44.狭き路地からの活路
栄えてきた歴史によって中心地から円周状にひしめいた都の建物群は、追われる者達にとっては味方にも敵にもなった。
「くそっ! こっちはダメだ!」
右へと現われた路地を一瞥し、アロアが再び走り出す。道を折れた先には袋小路が見えていた。
追跡を逃れようと飛び込んだ石壁の迷宮が、入り組んだ配置により追う者達の視線を阻み、その複雑な並びが逃げる者達に障害となって行く手を阻む。
アロアに一杯食わされた守護修士隊の復帰は早かった。鍛え抜かれた大人の足の前には、直線的な道ばかりではすぐに捕まってしまっていただろう。
「くっ……! どうすりゃいい……!」
だが、逃げ回るにも限界はある。人数、体力差もさることながら土地勘も無い。幾重にも連なった細い路地、閉鎖して待ち伏せされてしまえばそれだけでどうしようもない。捕まるのは時間の問題と思われた。
「……ダテ様の家を目指しましょう」
「でも…… もう場所がわからん」
シャノンの助言にかぶりを振るアロア。闇雲に逃げ回った彼女には、最早元来た道などわからなかった。
「大丈夫、あちらよ」
「えっ……?」
シャノンが石壁の向こうを指差す。まるで見えているかのような物言いだった。
「わ、わかるのか?」
「ええ、急ぎましょう」
攻守交代とばかりにシャノンが先陣を切って走り出した。息せき切って走るアロアを引き連れる彼女には確かに見えていた。いや、知覚出来ていた。この入り組んだ石壁の迷宮、その全景が。
走りながら、シャノンは目を閉じる。
背後にいるアロアの息づかい、道行く人とは違う不自然に走り回る追う者達の動き、複雑な路地の形。
その全てを「音の信号」から感知し、目的地までの経路を導き出す。
――たどり着けない。
遠くはない。だが、増員をかけたのか追う者の数が増え、連携によって包囲がなされつつあった。通常では突破は不可能、手段は選べる状況になかった。
「アロア! こっち!」
シャノンが必死に足を動かすアロアの手を引き、細い路地へと入る。その道には覚えがあり、アロアが叫ぶ。
「シャノン! そこは……!」
構うこと無くシャノンは走る。違わずアロアの目の前に、先ほど遠目に見た袋小路が広がった。引かれていた手が離され、壁を向いて立ち止まったアロアの前方から、シャノンが左へとスライドし、視界から消える。
「静かに……」
背中からふわりと、柔らかく抱きしめられる感触。
程なく腰から腹に回された細い腕が引き締められ、驚きを呈する暇も無く、彼女の体が支えられるままに宙へと舞った。
視線が石壁の高さを越え、体が壁を乗り越え、両足が音も無くその向こうへと降り立つ。
「アロア」
声をかけられ、背中から離れ前へと現われたシャノンを見る。彼女が指差す先、二階建て住居の向こうに頭を出す、見覚えのある建物があった。三階建ての白い壁――
「行きましょう」
小声でささやくシャノンの真剣な面持ちに頷きを一つ返し、アロアは彼女の背に続いた。
目指す場所は一つ向こうの通り。二人は走り、住居と住居の狭間の狭い路地へと入り、ダテのアパートを目指す。内部へと入り、三階にある一室に飛び込みさえすればダテが帰るまでの時間は充分に稼げる。
走ること数秒、暗い路地の向こう、アパートに面する通りから光が射し込む。
「……!」
ちらりと、路地の向こう側の光の中、アロアの視界に飛び込むものがあった。出口の足下に伸びた黒く細長い不自然な影――
「シャノン!」
猛然と足を速め、先行するシャノンに追いすがる。
路地を一歩抜けた瞬間、突然に左真横から飛びつかれた衝撃にシャノンは為す術もなく体勢を崩す。
「ぐあっ……!」
被さったアロアの体の後ろから、もう一度の衝撃がシャノンを襲い、二人は抱き合う形で地面を一転二転と転がった。
「うっ…… つ……」
唐突な衝撃と転倒。驚きを押し殺し、身を起こしつつ事態の把握に務めようとするシャノンの視線がそれを捉えた。
目の前に横倒しに倒れたままのアロア、その向こうに――
「……!?」
錫杖を持った体格のいい男。隊の主格らしき男の姿。
「そんな……」
路地の出口にて待ち伏せをされていた。理解は出来ても、予想の外の出来事だった。彼女が自らの「信号」にて探った中に、この場所を走る人間の姿はなかったはずだった。
――ずっと、ここに待ち構えていた……?
