54.忙しき夜空への脱走
先行するシャノンに続き、ダテは邸内を歩く。薄暗いのが普通なのか、周囲の格調高さを思わせる深い橙赤色の壁には一定の間隔でランプが取り付けられており、それらは彼らの歩みに合わせて明滅していた。
「こちらは…… ダメですね」
扉を開き、閉める。ようやくと状況に慣れ、頭からの煙が消えてくれたシャノンだが部屋の案内は滞っていた。
「なぁシャノン、ひょっとしてこの屋敷って形が変わるタイプか?」
「あっ、はい……! よくご存知で……!」
「やっぱりか……」
一般に所有する領域内に潜む魔族は建築技術などを必要としない。彼らの住処とその領内は彼ら次第で望む形のままに変化するのが普通だった。
魔族の領域に共通する紅い空はともかく、この屋敷の趣味は多分にファデルのものなのだろうとダテには見当づけられた。
「最近は変化が激しくて…… 今まであった部屋が無くなっていたり新しく増えていたりと、私にも少し把握し辛いのです」
「無くなるのは困るな、寝ている間に壁の中に放り込まれるとかはシャレにならん」
「いえ、それはさすがに大丈夫です。無くなるのは私やお父様にとって認識の薄い部屋だけですから」
答えながら周囲を見渡していたシャノンの目に、真新しい見覚えの無い扉が映った。彼女は不思議そうな顔で扉の前に立つ。
「どうした? シャノン」
「いえ、新しい部屋が……」
『広いお屋敷も大変っスなぁ……』
何はともあれ、屋敷の内部を把握しておくのは家人の務めでもある。シャノンはノブを捻り、扉を開ける。
その内部に、シャノンよりもダテが驚きを見せた。
「お!? おお!? この部屋って……!」
それは先ほど「つまらん」とファデルが一見で興味を無くした『客間』だった。
『大将! ローちゃんもちゃんとあるっス! 間違いねぇっス!』
なんとなく可愛らしいデザインだったことからクモがローちゃんと名付けたローテーブル。都に移り住んでまもなく「こたつ」っぽい高さのテーブルを探したダテに無理矢理買わせたそれを、おねだりした妖精はよく憶えていた。
「都の俺の部屋じゃないか…… どうして……」
驚きながら中に入り込み、部屋を見回すダテに、ちょっと赤くなりながらシャノンが頬に手を当てて答える。
「な、何か妙だとは思ったのですが…… このお部屋、私の力しか感じません。きっとダテ様に相応しいお部屋をと考えるあまりつい、作ってしまったのかと……」
「お、おお…… ありがとう! ありがとう!」
「ひゃ、ひゃあ……!」
その心遣いにじ~んときてしまったダテは、思わずシャノンの両手をとってぶんぶんと上下させてしまっていた。あまりの急さに煙も出ないくらい動揺するシャノンだが、きっと後で出る。
『あれれ~、でもおかしいスよ~?』
「……あん?」
妖精が部屋をぱたぱた見回しながら、どっかの名探偵のようなわざとらしい口調でニヤニヤしていた。
『ベッドが一つ増えてるっス、どういうことなのかしらんっス』
ぼぼんっと、盛大にシャノンから煙が上がった。さっきのとは関係無くやっぱり出た。その様子に、好機とばかりに妖精が空中をぬるんとシャノンに詰め寄る。
『あっれぇ~? ひょっとして同じ部屋で寝ようとか思っちゃったっスか~? それともあっちの家で一緒に住むところを想像しちゃってたとかぁ~?』
「そ、そそそそれは……」
――ひょい、ひゅっ、べちゃ!
