62.有り難き? 気遣い
「シャノンです、もうお休みですか?」
遠慮がちな扉越しの声に、ダテは愛好を崩す。
「まだ起きてる、入っていいよ」
「……は、はい、それでは……」
一切の物音を立てず、ノブが回り、静かに扉が開かれる。
「お、おおう……!」
白いシルク生地のネグリジェドレスの上から、薄手の紫色のカーディガンを羽織ったシャノンに、喜色満面でクモがガッツポーズを取った。妖精的には何かグッとくるものがあったらしい。
珍しくダテも、「いいな」だとか「よく似合うな」のような軽口が口をついて出そうになったが、大惨事が予見され、実行には至らなかった。
遠慮がちに扉の前に入る彼女の手には、ハーフボトルとグラス、白い皿が乗せられた盆が乗っている。
「お、お父様が…… こちらを持って行けと……」
「ん、ああ…… 悪いな」
「どう…… なさいますか?」
「……いただくよ、どうぞ」
シャノンはダテの手招きに一礼すると履き物を脱ぎ(意外にもなんだかもこもこした可愛らしいスリッパ。ダテ、服装とのギャップに目を疑う)、しずしずとローテーブルへと歩み、盆を置いた。
「あっ……!」
途端、彼女から声が上がった。
「す、すみません! 私ったらうっかり栓抜きを……!」
盆の上には酒と杯、小洒落た二股の小さなフォーク、クラッカーと二種のチーズというつまみまでもが揃いながら、肝心の酒瓶を開けるための道具が置かれていなかった。
「すぐに取って参りますので――」
「ああ、大丈夫だ。別に必要無い」
ダテは手を振り、背を向けそうになる彼女を制した。
「……? 飲まれないのですか……?」
「いや……」
ボトルを手に取り、彼は瓶の口元を見まわす。
「で、出ますか!? 大将! 伝説の「ビール瓶切り!」が!」
「びーるびんぎり……?」
わなわなと期待に目を光らせるクモを、シャノンが不思議そうに見ていた。
「なんでそんなボーナスステージみたいなことしなきゃなんねぇんだよ……」
悪態をつきながら、ダテはボトルを盆へと戻し、手をかざした。
――コルク栓はゆっくりと独りでに回り出し、徐々にと上へと上がっていく。
「よし」
瓶の口元から三センチと飛び出したところで、ダテはきゅっと普通に手で引き抜いた。
「まぁ……!」
その器用な魔力の使い方に、シャノンは両手を合わせて感心を見せる。ころりと、ダテの手を離れたコルクが盆の上を転がった。
「……地味っスな、もっとなんか面白いの見せてくださいよ。コルクがすぽーんとシャンパンっぽく飛ぶとか」
「お前に当ててやろうか……」
既にガジガジと、クラッカーをかじりだしたクモにダテがジト目を向けた。
「……? シャノン、座ったらどうだ?」
「あ、はい…… それでは……」
僅かな衣擦れの音とともに、シャノンがふわりとダテの横に座った。湯浴みの後らしく、普段にもまして良い香りが舞い、クモがにへへとだらしない顔をした。おっさんぽく。
「えっと…… これはワインでいいのかな?」
「はい、多分……」
「多分?」
「私はよく知らないのですが、地下にお酒が保管されている一室があるそうで…… お父様の調子の良い時は良いお酒が置かれていると聞いています」
「そ、そうか…… 領域っていいな……」
建物だけになく口にするものまで領主依存。複雑な食糧事情を抱えているダテにとっては羨ましいことこの上無い。
「あ、お注ぎします」
ワイングラスに手を掛けたダテに、シャノンが慌ててボトルを両手に取った。
――その光景に、クモの表情が強ばり、「あっ……!」と肝を冷やしたような声を上げる。
グラスを持つダテと、彼に向けて斜めにボトルを持つシャノン。
互いに向かい合い動かない、不自然な時間が数秒と挟まり――
「……じゃあ、お願いするよ」
「は……? はい……」
座ったままでは注ぐに高さが足りず、彼女は膝立ちになってボトルを傾けた。
盆に戻されたグラスに、濃い赤色の液体が注がれていく。
「……赤か」
「白の方がお好みですか?」
「いんや、恥ずかしながらどっちがどうとか言えるほど舌が上等じゃなくてね。見たまま言っただけだよ」
グラスに対し少量に、行儀良く注がれた赤ワイン。ダテはグラスの足を持ち、鼻先に持っていってくるりと振った。嗅いで何がわかるわけでもなく、動作に特に意味は無い。ワインに対する彼なりのただの礼儀だ。
「ん……? 君は、飲まないのか?」
盆の上に乗っていたグラスは一つ、今更とダテはシャノンに聞いた。
「実は…… あまり得意ではありませんので。飲めた方がよろしいのでしょうけど……」
「酒は好き好きだ。美味いと感じる時まで無理に飲む必要なんてないさ」
言って、そういえば彼女はまだ十七だったなと自らの生まれ故郷との世間ずれに苦笑しつつ、彼はテーブルへとグラスを置き、空のカップを持って立ち上がった。
「ダテ様……?」
ダテはシャノンをそのままに、勝手知ったる客間を歩き、都でそうしたように隣室へと入った。一度完全に消え、
「あっ、シャノン、コーヒーでいいか?」
ひょっこりと、隣室から顔を覗かせる彼に、
「はい……!」
と、シャノンは笑顔を返す。彼は手を振って隣室へと入っていった。
「……ふむぅ」
ぱたぱたと、クラッカーを手に様子を見守っていた妖精が宙に飛んだ。
隣室とシャノンに対し、クモは交互に目を配る。
「……? クモさん?」
交互のその境目で一つ頷き、クモは納得したようにシャノンへと顔を向けた。
「どうやらこの羽虫めはお邪魔のようっスな」
「えっ……?」
「席を外すといたしましょう、お二人でごゆっくりどうぞっス」
ビシっと彼女に向け、親指を突き出すクモ。
意味の理解とともに、シャノンが身を固め、顔を紅潮させていき――
――ぼんっと、煙を噴いた。
「ク、ククククモさん……! そ、そそれは困りま……! ……あれっ?」
彼女の目の前には残り落ちる輝く粒子のみ。クモはシャノンの煙とともに、煙を立てていなくなってしまっていた。
「こ、ここれはは……! どどどうしゅれば……!?」
唐突に生まれた逃げ場無し、クッション無しの事態に思わず立ち上がり、シャノンはわたわたと部屋を無意味に見渡す。知らず羽まで出ていてバタバタやってしまい、慌ててひっこめる。
誰も見ていないのが残念なくらいの取り乱しっぷりだった。
「おーす、おまたせー」
「ひょわっ……!」
丁度後ろを向いたところへと声がかかり、彼女はぴょこんと飛び上がった。仕草も驚き方も、なんだかアロアが乗り移ったようだった。無論アロアは生きているが。
「……どうした? シャノン」
「い、いえ…… お気遣い…… なく……」
動揺と恥ずかしさが極まり一周して落ち着きを取り戻したシャノンは、服と姿勢を静かに正し、ローテーブルへと座り直すのだった。




