58.由々しき双月下の真実
夜風が金の髪をたなびかせ、その細い一本一本の縁に銀を反射させる。突き刺すように降る月の光は彼女の暗黒の部分を強く、強く表へと露わしていた。
目の前にいるのはたしかに、シャノンだった。
大人しくて、恥ずかしがり屋さんで、お姉さんのようで、守ってあげたくなるようなお姫様で、そして一番新しい、出会えたことも特別な、友達――
彼女は今、真っ直ぐに眼差しを向けこちらを見ている。その背中に、禍々しい『羽』を背負いながら。
その光景と先ほどまでの話が夢のように、非現実のように足場を奪う。彼女から目を離せば夜の闇に墜ちていくのではとさえアロアは思った。
青い衣の背中へと、イサは冷淡に、明確な儀の真相を告げる。
「二十五年に一度、合月の力に選ばれた『選ばれし道士』と『邪悪』は、この森の、この場にて雌雄を決する。この世界に住まう『魔族』と『人』の全てを背負い、その後の覇権を賭けて――」
夜風が、止んだ。
「それが即ち、『合月の儀』です」
木々はざわめく音を発さず、野鳥達はいずこかへと潜み、渦中の人々は動かなくなった。ダテの首だけが空へと動く。そこに張り付く月へと、その双眸を向けて。
選ばれてしまった道士が、小さな手を固く握りしめた。
「なんだよ…… それ……」
歯を食いしばり、振り向き、痛みに耐えかね絞り出すように言葉を吐く。
「なんだよそれ……! どういうことだよイサ!」
「どうもこうもありません、それが儀式の内容です」
「そうじゃない! そうじゃないだろ!」
どう感情を出せばいいのかわからない、苦いとしか出せない表情で背にしたシャノンを一瞥する。冷えた目と、その羽が目に入り、すぐさまにイサへと目を戻す。
「わたしにシャノンと殺し合えと! どっちかが死ぬまで戦えっていうのか!」
「はい、それが儀式の――」
「そうよ、アロア」
イサの答えに、シャノンが割り込んだ。感情が感じられない透き通った声が、アロアの背中を打つ。
「あなたが勝てば、この世界はまた二十五年の間、これまで通りの平穏な人間の世界が続く。私が勝てば、魔の者達が表舞台へと立てる。私達二人へと課せられた代表者としての使命よ」
坦々と言葉を並べるシャノンへと、今ははっきりと怒りとわかる表情が睨みを利かせて振り返る。
「何言ってんのかわかってんのかシャノン……」
「わかっているわ」
「殺し合えって言われてるんだぞ……!」
「ええ、でもそれを達成することが私の一族の悲願で、私に預けられた使命――」
「だったら……!」
大声で強く、シャノンの言葉を遮る。
そしてアロアは、あらん限りの大声で――
「だったらなんで今泣いてるんだよ!」
大粒の涙とともに、森の大気を振るわせた。
「あ……」
一筋、感情を失わせていたはずの頬に雫が流れていることに気づいた。気づいたそれは、堰を切ったかのように、沈めたはずの感情とともに次々と流れ出ていく。
本当は人なんて殺めたくなかった、アロアへの温かな想いがあった、父と過ごす屋敷は大きくなくてもそれだけで満足だった、ダテへの憧れと恋心があった、月は綺麗なだけでそれでよかった――
物心がつく前から知らされ、大事としていた「使命」で押し込んだはずの感情が、順番も内容も、不規則にでたらめに溢れ、一つの答えとなって自らの心に刺さる。
――私は、『卑怯』だ。
感情を抑え込み、「使命」に逃げようとした。それを果たし、全てを捨ててでもなすべき事をしようという強さなどでない。
自分は目の前の少女から受ける異端への眼差し、大切なものを失う怖さ、これから味わう感情のぶれへの面倒、全てから逃げたくて、「一族の使命」という便利な厄介事に全てを押しつけようとしていただけだったのだと、彼女は気づいた。
気づいてしまった彼女には、最早流れる涙を止める術は見当たらなかった。
「シャノン……」
「使命」が失えと言った少女は、ただ心配そうにこちらを見ていた。
「いや……」
その表情に、止められない感情が流れていく。
「戦いなんていや…… アロアを殺して、それでどうなるの……? 私…… 私がアロアを失うだけじゃない…… 友達を失って…… ひとりぼっちになるだけじゃない…… なんで、なんでそんなことしなきゃいけないの……? なんで……?」
足下が力を失い、膝が崩れ、羽の先が地面へと触れるのを感じた。ただただ、涙が零れ、もう言葉にはならなかった。
「しなくていいに、決まってる……!」
顔を上げると歪んだ目の前に、さっき付け直したばかりの記章を外すアロアの姿があった。
「でも…… しないと……」
「したらどっちか死んじゃうだろっ! そんなもんしなきゃいけないわけあるかっ! シャノンの家も、うちの教会も狂ってるんだ! おかしいだろうが!」
怒りの感情を全身に現わし、アロアが叫んだ。
そして、彼女は記章を頭上高く上げ――
「友達同士で殺し合えなんて言うやつは頭おかしいクズだ! 神様の……! 世界のバカヤロー!」
勢いよく、記章が草地へと叩き付けられた。
音も無く、バッジは草に跳ね、転がり、静寂が広がる。
――乾いた、拍手が鳴った。
「……?」
「ダテ…… 様……?」
場にそぐわない、間の抜けた祝音に二人が顔を向ける。
声を立てず、本当に愉快そうに笑う男と、それに釣られたようににんまりする妖精の姿があった。
「いやぁ、よく言ったよく言った。そうだな、その通り、まさにその通りだ」
