57.赤黒き羽の顕現
雲一つ無い満天の星空、大きく、一際輝く天体へとイサが指を伸ばす。
真白い二つの月は意識しなければ一つに見えるほどに重なり、完成までの時の近さを知らせていた。
「アロア、あの月が重なる周期は知っていますね?」
「あ、ああ…… 二十五年? ……に一度だっけ……?」
十五歳のアロアは見たことが無い、十七のシャノンにしても勿論。この世界に現れて一ヶ月のダテは知ったばかり。
空に伸ばしていた手を下ろし、この場で唯一、過去それを我が目にした者、イサは話を続ける。
「そう、二十五年に一度、完全に交わった月は一つのものとして見え、その時間…… この世界には魔力が吹き荒れます」
「魔力が……?」
よくわからないといった様子のアロアにダテが手を上げ、彼が作り出した光の玉を指差した。
「あの月が距離を狭めるごとに、この世界の魔力は増大しているんだ。この光の魔力もそう、いつか見せてやった他の魔力もそう…… 最近林の魔物が強くなったのもそのせいだ」
「え? じゃあ…… 完全に合わさったら……」
「世界の魔力は最大になる」
イサは頷き、ダテに顔を向けた。
「その通りです、ですが…… 完全に合わさった、合月の夜の三時間は少し違います」
「……?」
「聖なる魔力と、暗黒の魔力…… その二種の魔力のみが荒れ狂う時間が来るのです」
「二種…… のみ?」
「はい、そして、その言葉にも出来ないくらいの大いなる魔力は、このアーデリッドの、わずか二者のみへと集束されるのです」
ダテの目が見開かれた。
「もうわかりますね、アロア」
「え……?」
皆の顔を見比べつつ、視線が自らに集中していることから、間違いないと気づく。
「わ、わたしか……!?」
「ええ、聖なる魔力…… この世界に満ちる増大された魔力の片方は、全て『選ばれし道士』であるあなたの元へと注がれます」
「は、はぁ……!?」
あまりの内容にアロアは呆気にとられた。世界の魔力が全て自分に注がれる、それがどういうことになるのか、何かとんでもないことが自分に起こるという以外に思いようがない。
「すみません、イサさん…… ちょっといいですか?」
「はい」
「『選ばれし道士』…… その選択は? まさか、クジじゃありませんよね?」
小さく中途半端な挙手とともに、ダテが質問した。イサが静かに頷く。
「十二年と半月に一度、ルーレント教会にいる修士の中から、最も相応しいとされる者を神に選んで頂きます」
イサはアロアへと歩み寄り、アロアの法衣の胸元に留められたドゥモの記章を外した。
「礼拝堂の天窓から射し込む月の光の下、台に置かれたこちらの記章へと手をかざし、触れることなく手元へとたぐり寄せ、我が物とした者が『選ばれし道士』の任を負うのです」
イサの手のひらに乗せられたそれが、ダテに向けられる。
「少し、失礼」
横長に、青と黒を半々と分けられたドゥモの記章をダテは受け取り、確かめる。鉄の感触のバッジ、裏側には彼も良く知る、安全ピンと同じ形状の留め具があった。ダテはその裏側の留め具の真新しさに違和感を憶える。
「……これは、ひょっとしてずっと同じものを?」
「はい、代々の『選ばれし道士』に継がれていきます」
ダテは指先に薄く、聖なる力を灯して記章の表面に触れた。記章は磁石のように、ダテの指先に張り付く感触を与える。
「なるほど、ありがとうございます」
一礼し、記章をイサへと戻した。
「当時のアロアは三歳、本人は憶えてはいないようですが、確かにこれをたぐり寄せました。見ていた私と神父は随分と驚いたものです」
記章をアロアへと手渡し、イサはダテの隣へと戻る。
「この選出の方法がいつからなされたものかは定かではありませんが、これにより選び出された者がお話の中に出て来る贄の少女と同じく、合月の日に力を授かることは確かなことです」
「確かなこと…… 確実にですか?」
イサに質問をしながら、ダテは記章を付け直している最中のアロアに目をやっていた。
「ええ、これにより選ばれ…… 合月の儀を完遂したレナルドを見ていますから」
皆の顔が驚きの色とともにイサへと向いた。
「神父……!? レナルド神父が、二十五年前の『選ばれし道士』……!?」
「へ……? そんなの初めて聞いたぞ……?」
イサは目を閉じ、かぶりを振った。
「言わないようにと、神父より止められていましたので」
「イサさん、それは決まりですか?」
「いえ…… 確かに『合月の儀』については言わないことが決まりですが、前代を伏せなければならないという決まりはありません。むしろ、指導していく上でも明かしておくべき事柄です」
「では…… なぜ神父は……?」
目を開き、ダテを見るイサ。その表情はこれまで彼が見たことの無い、苦悩を色濃くした硬いものに見えた。
「わかりません…… 前代による自身の秘匿、これは今までのルーレントの歴史には無いことです」
彼女の表情と強ばった声色が映るかのように、ダテが目元を鋭くした。
「な、なぁ…… イサ……」
大人二人が表情を難しくしたせいか、その声は場にそぐわず、妙に間延びして聞こえた。
「せ、世界の魔力が私に注ぎ込まれるって…… さっきの話からすると…… ひょっとして……」
「……!」
ダテは『彼女』に振り返った。
「わたしって…… 合月の日になんかと戦うのか……?」
イサの視線が一度、アロアの少し後ろへと下がっていた『彼女』へと動く。そして頷き、アロアを見据え、イサは口にした。
「聖なる魔力と暗黒の魔力、増大された二つの魔力の片方、聖なる魔力は『選ばれし道士』へと注ぎ込まれます。そして、もう一つ、暗黒の魔力は…… 『邪悪』へと」
「じゃ、邪悪? 邪悪って……」
「私よ」
アロアの後ろに、彼女は立っていた。
ダテの作った光の玉と、夜空から射す月光に照らされる彼女は、その容貌に見合わない赤黒い羽を背中に、磨き抜かれたペリドットのような緑の瞳を輝かせ、立っていた。
「シャ、シャノン……?」
その力は、魔力を感知することなど教わっていないアロアにも感じられた。まるでその存在を知らしめようとするように、無遠慮なまでの暗黒の魔力が彼女をとりまいていた。
「合月の日とは、決戦の日。あなた達教会と、私達魔族との長きに亘る戦いの歴史なの。そして――」
シャノンは力に押され、みじろぎするアロアに一度目を閉じ、意志を持って開く。
「あなたと私の…… どちらが生き残るかを決める日よ」
双月の中、危機を察知して空へと逃げ惑う野鳥達が群れをなし、空を占める小さな黒いシルエットとなって泣き叫んでいた。




