15.憧れし鵬翼
リイク達と別れ、一階層下った地下四階。
魔力と足音を抑え、シュンとユアナは周囲に気を配りながら狭い白壁の廊下を歩む。
かつて使用されていた頃、この砦は地下二階までと文献にはあった。先ほどの大広間があった地下三階以降は、壁や床の造りからも新造されたものであることがうかがえた。
厄介なことは、まるでこうなることを予想していたかのように、地下三階以降も「砦」として造られていること。その様相は初めて入る者にとってはさながら迷宮だった。
彼らはとある一画、シュンの背丈ほどの扉がついた、小部屋らしき一室の前で足を止めた。
「ユアナ、敵は……?」
「感じないわ、開く?」
『風』属性の真魔法を備えるユアナは空気の流れを感知することに長けており、壁向こうの人間の息づかいまでを察知することが出来た。それはこの潜入において最大限に用途の高い能力であり、先のリイクの無謀とも言える行動は、まさに英断と言えた。
真魔法を与えられていないとはいえ、信奉者達はある程度以上の戦闘力を備えた者が多く、ナイフやボウガン等の武器も携行している。遮蔽物の多い砦の中では、鉢合わせになって良いことは何も無い。この最後の作戦に、彼女の存在は要だった。
シュンは彼女の感覚を信頼し、ノブを捻る。
掃除用具や木箱が置かれた、物置らしき手狭な空間が現れた。
「……危険かな?」
「ううん、このまま進む方が危ないと思う。五分でも十分でも、休めるなら休んでおいた方がいいわ」
「そうだな……」
二人は物置へと入り扉を閉め、扉を正面に捉える形で座り込む。横になるスペースも無い暗闇。背にする壁も冷たい床も、埃っぽくカビ臭かった。ただ、狭さに触れ合うお互いの肩が頼もしく、温かかった。
閉じた扉の向こう、廊下を探っていたらしいユアナが一つ息を吐き、呟いた。
「リイク達は大丈夫かしら?」
「……大丈夫だろう。俺達がこの階に下りてすぐ、シオンの移動魔法を感じた。多分もう、城なり学校なりに帰ってると思う。心配無い」
「そうね…… きっとそう……」
ユアナは空気の流れを見ることだけになく、精度の高い魔力感知を扱えた。その質はシュンよりも高く、シュンが感じ取れたことを彼女が把握出来ていないわけがない。
不安なんだなと、シュンは思った。
「飲むか? 二本だけ、残ってた」
「うん…… ありがとう……」
国から支給された高純度の魔力回復薬。決してうまくはない小さな青い二本の薬瓶を二人は開けた。幾度と頼ってきたその薬も、これで最後になる。
「……ねぇシュン、私達って…… 私達だけでレラオンに勝てるのかな……?」
緊張感が和らぎ、冷静になったからこそ弱気も出て来るのだろう。たった三週間の抗争とはいえ、シュン自身戦いの前に弱気になることの危険性は経験してきた。判断としては、笑い飛ばして勇気づけるくらいが正しく思えた。
「……わからない」
「シュン……」
だが、出来なかった。例え彼女に落胆を与えることになっても、軽々しく気休めなどは言えなかった。性根の冷静さが邪魔をした。
事の発端になった学校での一戦以来、レラオンとは二度の直接的な戦闘があった。
一度目は学校での時と変わらず、一方的に打ち据えられた。二度目は引き分けに持ち込むことが出来た。しかし一度目に逃れられたことも、二度目を痛み分けに出来たことも、初めて戦った時と同じくリイク達の協力があればこそ。
格段に強くなれたと思う今であっても、「二人で」レラオンに敵うかはわからなかった。
物音一つ無い、静まりかえった時が流れる。
緊張と疲労にさいなまされた頭がぼやけ、不意に訪れた浅い眠りが闇に像を結ぶ。シュンの脳裏には、先ほど見たばかりのユアナへと迫るアスタリッドの姿が映った。
『レラオン様の……! 邪魔を…… するなぁっ!』
憤怒にも懇願にも似た彼女の表情。それを受け止め必死に跳ね返さんとするリイク。
二人を突き動かしているものは、信奉する相手と、友達への想い。信頼だった。
――あいつの、何を信頼するんだ。
シュンはレラオンという男を想う。
傲岸不遜で、上下でしか人を見ず、他人の痛みなど考えない。その印象は初めて出会った時から何も変わっていなかった。
