51.遠き地より帰りし者、へと帰りし者
それは始まりの日を再現するような光景だった。
ガラガラと、二頭の馬に引かれる車が教会の前へと滑る。
「お帰りなさいませ」
法衣に身を包んだ男が馬車を降り、御者が黒い旅行鞄と、布にくるまれた長物を彼へと手渡した。彼は出迎えの挨拶に現れた、慣れ親しんだ修士へと微笑みかける。
「ただいま」
ルーレント教会の長。レナルド神父の帰還だった。
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「そうですか…… それは本当によかった……」
「はい、教義に反するような真似をしてしまい、申し訳有りませんでしたが……」
「いえいえ、快方に向かわれたのでしたらそれが一番です。私には難しいところでした、ありがとうございます」
初日とほぼ同じ、昼を少し過ぎた時刻の応接室にて、ダテはこれまでの業務の報告を行っていた。
普段の業務から豊穣の日まで、教会としての運営にはなんら問題は無く、その時間の大半はダテが請け負っている「神父の仕事」へと割かれた。
強力な魔物が蠢くようになった林への警戒も重要な事柄ではあったが、やはり個人を相手とする往診の報告はダテの治療の精度もあり伝えることが多く、簡潔を努めても一時間を過ぎる時を要した。
「いや、さすがはダテ様ですな…… 正直なところ私の予想以上でした」
「いえ…… 不慣れなもので……」
「はっはっ…… しかしこれは困りましたな、ダテ様がお帰りになって往診が私に戻れば、村の皆に不満が出るかもしれません」
「そんなことは……」
大柄なレナルドとのやりとりはつつがなく、他愛の無い歓談とともに過ぎていった。
~~
時刻は十五時を過ぎ、訪れた時と何も変わらない蒼い空の下、教会関係者と一部の村の者達、総勢三十名ほどの者がその場所、ルーレント教会の庭に集っていた。
「ダテ様…… ありがとうございました……」
「いえ、お元気な姿を見られて嬉しく思います。あなたの頑張りのおかげですよ」
老人とダテが両手を取り合い、握手をする。老人は自らの両の足で、しっかりと立っていた。
「ダテさま~、またきてくださいね~」
「ええ、またいつか、ノナさんもお元気で」
半泣きになっている、というか泣いているノナと握手し、優しく肩を叩いてやる。
「この度はお世話をおかけしました。献身なお務め、ありがとうございます」
「いえ、私こそ学ぶところの多い日々でした。やはり、アーデリッドは良いところでしたね」
互いに礼をかわし、イサとも握手をする。
四方を山に囲まれた、蒼い空のアーデリッド。何も変わらないその場所は、ただ少しだけ、山から降りる透明な空気が冷たくなっていた。
「アロア」
話し掛けられるままに目に入るままに、村人や修士達と挨拶をかわしていたダテは、教会を背に並ぶ修士達の一番隅、一段小さくなっている頭に声を掛けた。
「ぉ、ぉぅ……」
ちらちらと、アロアの目線が上がろうとするも、顔を見ようとはしない。その様に、ダテは声なく笑い、拳を彼女の眼前につきだした。
「……?」
不思議そうな顔が、ダテを見上げる。今日初めて、顔を合わせた時だった。
「お前も、同じように手を出しな」
「え……? ん……?」
言われるままに法衣の袖に包まれた手が、ダテに向けて上げられた。
握り込んだ小さな拳に、ダテの拳がこつん、と当てられた。
「じゃあな、アロア。またな」
拳を当てられたほんの小さな痛み、それに呆ける表情を見せ――
「おう……!」
パチン、と、アロアの拳がダテの拳を打つ。その顔には笑顔が灯っていた。
おどけるように痛がるそぶりを見せ、ダテは彼女に背を向けて歩き出す。
彼は庭先に待つ馬車の手前で、皆に振り返った。
