40.尊き信仰の長
カツカツと、バルコニーへと続くガラス戸から不自然な打音が聞こえ、彼女は万年筆を置いた。白を基調としたホールのような広さを持つ部屋、赤い絨毯の上を白い法衣の裾が滑り、空へと続く扉が開かれる。
「よっ、お久しぶり」
現われたのは異国の外套を身に纏った、ここ最近の知り合いだった。
「あらぁ~ダテちゃん、もう会うこともないと思ってたんだけど~」
「よく言うぜ…… 今いいかい? 『法王』さん?」
本名オウマイマーという一見してダテと同世代にも見える気さくな雰囲気の女性。彼女こそは三十半ばという年齢にしてドゥモの最上位、『法王』の座についた異例の存在だった。
二年と前、復活した魔王が「聖剣」の存在を怖れ、前法王を直接手にかけた。その際に天才的な立ち回りと圧倒的な実力によって聖剣を守り通し、今の彼女の地位があるとダテは聞いているが、なにがしかの政治的な裏はあるのだろう、ダテはそう睨んでいる。
それほどに、食えない人物という印象の女だった。
「ふぅ…… では、どうぞ~」
ため息一つ彼女はダテを招き入れ、法王の執務室であるこの大部屋の円卓へと誘い、向かい合った。
「いやー、悪いね。急に押しかけて」
「いいえ~、それより、アーデリッドからわざわざ戻ってくるなんてどうしたのかしら? もうレナルドは戻ったの?」
「いんや、ちょいと用があってね、休みもらってすっ飛んできた」
「ちょいとの距離じゃないわね~、どうやって来たのかしらん?」
その質問には軽い笑みで返し、ダテは懐からこの世界には存在しない精密機器を取り出し、卓上に置いた。
「こいつを、聴いてもらえるかな?」
携帯電話―― 電波の入らないそいつの時計以外の用途、音声の再生を操作にて呼び出す。
ざわざわと、ノイズの混じった音とダテと女性が会話する音が入り、やがて女性が歌うように何かを語り始める。
語りはほんの一分という程度で止み。録音を止める軽いノイズとともに再生は終了した。
「……知ってるかい?」
「祈りの言葉ですね…… 不思議な道具、人の声を収めることができるのかしら?」
「まぁ、そんなとこだ」
――空に真の姿を取り戻せし神よ。我らルネスの民は蒼空と黒を心に、あなた達と共に歩み、望まれるままの全うを願います。あなたの望みのままに、安寧を与え、争いを無くし、悠久の世界をもたらすことを我が意を持って全うします。
語りはその祈りの全文を、この世界の言葉によって発せられたものだった。リアルタイムに相手の意思や意図を読み取り翻訳するダテの魔法は、ただ音を発するだけの機械には使えない。ダテには読み上げた声の主―― ノナの語りが聞き覚えの無い言語に聞こえ、法王には再生冒頭の祈りの文を読むようにと頼むダテの声が同様。共に平等に聞こえるのはノイズのみだった。
「それでだ…… 面白いのはここからなんだが、ちょっと失礼」
ダテは円卓に置かれた一輪挿しの花瓶から黄色く咲いた花を取り出し、自らの前に置いた。
「そんでっと……」
懐から手帳を取り出し、ページを一枚破る。右手の人差し指に風の魔力を集中させてそれをなぞると、紙面は頭と手を持った、着物を着た人のような形に切り取られた。
「何が始まるのかしら」
興味深そうに見守る法王。ダテは一笑し、目線を紙に向けると両手をパンッと打ち鳴らす。
途端に、骨組みが入ったかのように紙の人間が立ち上がった。
「こいつはヒトガタって言ってな…… 早い話が即席の身代わり人形みたいなもんだ。かわいいだろ?」
ヒトガタが法王の方へと向き、深々とお辞儀した。
「また堂々と~…… うちでは聖なる力以外はダメだって言ったのに~」
本気で咎めている様子ではなく、法王は笑っていた。
「ははっ、まぁそう言わないでくれよ、こっからは聖なる魔力の出番だ」