「世界のバカヤローって、大将が良く言うセリフのベストテンには入りますよね?」
「おう、入るな、ベストスリーには入れたいところだ」
その緊張感の無さに、二人は呆気に取られた。
「困りますよ、ダテ様。神様への暴言はよろしくありません」
「いえいえ、世界への、です。まぁ、今回これをやれというなら神様もバカヤロー呼ばわりされても仕方ありませんがね」
くすくすと、その軽口に笑うイサから離れ、ダテが二人へと近づく。その顔には、彼女らがいつも見てきたものよりも、いくらも優しい笑みが灯っていた。
「アロア、よく言ったな」
「お、おう…… とーぜんだ」
ぽすぽすと頭を叩かれながらアロアが親指を立てた。
「そんで、シャノン?」
「はい……? あたっ!」
ダテが屈み込み、つーんと、人差し指でシャノンの額を小突く。
「おじさんちょっとがっかりだよ? 頼りなく見えるかもしれんけど、もうちょっと俺を信じてくれてもいいんじゃないか?」
「ダ、ダテ様……?」
涙目で彼女は額を押さえていた。その仕草に、ダテはニッと笑う。彼の後ろから、ゆっくりとイサが歩みよった。
「ダテ様は、あなた達に最悪のことが無いようにと、今日の機会を作ってくれたのですよ」
「へ……?」
はたと、アロアは当たり前のことを思い出した。話があるからと呼んだのはダテ、ならば彼は――
「くぉらダテ!」
「んごっ……!?」
「アロア!?」
ゴッと、わりと良い音とともに、アロアの頭突きがダテの額に炸裂した。
「お、お前いきなり何を……」
「うっさいわドアホ! お前全部知ってたんだろうが! もったいぶらんともっとやわこく教えてくれてもいーだろっ! 大声出して恥かいたわっ!」
「バッカお前……! 俺も今知ったとこだ! 勘違いすんなっ!」
そのダテの言葉に、シャノンがきょとんと彼の顔を見る。
「今…… 知ったのですか?」
「お、おう…… 正確にはな……」
イサが法衣の胸元から、一通の封書を取り出した。封書にはドゥモの記章と、複雑な意匠の印が押されていた。
「ダテ様はご自分で日々情報を集められ儀式の内容に迫られました。そして法王より直々に、この儀式の詳細を知る許可を得られたのです」
「法王から……!? それ…… 法王からの手紙なのか!?」
「……昨日お前らが服買いに行ってる間に会ってきたんだよ。それで昨日の夜、法王に言われた通りに貰った手紙をイサさんに渡して、シャノンとお前の関係を話したらお前らを集めてくれってな。だから、今の話を聞くのは俺も初めてなんだよ」
都について早々に「用事がある」と言っていなくなったダテ。都に住んでいたと聞いていただけに挨拶回り程度のものだろうと思っていたアロアは、その用事の相手に驚かざるを得なかった。
「法王ってお前…… なんで法王に会いになんて……」
ダテに尋ねるアロアに対し、イサが答える。
「ドゥモにとって、人の世にとってそれだけ大きな話だということです。救われるか、魔に呑み込まれるか、合月の日の成果がその全てを決めるわけですから。『選ばれし道士』であるあなたのことも、法王はちゃんとご存知なのですよ」
今更の話のスケールの大きさに、アロアが愕然と言葉を失う。正直、平静が戻ってくるともう何が何やらで、何から聞いていいのかもわからないくらいだった。
そんなアロアの後ろで、座り込んでいたシャノンがすっと立ち上がった。
「ダテ様。ダテ様は…… どうして合月の日の情報をお集めになられていたのですか? 法王からの依頼なのでしょうか……?」
「いや……」
ダテはかぶりを振り、草の上に転がっていたアロアの記章を拾い上げると、アロアの手を取ってその上に乗せた。
「俺はレナルド神父の代わりに、神父の仕事をするためにアーデリッドへとやってきた、それだけだよ。ただ、教会の書庫にあった魔法書、それに載っていた『合月魔法』に興味を持ってこっそり調べ出したら、たまたまここまで辿り着いたってだけだ」
「……? 紫色の本か?」
「ああ、初めて練習する日だったか、お前魔法書が二冊あるっていったろ? それに載ってたんだよ。合月の日だけ使える魔法があるってな」
「合月魔法…… そんな魔法が……」
その存在はシャノンも知らないようだった。
「その魔法を調べていくうちに色んなことがわかってきてな、なんとなくだが、これはアロアもシャノンも関わっている、キナ臭い話だとピンと来るようになった。んで、法王に問い詰めに行ったってわけだ」
「んで、じゃねぇよ、相手法王だぞ……」
唖然とするアロアにくすりと笑い、イサがダテに目を向けた。
「私に聞こうとは思わなかったのですか?」
「多分ですけど、答えてくれなかったでしょう? 失礼ながら、問い詰めるにはイサさんよりも法王の方がまだ楽そうだな、と思いましてね」
「あらいやだ。でも、良い選択でしたわ。私は見届けるのが役目、儀式に関しては何も答えられない立場の人間ですから」
穏やかに言うイサに失笑しつつ、ダテは改めてアロアとシャノンに向き直る。
「ま、そういうわけだ。俺は今の話、最悪の話を予想して、それをなんとかするためにこれまで動いてきた。そんで、幸いなことにイサさんも俺と同じ思いらしい」
イサが微笑を口元に、肯定するように目を閉じた。
「さぁ、こっからだ。ふざけたこの儀式とやらを、今回で終わりにしてやろうぜ」
強い眼光が渦中の少女達を射貫く。
彼の顔には、彼女達が見たことのない、最も彼らしい仕事人の力強い笑みが宿っていた。




