48.眩き蝶と信頼
部屋に備え付けの風呂で返り血を落としたダテは新しい法衣に着替え、アロア達とともにテーブルを囲んでいた。
「いや、すまんすまん、そうだな、そりゃ俺が悪かった」
「まったくもう……」
クモが目を線にして、困った顔を作っていた。
「それで大将、あの人達は?」
「おお、倒した。シャノンの服もちゃんと回収しといたぞ」
「えっ?」
「玄関な」
ちらりとその方向を見るダテにシャノンが釣られて玄関を見る。羽交い締めにされた時に手を離した、見覚えのある紙袋が置かれていた。
「アロアの法衣と一緒にあいつらが持ってきてたらしい。ラッキーだったな」
「あ、ありがとうございます……」
「いや、そうじゃなくってっスね……」
「わかってるって…… さっきの連中のことなら――」
部隊長を含めかかってきた修士隊全員を散々に殴った後、ダテはもう来ないことを確約させて大規模な回復魔法をその場で放ち、彼らを帰していた。一応はきちんと、ダテの前でではあるが二人に対する謝罪は言葉にさせておいたらしく、隊としてのやり方が変わるかはともかく、少なくとも今後二人に手を出してくることはなさそうとのことだった。
「まぁ…… 一応? なんつったかあの隊長、あいつには追跡出来る魔法をかけてる。なんかもめ事起こしてくるようならすぐに対処は出来るさ」
口約束は口約束、その場を見ていないアロアとシャノンにはなんとも言えない内容だったが、二人にしても今は無事であり、どの道都にいるのは今日だけのこと。今が収まったのであればそれはそれでいい話だった。
「なんにしても…… すまん。謝る以外にしようがない」
「へ?」
話の終わり、唐突に自分を向いて頭を下げるダテにアロアは面食らった。
「まさか犯罪扱いされるとは思いもしなかったが、宗教ってのがややこしくて、法衣が問題になるってことは頭にはあった。ほんの十分ほど外を歩くだけなら問題無いだろうと軽く考えた俺のミスだ。シャノンも、すまん」
「い、いえ…… そんな……」
ダテの真摯な謝罪に対し、アロアは目線を逸らして決まりが悪そうにし、ほっぺたを指先で掻いていた。シャノンも両手を軽く前に、ただただ困るという様子を見せる。
ダテのミスであり、随分な目に合わされたのは事実。ただアロアにしてもシャノンにしても、彼が窮地から救ってくれたイメージの方が強く、謝られるということがどこか不当なように思えていた。
「まぁ、完全に大将のミスっスな、連れてきて早々に女の子置いてけぼりにするわ、事件起こさせるわしたわけですから」
「ク、クモさん……」
腕を組んだ妖精がダテの頭に向かって遠慮なく言い、シャノンが焦った。ダテが顔を上げ、クモを見る。
「と、いうわけで大将、とっととここにいる全員に回復魔法使ってください」
「か、回復魔法? それなんかの比喩か?」
シャノンがはっと自分の左腕に右手を被せた。
「シャノン?」
「あ、いえ…… なんでも……」
その様子を目ざとく見つけアロアが聞いたが、シャノンは笑顔を向けて誤魔化した。アロアは気にしているようだったが、ダテとクモの会話は続く。
「違いますよ、そのまんま回復魔法です。あの蝶々っぽいやつが見た目も綺麗でいいっスな。とっととやるっスよ」
「お、おう…… ってあれか? あんなのなんで……」
「なんでもいいからやるっス」
促されるままにしぶしぶと両の手を合わせ、魔力を込めるダテ。目を閉じた長い沈黙に、アロアとシャノンも彼を注視し、見守る。
やがて、ゆっくりと開かれた手の中から、四枚の羽を持った緑色の光が溢れんばかりに飛び立った。その姿は確かに蝶のようであり、妖精のようでもあり、その幻想的な光は一羽一羽、意思を持つかのように部屋を飛び交う。
「ほわぁ~……」
アロアが感嘆し、ひらひらと飛び交う光のイリュージョンを見回す。シャノンは言葉も無く、その光景に見入っていた。
「ん~…… やっぱお昼にやるとイマイチっスな」
「なぁクモ…… 『シルフ』なんてでかい回復魔法をなんで……」
ダテにはさっぱり意味不明だった。それほど力を込めていない今にしても、十数人を一度に回復させられる中規模回復魔法。怪我人がいないはずの今に使うにはやりすぎな無駄使いだった。
そんなダテの疑問はよそに、光の蝶達は放った本人を含め、回復などは不必要なクモに対してまでも取り囲むようにひらひらと飛び回り、室内を空間ごと癒していった。
光は一羽、また一羽と去り、部屋は開け放たれた窓から聞こえる都会のざわめきとともに、ほんの数分前の現実へと戻っていく。
「うん、バッチリ、グッジョブっス、大将」
「いや、だから……」
使わせた理由を聞きたそうなダテを無視し、クモは二人の前を飛ぶ。
「どうっスか? 今日の疲れがぶっとんだっしょ?」
「えっ?」
「疲れ……? あ……」
それは綺麗なものを見たからという、精神的な意味ではなかった。朝からの都までの旅路、先ほどまでの逃走劇、今日の数時間で背負った肉体的な疲れが完全に抜けていた。
「お、おおおおお!? 元気になったー!」
あまりの驚きにアロアが立ち上がっていた。疲れがなくなっている分、驚き方もオーバーだ。
「ふふ~ん、怪我を直すだけが回復魔法じゃないんスよ、すごいっしょ」