ダテの右の拳が閉じられ、開く。その手の中に光の球が生まれ、彼は作った球を人形に向け、吸い込ませた。青白い聖なる力に包まれたヒトガタが歩き、黄色い花へとその両手を掲げた。
「で、俺はこいつに、そうだな…… 一分くらいか。その間だけ力を溜め、時間が来たら力を放つようにプログラムする」
右手の人差し指と中指を揃えて眼前へと持って行ったダテは、数秒目を閉じ、念じた。
「よし、これで準備完了だ」
青白く輝くヒトガタの力が、紙の両手へと集中していく。ダテの右手が携帯のキーを操作し、再生の準備に入る。
「ダテちゃん?」
「さぁ、始めようか」
「ダテちゃん」
「ここで再生を始めるとだな、面白いことが――」
言葉は聞かず、笑みを浮かべて実行に移ろうとするダテ。
「やめなさい」
法王の言葉がかかった。穏やかながらも威圧感のある声に――
ダテは力の入った微笑みを返した。
ノナによる朗読が始まり、ヒトガタが力を溜めていく。力は円卓の上に放射状に走り、空間に幾重もの輪状の歪みが走る。祈りの文は最後の一文字を迎え、やや遅れ、予定された動作の実行へとヒトガタが腕を僅かに上へと向ける。
「くっ……!」
ダテは動かない。法王は身じろぎし、立ち上がって円卓を数歩離れた。
「ゴー!」
放ったダテの声に対し、ヒトガタがジャストのタイミングで力を放ち、力は真上へと飛んで消えた。
そして正確に、天井の空間から現われた力が一輪の花へと降り注ぐ。花は聖なる光へと包まれ、その輪郭を白く、光の中へと溶け込ませていき――
法王が、その光に向けて両手をかざした。
「おっと、大丈夫だ!」
左手でダテがそれを制したと同時、花は消滅し―― 力は完全に消失した。
「……な? 大丈夫だろ?」
制した左腕を曲げ、空中に手刀をぴしりと決め、ダテは笑った。
「やれやれ…… 私の負けのようです~」
両腕を垂れ、法王はかぶりを振って苦笑した。
~~
再び席に着いた法王に対し、ダテは力が抜け、ただの紙となったヒトガタを差しながら言う。
「じゃ、これについて聞かせてもらおう。あんたはこの魔法、どんな魔法なのかも言わずに始めた実験じみた内容に対して席を離れ、防御壁まで出そうとした。なら、この魔法の危険さを、内容を知っているってわけだろ?」
「まんまとやられましたね~」
「そりゃな、仕方無い。この魔法の式を見たことがあるやつなら俺が手のひらから出した分だけで、どれだけ危険なことになるかはわかるはずだしな……」
数日をかけ、ひたすらに解いてきた魔法式。その正体は封印魔法の顔をした大規模消滅魔法だった。「正確な発音」による合月魔法の起動。略式で試した威力を知るだけに、その危険性はダテには式だけになく、実感として理解出来ていた。
「ダテちゃん? でもどうして、何も起こらなかったのです? あれだけの力を込めて発動させればこの円卓周辺には大穴が空いたと思いますが……」
「そりゃ、全部が聖なる力じゃなかったからだよ。さっき込めた力は「光」、んで、ほんのちょろっとだけ「聖」だ。見た目にゃあんまり変わらないからな、フェイクだよ」
「ふぅ…… そうでしたか……」
「それより、知ってるなら聞かせてくれ」
トントンと、ヒトガタに指を打つ。
「なんなんだ? この魔法は。俺がこいつに命じたのは、『渡した力の半分で撃て』、だ。なんでこいつの魔力がすっからかんになって、ただの紙に戻っちまってる。おかしいだろ」
ヒトガタは動かない。魔力を込める前のただの手帳の切れ端に戻っていた。
「どういう見解をお持ちです~?」
「……そうだな」
ダテはヒトガタをくしゃりと丸め、テーブルに放った。
「全てを無に、無かったことにする魔法…… ってのはどうだろうか」
目を見て放つダテの言葉。
数瞬の時を刻み、微笑んだ法王が静かに首を縦に振った。




