61.疑わしきはその折りに
赤い空も外界に差異無く黒に染まった窓の外を見つめながら、彼はカップに残る琥珀の液体を飲み干す。淡いランプの灯りに照らされる部屋はなんの遜色も無く、都の地にある彼の短い住処だった。
「例外、か……」
~~
「レナルドは…… 合月魔法を使いませんでした」
イサは過去へと想いを傾けるように、目を伏せながら語った。
「儀式の最後、時の邪悪が二度と復活せぬようにとの意を込めて、選ばれし道士は最大の合月魔法により邪悪を滅ぼすのが習わしとなっていました。それにより邪悪は完全に滅び、そして道士はただの人へと戻るのです」
「ただの…… 人へ? あの魔法式によってですか?」
「はい…… 合月によりもたらされた世界の力と、選ばれし道士としての力を失い、次代を見守る前代として、一修士に戻るのです」
ダテは最大の合月魔法の作用に対する、自らの考え違いに気づいた。
「そうか……! 供給……!」
「大将……?」
思わず漏らした呟きにクモが彼の顔を見る。ダテは考えるそぶりを見せた後、首を振ってイサへと目を戻した。
「レナルド神父は…… その習わしや、合月魔法の魔法式については……」
「どちらも知っていました。習わしを知ることは彼の代にしても慣習通り儀式の当日ですが、魔法の特殊な内容には以前から気づいていたようです」
「では…… レナルド神父は合月魔法の特性を知っていて、あえてそれ以外の手段で勝利したと……?」
「いえ、そもそもが使う必要もなかったのです。あの魔法式を完璧に把握していたレナルドは、もちろん合月魔法の力を知っています。相手が敵わぬほどの強敵であったのならば使用も考えたでしょう。ですが……」
「その必要すらなく…… 通常の戦闘技能のみで完全に勝利できた、と……」
「はい」
ダテは腕を組み、左手で額を抑え考えこんだ。彼の中では今、『レナルド』という人物の像が結ばれてはほどけ、浮かんでは別の顔となり、混乱を促していた。
その難しい表情にアロアは一つ頷き、彼の傍へと寄った。
「おう、ダテ」
「……! ああ……」
気づけば真横からこちらを見上げていた睨みにも似た真面目な表情に、彼は慌てた様子を見せる。
「お前何か…… うちの神父を怪しんでいるのか?」
思考を咎められた気分に言葉を失う。切り返しも思いつかぬまま数秒と見つめ合った後、彼女はふいとそっぽを向いた。
「……わたしは、お前を信じる」
「……?」
「教会に帰ってから、わたしはどうすればいい? 何かして欲しいことはあるか?」
素直では無い仕草からの素直な信頼の言葉に、ダテは驚きを隠せなかった。
「……何も、何もしないでくれ。今日ここに集まったことを、決して悟られないようにしてくれればそれでいい」
「そうか、わかった」
アロアはダテから顔を逸らしたまま体を反転し、シャノンの隣へと戻っていった。彼女の後ろ姿を微笑とともに目で負う彼を見、イサは穏やかな表情で一つ、頷いた。
「ダテ様、今宵はそろそろとお開きにしましょう。私から話せることはもう無いように思われます」
気づけば確かに長く話し込んでいた。ダテは何か聞き逃したことは無いかと思案するも、今は一度整理が必要だと感じ彼女に頷きを返した。
「わかりました…… では、今宵はこれにて。シャノン」
「はい……」
すっと、シャノンが一歩彼に歩み寄る。
「アロアとイサさんを送ってくる。君は先に戻っていてくれ」
「森の入り口でお待ちしていましょうか?」
「いや、大丈夫だ。もう場所は覚えた」
「ん?」とアロアが首を傾げる。
「ダテ、お前ひょっとして…… シャノンの家にいるのか?」
「ああ、ちょっと居場所がなくてな…… なんとも情けない話だが……」
「む…… なんか…… ずるいなお前……」
かなり羨ましそうにジト目で見られ、ダテは目を逸らし、シャノンは困ったような笑顔を二人に送っていた。
~~
「二十五年前の合月、すでにそれが例外だったってわけだな……」
飲み終わったカップをローテーブルに置き、ダテは自らの考えを確かめるように口にした。
「ん~、それを言った私が言うのもなんなんスけど…… やっぱりなんか違うかな、とか思いだしてちょっと恥ずかしくなってるっス」
「うん……?」
こりこりと、空中で頬を掻くクモに、ダテは顔を向ける。
「あ、いえ…… 実は私、あれ言ったのって、なんで神父さんはあの魔法使って今無事なのかなー、なんて、それくらいの考えで言っただけだったんスよ。よくよく考えたらあれって相打ち覚悟な最強の魔法ってだけっしょ? 別に使わなくて勝った過去なんて他にもあるんじゃないかと……」
ダテはローテーブルから上体を離し、絨毯に寝そべった。
「いんや、あの時のお前の閃きに間違いは無いさ。何せ俺も、お前が言った直後は神父の無事に違和感を感じたしな」
「そうなんスか?」
「まぁ…… 魔力切れは絶対に再起不能になるってわけでもないし、なんせ二十五年も前の話なんだ、今無事でいることに特別違和感も無いわけだけどな。ただ、思った以上に使うことにリスクが少ないって事実には驚いた……」