「す、すげぇー! なんじゃこりゃー!」
まるで力が溢れているとでも言いたげに自らの両の手を交互に見るアロア。
彼女を横目に、シャノンはワンピースの長袖の裾を引っ張り、ちらりとその中を覗いた。腕は白く、陶器のように一点の曇りもなくなっていた。
「さて、大将?」
くるんとクモが、ダテに体を向けた。
「元気になったらお腹空きましたな。お昼にしましょうか」
ダテは数秒、妖精の笑顔に呆けた後――
「おう」
と、一言、笑顔を返すのだった。
~~
都の大通りにある飲食店の一つ、赤煉瓦造りの店舗から伸びる緑の日除け屋根の下、三人と見えない一匹は白いテーブルが並ぶオープンテラスという小洒落た場所に座り、少し遅い昼食を取った。
キノコのテリーヌ、鶏肉のオレンジ煮込み、エビの野菜ソース添え、タルトタタン―― 知っているものから知らないものまでメニューを何品と頼み、少女二人と男一人にしては傍目に多すぎるくらいの料理がテーブルを埋め、次々と消えていった。
消したのは主に――
「柔らかい! すげぇ柔らかい!」
見たことも無い綺麗で豪華な一流の料理に舌鼓を打つアロアと――
「………………」
まるで命でもかかっているかのように、がつがつと胃袋に収めていくダテだった。
『すいませんシャノンちゃん…… うちの大将あまりにお腹空いてるときは無心で食べちゃうもので……』
「は、ははは……」
マナーもへったくれもない二人に対し、一人都会に相応しい上品な食べ方をするシャノンはその豪快な食べっぷりに苦笑するよりなかった。
「いや、食った…… 食ったな」
「都すげぇ…… ここのやつらいつもこんなの食ってんのか…… ワッフル我慢してよかった……」
やがてデザートも済み、出されたさっぱりとした紅茶を手に手に食休みに入った。
『うちの大将もみたいですけど、アロアたん、満足してくれたみたいっスな』
『ええ、よかった……』
自分だけに送ってこられたクモの思念に、シャノンは紅茶を含みながら思念で答えた。
『ありがとう、クモさん…… 気を遣ってくださって』
『気を遣うも何も…… 都に来たっていうのに追いかけ回されて殴られて、もう疲れたから帰るじゃあんまりっスからな…… 時間的にはまだまだ遊べるっス』
シャノンは目の前で、アロアとさっきのデザートについて語り合うダテをちらりと見た。
なるほど、と彼女は思う。彼にも至るところ、至らないところはある。この小さな相棒はいつも彼をそっと支え、彼もそれを知って従うべき所は従い、任せるべきところを任せるのだろう。
それは紛れもない信頼関係で、シャノンはそれを素直に羨ましいと思った。
『それにせっかくのデートなのに、なんにも楽しいことしてないっスからな!』
ぶふっ、とシャノンが紅茶をむせた。
「ど、どうした? 大丈夫かシャノン?」
「気管に入ったか?」
「あ、あ~いえ、な、なんでもぉ……」
同じような表情でくりっと心配をむける二人を、シャノンはぽぽぽっと頭から煙を出しつつ手で制した。
「そそそ、それよりこここれからどうなさいましょう!」
「ん…… これからって?」
「そういや、メシ食ってからは考えてなかったな…… クモ」
『あい!』と答えつつ、クモがダテに向いた。
「せっかくの都だし、どっか観光名所でも回ろう。案内頼めるか?」
『そいつはかまわないっスけど……』
都での滞在期間中、『仕事場』としての下見を兼ねて飛び回っていたクモにはダテ以上の土地勘があった。
『あの騒ぎの後っスよ? 大丈夫っスかね?』
「因縁つけられたらぶっとばしゃいいだけだ。かまわねぇさ」
『ヒュー! カッコいいスな大将! では、お任せあれ!』
突然に、ガタリとアロアが立ち上がった。
「どした? トイレか?」
「違うわっ!」
ビシッとダテに向けて指差し、アロアは言い放つ。
「わたし達だけ不公平だ! どっか行くならお前も着替えろっ!」
「えぇっ!?」
突然の起立から飛び出した突然の内容にダテが驚きの声を上げた。
「お、おいおい…… 俺はちゃんと法衣の上から自前の外套着て『聖職者』だって騒がれないようにしてるし、別になんの問題もないだろ……」
「ん…… その格好そういう意味があったのか…… じゃなくて! ずっこいだろ! わたし達は結構恥ずかしいんだぞこの格好!」
「え? そうか、よく似合ってると思うが……」
「んぎが……!」
魔物かカエルか、微妙な声でアロアが真っ赤になって止まった。
「それはよろしいですわ!」
が、ここで強力な援軍が椅子を鳴らして立ち上がる。
「シャ、シャノン……?」
ぱぁっと輝くような笑顔でこちらを見るシャノンに、ダテはちょっとひいた。
「是非に是非に、私達が利用した服屋の皆様にダテ様を仕立てて頂きましょう! きっと素晴らしい、世界に類を見ないダテ様が仕上がるに違いありませんわ!」
「いや、世界に俺は一人だが……」
褒められて真っ赤になっていたアロアが復帰し、顔をよせてダテを睨む。
きらきらと期待の眼差しを向けて、顔をよせてシャノンが迫る。
『大将、観念した方がよさそうっスな……』
クモの諭しを受け、ダテはため息とともにがっくりとうな垂れるのだった。




