60.比類無き才の者
ダテが発したその名前に、アロアは眉を上げた。
「あれ……? なんでだ……?」
小さな呟きにシャノンの顔がアロアに向く。アロアは誰に尋ねる風でもなく、思ったままの疑問を口にする。
「神父は儀式の内容を知ってるはずだ…… なんでこんな大事な話をしてる時にここにいないんだ……?」
二ヶ月前、ローラが都へと出て行って数日後の事。アロアは神父の執務室へと呼び出され『合月の儀式』について、自分一人で執り行わなければならないこと、終わった後も決して内容を口にしてはいけないことなどの諸注意を受けた。その時、その場には神父とイサがいて、それを言い含めたのは他ならぬ神父自身だった。
内容を知っていておかしくない教会の代表でもある神父がこの場におらず、イサが中心になって皆に話をしている今の状況は、アロアにはひどく不自然なものに思えた。
「そういえば…… なぜ……」
そしてそれは、先ほどイサより「先代の選ばれし道士はレナルド神父」と聞かされたばかりのシャノンにとってもさほどの差異なく、やはり不自然に、作為的にも映った。
二人が見守る中、ダテが質問を始める。
「イサさんは儀式の内容を語り始める前、アロアについて、まだ儀式の詳細を知らない、『それ以前の状態とも言える』と言っていましたよね? あと、本来前任者は、次の選ばれし道士に指導しなければならない立場…… というようなことも。これって…… どういうことなんです?」
イサは首を横に振り、落ち着いた様子で返す。
「どういうことも…… ダテ様のお考えの通りです。私の細かな言葉にお耳が行き届くくらい、予想がついてのことなのでしょう?」
最早隠すことはない、全て言う肚は決まっている。彼女の声色はダテにそう訴えているようだった。
「……では、本当に全て知っていながら神父は…… わざとアロアに訓練すらも施さなかったと……?」
「へっ……?」とアロアが、ダテの発言に思わず声を漏らした。今は流れてくるままに話を聞くことしかしようがない、そんなアロアにイサが目を向ける。
「ええ、この件について神父には、個人的に何度となく進言をして参りました。苦言と言ってもよかったでしょう。本来であれば十二年前、選ばれた直後からアロアには戦いについての手ほどきを行わなければならないはずなのです。ですが神父―― レナルドがこれまでアロアに教えたことは基本的な攻撃魔法の撃ち方一つのみ。それさえも、大き過ぎる力の最低限の制御が出来なければ危険であるから、そのためだけのものです」
「では、最大の合月魔法…… その祝詞は誰が教えたのです?」
その一言に、イサがダテへと向き直った。その動きには彼女にしては珍しい、ダテが初めて目にするような驚きが見られた。
「……なぜそれを?」
「偶然です…… アロアが寝言で言うのをたまたまに耳にしたもので」
イサは短く「そうですか」とため息混じりに答えた。
「ひょっとして、イサさんですか?」
「……ええ、儀式で使う言葉なのでしっかりと覚えなさいと言い含め、持たせました」
再び、イサの顔がアロアへと向けられる。
「アロア、合月の日の言葉は憶えていますか?」
「あ、ああ……」
「……あれは大変に危険なものです。勝手なようですが、もう忘れなさい。忘れられなくても、決して魔力を込めて口にしてはいけません」
「え? 忘れちゃっても…… い、いいのか……?」
「ええ…… もう、大丈夫です」
不思議そうに見つめるアロアにそう促すイサへ、ダテは首を傾げる。
「……魔法の中身を理解してらっしゃるようですが、どうしてあれをアロアへ?」
「危険は重々承知ですが…… いざという時、ただ殺されてしまうよりは希望がありますから……」
「なるほど……」
育ての親としての悲壮な決断に、ダテは一言とともに目を閉じた。
「な、なぁ…… イサ……」
「はい……?」
口を挟んでいいのかもわからず、おっかなびっくりとアロアが尋ねる。
「神父は…… その…… どうしてわたしに戦いの練習をさせなかったんだ……?」
「そうですね……」
イサは少しだけ、言うに迷うような間を見せてから、微笑した。
「……あなたにそのような過酷な戦いは、させたくないそうです」
「えっ……?」
「戦いをさせたくない? イサさん…… それは……!?」
その答えに驚きダテが割って入った。彼女の言葉がその通りだとすれば、慣習に逆らった不自然に思えるレナルド神父の行動に、ある推察が成り立つ。