「へ? 使って平気なんスか?」
「ああ、平気って言えるかは微妙ではあるがな」
仰向けの状態で天井を見上げる。天井の微妙な汚れまでも忠実に再現されていた。
「合月は人の潜在能力を引きずり出す類いのものではなく、魔力を供給するものだ。世界から魔力が流れ続けている時間ならばイサさんの言った通り、供給された魔力と本人の元々の魔力…… それを奪われて、魔力が落ちる程度の後遺症で済む。言っちまえば百万円拾ったやつが百十万円盗まれました、くらいのもんなんだよ」
「あ~! ……あれ? でも…… それにしてはイサさん、アロアちゃんには危険だって言ってたような……」
「そりゃ危険だろうよ。今言ったのはあくまで、ちゃんと扱えるだけの力量があるやつの話だ。なんの訓練も受けていない素人に軽々しくロケットランチャー撃たせるような真似は出来んだろ」
「む…… な、なるほどぉ~」
「そもそもが儀式の後で再起不能になりますじゃ後進の指導も出来ない。本当に、うまいこと作られた魔法だよ」
そう言って、ダテは呆れたような笑顔を浮かべる。世界の意図に翻弄されていると感じる時と、よく似た表情だと自分で思った。
「後な、本当にそうか、と言われると言い切るには難しいんだが…… 神父が合月魔法を使わなかったのは、かなりな確率で例外だ」
「ほう?」
「イサさんがはっきりと習わしって言ってたことだからな。宗教ってのは儀式には厳格だ。嘘か誠か…… まぁ、今となれば神父が嘘だって証明してしまったことだが、その時に現れた邪悪を二度と復活させないためにっていう意味づけもされている。仮に神父と同様に、魔法式を理解できるやつがこれまでにいたとしても、わざわざ儀式の最後を改変しようと思うやつもそうはいないさ」
「う~ん…… たしかに。中身を知らされるのは本当に直前のことでも、選ばれてからそれまでの訓練もその時のためにやってきたものっスもんね。いくら終わった後で自分が弱くなっちゃうからって、自分のわがままで決まりを破ろうっていうのは人としてあんまりないかも――」
人間ではないながらも人の心理について考え、語っていたクモが自分の発言から、はっと思い至ってダテを見た。
「……自分が弱くなっちゃうから、やらなかった……?」
ダテはクモに、表情の薄い顔で頷きを返した。
「いやいやいや、そんなバカな! たまたまやらなくても勝てそうだったから使わなかっただけっしょ?」
「時の邪悪を二度と復活させないために―― って意味づけがあるんだぞ?」
クモはゆるんでいた表情を硬くする。
「……大将は、何か裏があると見ているわけっスか……?」
しばしの沈黙。ダテはクモから目を離し、天井を向いた。
「……わからん。本当に、使う必要も無く簡単に終わってしまっただけなのかもしれん。意図があったのかなかったのか、俺に判断材料は無い」
わからないと言う言葉の裏側に、違う考えを隠していそうな無表情にクモは眉を潜める。
「大将…… 大将の中では、レナルド神父は…… 『黒幕』なんスか?」
ダテの眉間に、わずかにシワが寄る。彼はそのまま、目を閉じた。
「……神父がイサさんの言った通りの考えであるなら、そうとは言い難い。天才的な選ばれし道士だったとはいえ合月時のシャノンに勝てるとは思えないが、命を賭して合月魔法を使おうというのであれば、勝機はある。育ての親としてアロアの代わりに戦おうという気持ちも理解出来ないではない」
「そうっスよね…… 結構立派な人らしいですし、大将から往診の報告を受けてた時なんかも村の人の状態とかに真剣で、悪い人って感じはしなかったっス」
「だが……」
目を開き、硬い表情で天井を見つめる。
「二十五年前の戦い時点では、アロアは生まれてすらいない」
「……!」
クモの羽が止まった。
「神父の想いが今回の例外を作ったとしても…… 二十五年前の例外は今には何も繋がらない」
淡々と、考えを述べるダテにクモは困った顔で首を傾げ、自分のこめかみに指を当てた。
「たいしょ~、それって先入観じゃないっスか? たしかになぜか神父さんに悪者は多いっスけど、ひょっとしたら終わったあとも魔物退治とかしなきゃって理由で、力が落ちるのを嫌がっただけかもですし…… 先入観は捨てなきゃダメだってのは、大将が自分でよくおっしゃってることっスよ?」
その冷やかすような物言いに、ダテはくすりと、一息笑った。
「……かもな、お前の言う通りだ」
「まぁ~、いるはずのない都で、偶然にも見かけちゃってから怪しみ続けていたわけっスから、お気持ちはわかりますが…… ちょっと別の角度からも、色んな方向からも見た方がいいかもっスよ?」
「ああ、そうだな…… そうするよ」
クモのふにゃりとしたしょうがないなという笑顔に、苦笑まじりで返すダテ。
長年連れ添ってきただけに、クモにはわかる。ダテに考えを変えるつもりはないのだと。おそらくはまだ、彼の中で組み上がっていない何かが、納得に至れない気味の悪いパーツがあるのだろうと。
――コツコツと、部屋の扉がノックされた。
「はい」
身を起こしつつ、ダテは返事をした。