襟首を掴まれた妖精が壁に投擲された。
「調子のんな、シャノンが困ってるだろうが」
『ひゃ、ひゃいっス……』
壁をずりずりと下がってくるクモには悪いが、実は結構に色々と図星だったらしくシャノンはホッと息を漏らす。
「さてと……」
「……?」
ダテは都の家でそうだったように、入り口で靴を脱ぐとローテーブルの傍へと行き、シャノンを振り返った。
「シャノン、大事な話がある。入ってくれ」
彼女は改まった彼の表情に促されるままに、昨日と同じ席へと歩むのだった。
~~
今夜も煌々と射し込む月の光。彼女はベッドの上でごろごろとしつつ、最近は雨が降ることもなければ、曇ることすら無いなと、そんなことを思う。
開けた窓から入り込む外気は、近頃は随分と冷たいものに感じられた。
「んん…… さむ……」
横を向いて手足を体に寄せてひっこめ、毛布にくるまる。しばらくそのままで、暖を取るようにじっとしていた彼女は、やがて諦めるように四肢を伸ばし、仰向けに天井を見上げた。
「眠れねぇ……」
いつも通り部屋の明かりを消し、そのままでいるため時間のほどは定かではないが、おそらくは二十時半か、ひょっとすれば二十一時になっているのかもしれない。だが今日は目が冴え、まだ眠れる気がしなかった。
心当たりはある。夕方の居眠りが原因だろう。夕方から夕食の前まで、皆が何に気を遣っているのか眠ったまま放置されてしまい、ノナが起こしにくるまで二時間近く眠ってしまっていた。今日やすやすと眠りにつけないことは予想出来ていた。
しかし、それだけになく、何か心がざわついていた。どうしてなのかはわからない。ただ、月の光を見ていると何か体の奥底から気力のようなものが湧き、眠気が失せていくのだ。
「もう……! 明日も早いってのに……」
あいつはもう帰って行った、ならばもう身の回りに不思議なことなど起こりようも無い。月の光で眠れないほどに目が冴える、そんなはずはない。これからはただいつもの日常が続く、それだけだ。
彼女はそう思い込み、感覚を閉ざし、眠りを妨げているであろう常識的な障害を取り除きに身を起こす。
「めんどくさいなぁ……」
寒風の入り込む窓。それを閉めさえすれば体が温まり、自然眠くなる。そのごく当たり前を求め、彼女はずっと開いたままになっていた窓へと手を伸ばし――
「よう、アロア」
居るはずの無いその人を、窓一枚隔てた数十センチの距離に見た。
「うわわわわわっ!? ダダダっ…!」
「しっ……! 騒ぐな……!」
人差し指を口元に当てる、よくわからないジェスチャーでそいつは注意を促した。
「ダ、ダテ……! お前なんで…… 帰ったんじゃ……」
夢か幽霊か、意味不明な再会に窓を開け放ち確認するが、目の前の男は間違いなく、今日別れていなくなったはずのダテだった。
まさかの事態に、アロアの中には疑問以外に何も浮かばない。
「邪魔する、ちょっとそこどけ……!」
「あ、ああ……?」
真剣な表情にアロアが身を横へとやると同時、音も無くダテは彼女の部屋へと飛び込んできた。同じ部屋で同じ高さの床に立つ彼は、昨日隣に見上げていた彼そのものだった。
「お、お前……」
「すまん、帰ったのは嘘だ。お前に大事な用があって迎えに来た」
「わたしに……?」
「取りあえずここを出るぞ、なんでもいいから着ろ」
はたと、自分の姿を見る。薄いネグリジェ一枚だった。
「お、おわぁっ!」
「だから静かにっ……!」
わたわたと、とりあえず脱いだまんま放置してあった法衣をひっつかみ、バサリと上から被った。
「おおお、お前なぁ……!」
体裁を整えて即、真っ赤になって一応の文句をひっかけようとした彼女の前で、ダテは妙な形の紙切れをベッドの上に置き、何か念じていた。
「……?」
彼にしては珍しい、本気で集中している様子に言葉を失う。すぐさまに、紙切れが青白い発光を見せ、強い存在感のようなものを示した。
「な、何をやってるんだ……?」
「……これを首から提げろ」
そう言ってダテが差し出した物を、言われるままに受け取る。
「なんだこれ……? あれ……? これって……」
小さな赤いポーチに、黒く細長いベルトが輪状に付けられた物。それが何かはわからないが、その細長いベルトには見覚えがある。昨日、ちらりとシャノンの首筋に見えていた黒い紐、それにそっくりだった。
「説明は後でしてやる、今は手早く身に付けてくれ」
何やら少し怖いくらいの雰囲気で急かすダテに、アロアは素直にそれを首へとかけた。その途端にダテの表情が和らぎ、現れてから初めて彼らしい、緩い微笑みを見せてくれた。
「急かしちまって済まないな、ここは結構な勝負どころなんだ」
「勝負……?」
わけもわからず呆けるしかないだけのアロアに、全く抵抗出来ない動きで彼が詰め寄り、アロアは気づく間も無く抱え上げられていた。
「ちょっ……! ダテ……!」
「悪ぃ、文句は後だ、もう行くぜ」
ダテはそのまま宙へと浮き、暴れる暇さえ与えない速度で窓を飛び出し、夜空へと抜けていった。アロアは彼の目的地まで、胸元にしっかりとしがみついている以外に他なかった。




