39.白き信仰の城
白い外套で法衣を隠したダテは、大通りの盛り場を越えた先にある、高い塀に囲まれた巨大な建物の前へと来ていた。彼の世界にも負けない高層建築にして、各所一部の隙も無く芸術作品が刻まれた建物はさながらに城と言って差し支えが無い。
ルーレント教会と等しく蒼黒の旗がはためくその城は、都最大の権威の象徴にして国家の垣根を超えた宗派の総本山。ドゥモ教の本部だった。
『大将~』
『おう、起きたか』
塀に沿って歩くダテの意識に、ぼんやりとした声が届いた。
『……? あれ? ここ本部じゃないっスか?』
『ああ、もう都だぞ、結構寝てたな』
『そりゃあんなの作らされたら疲れますよ~、夜中何時間掛けたと思ってんスか~』
『喜べ、お前の頑張りのおかげでアロアはご満悦だったぞ』
『はぁ…… ならいいっスけど……』
意識内の会話の間にもダテは歩んでいく。
『あれれ? 大将だけっスか? お二人はどちらに……』
『俺が用を済ませる間、待っててもらうことにした』
『え~!? 何考えてんスか大将!? せっかくのデートなのに~』
『アホか』
速い足取りで進むダテが正門から二つ目の角を曲がり、裏門が近づく。
『え? え!? 大将まさか……!』
わざわざ連れてきた二人を置いてこの場所を訪れたダテの意図に気づき、クモが慌てた様子の思念を飛ばした。
『まさかも何も、ここに来る理由なんて他に無いだろ?』
ダテは閉じられた裏門の前に立ち、ニッと笑みをこぼした。
『法王に会う。洗いざらい聞かせてもらうとしようぜ』
~~
家主のいなくなった部屋。残された二人はまだ残ったコーヒーを飲み干すまでと談笑していた。
「いや~、しかしすげぇな、人って空飛べるもんなんだな」
アロアから振る話題としては、やはりそれだった。魔法の存在は当たり前のものとして知っていても、出来ることの幅にはそれほど明るくはない。彼女にとって人が消えたり、飛んだりするというのは魔法が存在しない場所に住む人々に等しく、現実には思いもしないオカルトのようなものだった。
「なぁなぁシャノン! わたしも出来るんかな?」
「う、う~ん……」
返答に、シャノンは困った微笑を浮かべた。
「……やっぱ、難しいのか?」
「うん、飛ぶという感覚がイメージ出来ないと難しいかな…… ずっと普通に歩いて生活してると空を飛ぶ感覚なんて多分わからないし……」
「む…… や、やっぱここでもイメージか…… あいつの言うことはほんとに大事なことなんだな……」
腕を組んで目を閉じ、眉間にシワを寄せるアロア。その表情は本当に幼い子供のようで、シャノンは声には出さず、一息笑った。
「シャノンは…… どうやってイメージしたんだ?」
「えっ?」
「いや、歩いて生活してるとわかんないんだろ? どうやってわかったのかなって……」
「わ、私は…… 物心ついた頃には出来てたから……」
「ん、そっか…… ちっちゃい頃に憶えたら勉強しなくても外国語話せるって言うもんな」
事実ではあるにしろ、嘘も混じった答えに納得してくれたアロアに悪い気になる。まさか幼い頃から「羽」が生えており、子供の頃はそれを広げて飛んでいたなどとは口には出せなかった。
「でも、アロアは大きな力を持っているし、頑張って練習すればいつか飛べるんじゃないかしら」
「え? そうなのか?」
「ええ、多分だけど…… ダテ様も後天的にご自分で努力なさって飛べるようになられたのだと思うし…… 空を飛べた人の記録は沢山あるもの」
言葉を選ぶのには少しばかり苦労がいった。「人間」という単語。普段は何気なく使っている言葉が出ないよう、注意が必要だった。
「……こーてんてき? ってなんだ?」
「え? ああ…… それは……」
自らが人外であるということ。それは相手が人間で、しかも神に仕える修士である以上悟られるわけにはいかないことだった。彼女の常識に照らせば、知って怖れることも、危害を加えることもしないダテは極めて稀な人間で、誰彼構わず知らせていい内容ではない。
だが、おかしくも思う。厄介ごとは避けたい、そんな当たり前の感情とは別にアロアには、アロアだからこそ知られたくないと思う、特別な感情を彼女は感じていた。
出会ったのは一昨日で、まだ知り合いと言える間柄なはずのアロア。シャノンはそんな彼女に、なぜか過分な親しみを覚えてしまう自分を不思議に思う。
法衣を着ている修士なのに過ぎるくらいに活動的。知的には思い難いのに勉強熱心。粗野な口調なのに気遣いがあって、優しい。
「シャノン?」
気づけば噴きだしていた。
「……なんでもないわ」
考えてみてわかった。思えば彼女はそっくりだった。自らが憧れを抱いてしまったその人に。自分はそういった人を好む傾向にあるのかもと、並ぶと兄妹のような二人を想い、顔がほころんだ。
「ふぅ、シャノンもダテも、わたしにはよくわからん時があるな」
残ったコーヒーをくっと煽り、アロアが立ち上がる。
「アロア?」
彼女はそのまま、とてとてと部屋を歩いて扉の前に立った。
「ちょっとトイレな、そろそろ外行かなきゃだし」
「えっ?」
ノブを捻ってドアを開け、アロアがぎょっと上半身を反らせた。
「そっちは外よ? アロア……」
「お、おう! わかってる!」
その後、入り口の近くにある扉を開き、無事にそれを見つけたらしいアロアは中へと入っていった。
「ふふっ…… おかしな子……」
一つ笑い、部屋を見渡す。人間が住む部屋というのは初めて入る。その見た目のチープさを置けば特別自分の家と違うというところは無いが、光が射し込む部屋は新鮮で素直に羨ましかった。
日の当たる場所。なんてアロアには相応しい世界なんだろうと、彼女は主のいない、部屋の隅へと置かれたベッドに目をやった。
「ダテ様は…… どう思われるでしょうか」
彼女は翳りを見せる、救いを求めるような表情でいない人へと語りかける。
――「この過酷な定めを……」
重い、感情だった。
彼女はかぶりを振って、無理矢理に気分を切り替える。
「……!」
切り替えた途端に、ふと、自分の見ていた方向を思った。
「お、おおお……!」
立ち上がり、頭から煙を噴くままにその方向へとふらふらと歩み出す。目がぐるぐると、微妙に危なっかしい。
「こここ、これはいけないいこことなんじゃ……」
自戒の言葉を口にしながら自壊した足取りでダテのベッドへと誘惑に駆られるままに直進。辿り着いたシャノンは、いい感じに煙を噴きながら部屋の体感温度を上げた。
「んくっ……」
一つ喉を鳴らし、あまり使われていない雰囲気の白い枕へと手を伸ばす。
三十センチ、二十センチとその手が近づいていき――
「ふー、人と命の始まりを知るな……」
勢いよく扉を開き、アロアがトイレから出現した。
「ん? どしたシャノン? 眠いのか?」
すっきりしたアロアが目にしたのはこちらを振り返る、枕を抱いたシャノンだった。アロアは目を見開いて固まるその様になんとなく、シャノンは猫っぽいな、と思うのだった。