「皆様、お見送りありがとうございました。出来ることであるならば、これからも変わらぬ、心安まるアーデリッドであってください。皆様に神の祝福があらんことを!」
そう叫び、左から右へと振られた彼の手から黄金の光の粒が空へと上がり、光は雪のように、教会の庭に降った。
別れを惜しむ人々の表情が、驚きとともに神秘的なものへの好奇へと変わっていく。
彼はそんな彼らを置き、御者を促して馬車へと乗り込んでいった。
やがて馬車が動き出すと、光に囚われていた人々が我を取り戻し、庭から外へと出て呼びかけながら手を振り出した。
遠く、遠く、馬車は教会を後に、彼らを後に離れていく。
「……そんなごたいそうな男でもないんだがなぁ」
「何か、言われましたか?」
「いえ」
ダテは馬のひづめの音を聞きつつ、束の間の別れに目を閉じた。
終業へと至る第一歩。その模索を始めながら。
~~
「そうですか…… では、滞りなく?」
「ああ、準備は出来た」
修士達が夕餉の準備にかかった頃、神父の執務室にはイサとレナルドの姿があった。机についているレナルドがイサの背後に首を向け、イサがその視線の先へと振り返る。
彼女の背後、そこには、白い布に包まれた長物が壁にかけられていた。
「二柱の杖…… 拝借出来たのですね。法王はなんと?」
「ご用意なされていたようだ。しかと届けるようにと言われたよ」
「そうですか……」
イサの目が、感慨深そうに長物に注がれる。その布に包まれたシルエット、先端部分の膨らみが、若かりし頃の記憶を想起させた。
「また見ることになるとは…… 時の流れとは早いな」
「ええ…… 昨日のことのようです」
パチリと、レナルドが手にしたカッターで葉巻の先端を切った。
「レナルド、お聞きしますが」
「なんだ?」
マッチを手にしようとしていた手が止まる。「神父」をつけられずに呼ばれたのは数年ぶりのことだった。彼の目が、イサの背中へと注がれる。
「……錫杖が小さいですね、法王のご意志ですか?」
レナルドは数秒と動きを止めた後、長いマッチを擦り、葉巻を炙った。
「……法王は慣習通りに動かれているだけだ。元より、私に口出しする権利などないよ。だが――」
一つ煙を吸い込み、静かに吐く。
「ご意志であろうとも、従うわけにはいかぬこともある」
「よいのですか……?」
「もちろんだ。大事な子をそのような目に合わすなど納得がいかん」
こちらを見ぬイサへと向かい、眼光を強めて彼は言う。
「予定通り、杖を振るうのは私だ」
~~
馬屋の並ぶ、馬車の乗り合い所。アーデリッドとの境にあるその場所にてダテは下車した。馬車は同じものが一直線に都へ向かうわけではなく、馬の疲れを計算して何度となく各地の乗り合い所を乗り換えとともに経由する方式となっている。世界は違えども、生き物を交通機関にしている場所では比較的当たり前の運営方式と言えた。
御者と別れ、一人になったダテは新たに馬車を選ぶでもなく、辺りを見回しながら闊歩する。
『さ~て、来てますかねぇ?』
『ん~、俺の計算ではもう来ているはずなんだが……』
懐中時計を出して確認する。約束の時間から十分遅れだった。
『あ、大将、気配探ればいいんじゃ……』
『いや、ほら…… 玉あげちゃったし……』
『あちゃ~……』
クモと二人、ダテは首を振って辺りを確認する。ほどなく――
「ダテ様~~!」
満面の笑顔とともに、周囲の馬番達を惚けさせながらその青いドレスの少女は走りよってきた。夕暮れの斜陽に、金に輝く長い髪が踊る。
「シャノン、悪い、遅れた」
「いえいえ、私も今着いたところです!」
「そうか、それはよかった……」
「はい!」
この安心しきったような喜びようといい、周りの男達の惚け具合といい。三十分以上前から来ていたのは明白だったが、クモは黙っておいた。
「よし…… じゃあ、アーデリッドに戻るぞ!」