あまねく物語に、戦いによってわかり合うという一節がある。だが実際にいがみ合い、争い続けた結果で得たものは更なる怒りの感情のみ。シュンは何一つ、レラオンという男を理解できなかった。
いつしかシュンは、肩に感じる彼女の体温も忘れ、意識を落としていった――
月明かりが小雨を照らす森の一画、剣戟の音が響いていた。
シュンは真魔法により赤く輝く体に大剣を携え、これまでで最大の強敵へと立ち向かっていた。
「終わりだ!」
咆哮とともに『ベイク・ブレード』を弾かれ、バランスを崩すシュン。彼の大剣を更に上回る大きさの剣を携えた漆黒の鎧が、叫びとともに凶刃を上段から振り下ろす。
――裂帛の気合いとともに、シュンは剣を薙いで鎧の脇を駆け抜けた。
「な、なんだ…… と……」
シュンの背中越しに、呻き声を上げ漆黒の鎧―― 『黒騎士』が膝をついた。
胴を横薙ぎに射貫いたその手応えが遅れて腕に伝わり、シュンは背後を振り返った。
「黒騎士様!」
草地に大剣を突き立て、跪いた黒騎士へと少女の声が飛ぶ。
「おのれキノムラシュン! よくも……!」
ごう、と少女の全身に朱い魔力が灯る。シュンの仲間三人に囲まれていた『爆発』の真魔法使いアスタリッドが、囲いを突破して勝利に呆けたシュンへと迫る。
「待て! アスタリッド!」
鋭い怒声が飛び、彼女の体がとどまった。
「黒騎士…… 様……」
「動け…… などとは言っていない…… これは俺と、城野村との戦いだ」
「ですが……!」
身を震わせ、黒騎士が立ち上がる。シュンもユアナ達もその光景に動けなかった。鎧より血を流し、雄々しく立ち上がる黒騎士と、これまで激昂と嘲笑以外の顔を見せなかったアスタリッドの悲壮な表情に。
「見事だ…… いい戦いだった」
「黒騎士……」
シュンは迷った。黒騎士の傷はあまりにも深い。ここでシオンに声をかけなければ、彼は助からないだろう。
もちろん彼は敵だ。だが彼は他の信奉者達とは何かが違った。他の信奉者達の非道を許さず、例え自らが不利に立とうとも、その大剣をシュン以外の仲間には決して振るわない。
彼はいつもシュンのみを標的と定め、一対一の戦いを挑んできた。
「強くなったな…… レラオン様も喜ばれるだろう……」
初めて出会った時、シュンはまるで歯が立たなかった。黒騎士の真魔法は『身体強化』のみという。だがその動きは凄まじく、レラオン以上の強敵だと思った。
圧倒され地に伏し、絶望する彼に向け、黒騎士は「強くなれ」と一言残し去って行った。
学びは多かった、その強さを目標にした。どこか絶対的な黒騎士と戦うことだけは、脅威に思えど密かに快くすらも感じていた。
そんな強敵が今、満足そうにシュンに賛辞を送っている。
「シオン……! 回復を!」
シュンはたまらず叫んでいた。その大声に、シオンが体をぴくりと震わせる。
命を奪いたくなかった、死んでほしくなかった。赤い血を流し、温かな声色を出す目の前の鉄塊。その最期の訪れを惜しみ、頬に涙を伝わせる赤毛の少女の姿。
彼は間違い無く、『人間』だった。
「甘いな…… 城野村。それでは…… レラオン様には敵わん」
「……!」
黒騎士が大剣を振り上げ、天へと掲げた。
その全身から、眩い金色の魔力が放出される。
「アスタリッドよ! 退け! 今よりこの地は焦土と化す!」
「黒騎士様!」
「早く行け! ……レラオン様を、頼むぞ」
勇ましい叫びの後の、穏やかな声。
歯を食いしばり、うつむき、アスタリッドが飛んだ。
「シュン! 僕達も……!」
高まる異質にして異常な魔力量にリイクが叫びを上げた。
「っ…… しかし……!」
逡巡を見せるシュンを前に、黒騎士の魔力は更なる増大を見せる。
「……城野村」
鎧から発せられた声、その声はくぐもっていて、どこかで聞いたような声にも聞こえた。
「今の歪んだレラオン様を止められるのは、お前だけだ…… 俺の死を糧に、あいつよりも強くなってやってくれ」
――黒騎士はその力を放ち、周囲を言葉通りに焦土へと変えた。森に生まれた巨大なクレーター、その跡には、彼の姿は無かった。




