた。

 全身返り血を浴びて帰ってきた彼が脳裏に浮かぶ。クモにしてみれば、怒りに任せたとはいえ彼らしくなく、やり過ぎのような気がしていた。少なからず、暗黒の魔力を一時に大きく取り込んでしまった結果だったのだろう。


「そこまで…… 危険な状態だったんスね。大将がすぐに吸収を選ばなければと思うと――」

「いや、それはわからない」


 ダテが目を向け、クモの言葉を止めた。一目見合った後、彼は視線を天井へと戻した。


「俺はあくまで安全のために行っただけで、シャノンはすでに正気に戻っていたんだ。どんな言葉だったのかはわからないが、傍にいたアロアのたった一言、それだけでな。今にして思っても信じられないことだ…… 一度持って行かれそうになった意識を、あの子の理性は抑え込んだ」


 姿勢を変え、彼はクモに背を向ける。


「……それがどうだ…… さっきの様は…… 抑えられるどころか、本人すら何をやっているのか理解できちゃいなかった。あれはエサを求める行動なんかじゃない…… 完全に、『契約』じゃないか……」

「なんスか……? それ……」

「……言えるかよ」


 吐き捨てるように放った彼の言葉から、クモには伝わる。

 それはおそらくと、『婚姻』。半ば強制的なそれに類するものだと。


「俺はどう足掻こうとも、一緒にいてはやれない人間だ。あの子の…… 彼女の気持ちに応えてやることなんざ何をやろうと出来ない。その癖に、中途半端に関わって、強いはずの理性が抑えきれないまでに彼女の想いを募らせてしまった。それに比べれば、彼女の父親がやろうとしたことなんてまだ可愛いもんだ。本当に…… ロクでもないやつだよ」


 聞かせるとも無い彼の独白が、しばしの静寂を作る。


 クモは俯き歯を食いしばり、かぶりを振ると跳ねるように飛び、ダテの眼前に着地した。彼女はそのまま、額を絨毯に押しつけ、土下座の体勢を取る。


「すいませんっしたっ! 大将! 大将は以前たしかに……! シャノンちゃんの想いを諦めさせようとしてらっしゃったのに……!」

「お、おい……」


 慌ててダテは身を起こす。


「自分のせいっス……! あの時私が…… 調子に乗って友達から始めればなんて仲を取り持とうとしなければ……!」


 ダテの頭に都へと向かう前日の夜、シャノンの想いを退けつつ、縁が切れることのないようにと苦心した、あの夜のことが思い出される。


「わかっては、いるんス…… 大将がこういったことを避けたがるのは、自分の思うところもおありなんでしょうけど、一番大きなところは、後に来る別れで悲しむ姿を見たくないからだって……」


 クモは顔を上げることなく、小さくうずくまったままに続ける。普段の彼女には見られない、すがるような、震えた声が必死と真剣を伝える。


「でも…… 私には耐えられなかったっス…… 迷って迷って、懺悔室に来るような子が勇気を振り絞って、私の大将の前に現れて…… 大将やアロアちゃんと、見るままに、初めて出来たって感じの友達と目を輝かせて楽しんでて…… でも、呼び出されて、大将に気持ちを否定されて、夢から覚めたように小さくなって…… 放っておくとあの綺麗なシャノンちゃんのまま、夜に消えていきそうで…… つい……」


 霧生の守りによって禍々しい魔力が消え、ただの悲しんでいる女の子にしか見えなかったシャノンの姿が浮かぶ。合わさり始めた双月の光。彼女の肌も、きっと同じ色をしていた。


「……大将なら、大丈夫。もう少しだけ、夢の続きを見せてあげられる…… そう思ってしまった、私のわがままっス…… すみませんでした……!」


 感情の高ぶりに震えていた、金髪の小さな頭に――


「……!」


 ちょん、と人差し指が乗せられた。


「大将……?」


 指が離されると、クモは顔を上げる。


「クモよ、その件についてのお咎めはもうとっくに終わったはずだが?」

「へ……?」


 彼は横になったまま、右手で頬杖をつき、離した左手の人差し指をくるくるとトンボにでもするように回していた。


「お前はいい椅子を作って、アロアが無事に都に行けるようにして、おかげで俺達は都で遊べて、仕事もはかどった。見事に電球の刑は回避したじゃねぇか」

「あ、あれは私が調子に乗ったから、その折檻で……」


 つーんと、回していた人差し指がちっこい額を小突き、クモが「あたっ」と声を上げた。


「仕事ってのは結果が全て。過程は俺たちのためのもんで、誰かのためになるのは結果の方だ。だから間が偶然だろうが、結果オーライならそれでいい。お前もプロの付き人なら覚えとけ」

「大将……」


 額を抑えながら見る彼の顔は、普段の六畳間にいる時のようにゆるんでいた。『ダテ』ではなく『伊達』。久々に見る彼の顔に、クモは一時、今の場所を忘れた。

 一つ首を振って、ダテは身を起こし、ローテーブルに肘をかける。


「悪かったな、さっきのは愚痴みたいなもんだ、忘れてくれ。なんにしてももう今更だ、このまま行くしかないさ」

「このまま…… シャノンちゃんには何も言わないんスか……? 今ここではっきり…… 断りたいなら私もお付き合いしますが……」

「……それは()()できん」


 ダテは片眼を瞑り、こめかみを指で小突く。


「大将…… まさか……」

「そのまさかだ…… 今、『シャノンを振る』という選択肢がすでに『禁則』に入っている。あの勇者の時と同じだ。今それをやっちまうと、多分気落ちするか何かで、最後の最後が失敗に終わってしまうんだろう」

「そんな……!」


 ダテはニヤリと、クモに笑いかける。


「別にかまわねぇさ。恨まれようが(ののし)られようが、シャノンとアロアが二人とも助かって、無事に仕事が終わるんなら俺はなんでもいい」

「……どうでしょうか、悲しまれると思うっスが」

「やっぱ都合が良すぎるか…… それだけだと辛いな……」


 一つ伸びをし、彼は立ち上がった。


「ねぇ、大将……?」

「あん?」


 ひらひらと、クモは絨毯から浮遊し、彼を下から覗き込む。


「大将は…… い、いえ、なんでも……」


 途中まで言って顔を逸らすクモを少し見つめ、彼は背中を向けた。


「……ワインを注がれても平気なくらいには、気に入ってるさ」


 その背中へと、はっと振り返るクモを置き、彼はベッドへと向かった。

 オレンジに輝く光の玉は擦れる寝具の音とともに消え、照明はクモ一つとなった。



『ダテ様、もう時間はありません』


 教会へと送った、別れ際のイサの声が頭に響く。



 ――『合月の日は、明後日です』



 ダテは一つ、目元に力を入れると、弛緩(しかん)して目を閉じた。



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