「レナルドは…… 自らがアロアの代わりに、『合月の儀式』を執り行うつもりなのです」
聞く者達はそれぞれに、それぞれの驚きを覚えた。
アロアはまさかの庇護に、シャノンはまさかの別の敵対者に、そしてダテは――
『なんだそれは…… あの神父…… いい人だってのか……?』
『大将……?』
まさかの意図に、驚いていた。
「イ、イサさん…… 一つ…… いいですか?」
「はい……?」
「神父は…… お母様の容態が悪く教会を出ていたと聞いていたのですが、神父の帰った先は……」
イサは首を振り、「申し訳有りません」と前置きをした。
「神父が出て行った先は、都です。儀式に関連することなので皆には嘘を申しました」
「う…… 嘘?」
「へ? 神父の母ちゃんって病気じゃなかったのか?」
「ご高齢ですが、息災だそうですよ? 母には悪いな、と神父はおっしゃられていました」
ダテは頭を抱えた。そうであるならばあの日の、いるはずの無い場所にいたという神父の不審な動きも説明が付く。
「ち、ちなみにイサさん…… 神父はどういった用で都に?」
「教会の代表として、法王より『選ばれし道士』が儀式で振るう『二柱の杖』という強い力を秘めた錫杖を授かりにです。儀式が終われば、また別の理由を付けて錫杖を返還しに行くことになるでしょう」
「な、なんかすごそうな杖だな…… 法王がわたしに貸してくれるのか…… ん?」
大きな話にこんな時でも素直にわくわくしかけたアロアが、ふと気づいて手をぽんっと打った。
「おお! ダテ! 神父がまた出ていくんならお前まだ教会にいていいんじゃないか?」
嬉しそうな笑みを見せてくるアロアの声に、ダテは頭を抱えたまま反応を示さない。
「んん……?」
その様子に怪訝な顔を見せ、もう一声かけようとした矢先、ダテが動いた。
「神父は…… 勝てるつもりなのですか? 先代であるとはいえ、前代となっているということは聖なる力は注がれないわけでしょう?」
イサの目が、値踏みするようにシャノンに動く。顎に手を当て、少し考えるそぶりを見せた後、答える。
「……それはわかりませんね。彼は紛れもない、優れた才覚の持ち主ですから」
「……!」
ダテが教会に訪れて間もない頃、アロアの力の大きさについての把握を彼に尋ねたイサ。他者の魔力を推し量れる、そんな能力を持っているとわかる相手だけに、ダテはその答えに驚いた。
「まさか…… 相手は魔族ですよ?」
「おかしなことではありません。これまでの『選ばれし道士』は皆、平時であれば魔物や魔族に負ける要素の無い、比類無き力を持った者達でしたから」
眉を潜めるダテに、言葉を差し挟まずにいたシャノンが小首を傾げ、彼の顔を覗く。
「ダテ様」
「ん……? ああ……」
「お父様が仰っていました。私達が合月を機会に動くのは、その時以外に勝つ術がなかったからだと。おばあさまのお言葉に何も間違いは無いように思われます」
「そう…… なのか?」
「はい、特に前回の戦い、私のお祖父様の代では相手の力が極端に強く、合月をもってしても追いつくことはないだろうと見られ、違わず為す術もなく敗れたと……」
ダテは難しい表情で額に手をやり、前髪を掻いた。
「神父の仕事」を行っていたレナルド。それを行えるだけに、相当な腕の持ち主であることは察しがついていた。だが、今の話を聞けば毛色が変わる。
彼はダテに力を悟らせない、それほどの腕を持っているということになる。
「驚いたな…… そこまでの実力者だったとは……」
「『選ばれし道士』の歴史の中でも、極めて稀…… いえ、おそらくは過去最強の道士であったでしょう。二十五年前、私が見た戦いは一方的な、五分とかからぬ内容でした」
「お祖父様は決して弱くは…… むしろ一族の中では強者に類する方だったそうです」
意外過ぎる身内の過去に、「ほぇー」とアロアが唸っていた。
「……あれ!?」
難い空気を打ち破るように、すっとんきょうな疑問符が四人の耳を打った。
「どうした? クモ」
「いや、大将…… ひょっとして…… 二十五年前って例外なんじゃないっスか……?」
「……?」
珍しく真剣な表情で、ふざけた空気を見せずにダテを見据えるクモ。
「……聞かせてみろ」
長い付き合いだけにダテには予感がした。こういう時のクモは、彼の考えを超えた鋭い閃きを持っていることがある。
クモは頷き、考えを発する。
「レナルド神父は…… 『合月魔法』無しで戦いに勝ってませんか?」
その一言に、ダテは目を見開かずにはいられなかった。