シャノンの右手側には、歩道を挟んでダテの白いアパートメントがある。男がダテの住処を知っていたとすれば、ありえない内容ではなかった。
彼女達がここへと逃げこむ。それを予測し、先回りして微動だにせずここで待っていた。そうだとすればシャノンにとって、彼は「物」として知覚されていたことになる。
「うっ……」
小さな呻き声に、彼女の意識は沈想から引き戻された。目の前に倒れたアロアは苦痛に顔を歪ませたまま、起き上がろうとしない。
「アロア……!?」
呼びかけに目が僅かに開かれる。だが――
「うぐっ……!」
「……!?」
痛みに苦しむ様子を見せ、彼女はまともに声を発することさえなくその目を閉じる。外傷は見当たらない。しかし、通り抜けた路地の前にてこちらを睨む男の様。彼の手にある錫杖が両手にて、斜めに構えられていることが雄弁に状況を語っていた。
路地を抜けた際を狙い、振るわれた錫杖の殴打からアロアがシャノンを庇った。そしてその一撃はアロアの背中へと吸い込まれたのだ。目に見える外傷が無いこと、飛びつかれた際の二度目の衝撃の方向。それ以外に導き出される答えは無い。
「なんということを……!」
シャノンの視線が鋭く、男へと向かう。包み隠す「霧生の守り」の内側に、暗黒の魔力が渦巻いていた。
「抵抗をするからだ。大人しくせぬ方が悪い」
男は数歩と近づきつつ、一切悪びれることなく言い放った。取り締まる者特有の、自らを全能であるかのような態度が鼻についた。
静かに、シャノンは立ち上がる。視覚的に、少し遠くなるアロアとの距離。痛みに苦しむ彼女に対し、回復の魔法を覚えきれなかった自分を歯がゆくも思う。だが、今は――
「……なぜ、ここに待ち構えていたのですか?」
膨れあがる暗黒の魔力が、彼女に強い「怒りの衝動」を与えていた。
「貴方はここで待っていた…… それはつまり、私達の言葉に嘘は無い。それを認めているという証に他ならないのではないですか……?」
足を踏み出し、アロアを背にする。
俯いたまま言葉を投げかけるシャノンに、男は歩みを止めることなく言う。
「お前は先ほど、その娘を抱えて浮遊していたな? あれはなんだ?」
「誤魔化さないでください。認めていたからこそダテ様の住居の前で待っていたのでしょう?」
「その娘の異常な聖なる魔力といい、私の部下から錫杖を打たれて何事もなく走り回れるお前といい、お前らはいったい何者だ?」
シャノンは言葉を無くし、歯を噛みしめた。こちらに発言権など存在しないとでも言いたげな、質問を質問で返す横柄さに、まさに閉口する。
「答えろ」
男が錫杖を構え、シャノンの前で足を止めた。次の答え一つで、いや、答えなくとも数分と待たずにそれを振りかぶるつもりなのだろうことが察せられた。
彼女達を追っていた他の修士隊達が追いつき、数人とその場へと集まりだした。
下を向き、前髪に目を隠したシャノンの口元が、僅かに動いた。
「……聞こえんな。はっきり言え」
騒動の始まりの場所と同じく、包囲が完成する。
「もう一度だけ聞く、お前らは何者だ?」
問い詰める男の怜悧な声に、
「下種が……」
はっきりと、彼女は答えた。
「……なるほど」
それは目の前の娘の容姿など、歯牙にもかけない無慈悲な動作だった。鍛え抜かれた体が予備動作を極力見せない、洗練された動きで錫杖を操る。打たれた者も、見守る者も、誰もが結果を見るまでは何が起こったかもわからない、熟練者による杖の捌き。
重量すら感じさせず錫杖の柄が豪腕により振られ、その鉄芯がシャノンのか細い胴へと吸い込まれ――
「……!?」
握れば壊れてしまいそうな小さな手が、錫杖の柄を受け止めていた。
「笑わせる……」
シャノンの手、受け止めた左手に力が加わるにつれ、錫杖に角度が入る。
「くっ……! ……!?」
その様を感覚で感じ取り、男が引き抜こうとするも錫杖は動かなかった。
「児戯にも劣る……」
「何……?」
「技も子供騙しならば、横暴さも子供同然…… 何もかもが余りにも拙い……」
力が入っているとは思えない口ぶり。だがその声色には重さと、怒気が乗っていた。
「き、貴様……!」
驚きにとどまっていた周囲の男達が我を取り戻し、目の前の異常事態に動き始める。それぞれが手に錫杖を構え、一触即発の様相を呈する。
――これが「人間」か……
目前で捕まれた杖を離さんとする男。取り囲み、自らに危害を加えんと息巻く者達。閉塞感のある石壁の街並み、降り注ぐ陽光、人の奏でる雑踏のざわめき。
不愉快な気分だった。楽しいと感じたはずのものまで、何もかもが不愉快だった。頭は怜悧に不愉快の理屈を求めるも、筋の通らない不愉快さが全ての理由を沈黙させた。
「下がれ! まだ終わってはおらん!」
「しかし……!」
主格の男が叫び、隊の男達が加勢に戸惑う。
――騒ぐな愚者ども、静けさを尊べ……
だらりと垂れ下がった右手の爪が、軋みをあげて伸び始めていた。




