38.遠き都会の中心へ
翌朝のダテの自室。簡素な部屋の扉付近の一画に、この世界にはそぐわない意匠の座席が出来ていた。
「なんだかチャイルドシートみたいだな……」
「こ、これでいいでしょうか大将……」
全体をすっぽりと覆うような風防を備え、一見して黒い箱にしか見えないそれは、背もたれの背面部分から伸びる上部二本のベルトと、下部にはそれを固定するシートベルト式の差し込み口が見える。
「見た目はギリOKとして、性能は?」
「ベルトの固定はバッチリっス…… 大将側はもちろん、座席側にあるベルトもト●タやG●もびっくりな代物に仕上がってるはずっス…… 外す気がなきゃ外れません……」
「Gの問題は?」
「そこは無理っス…… ただ、カーボンフレームの丈夫な風防がありますんで…… 高速飛行であっても呼吸にはなんの問題もないっス……」
伊達は腕を組み、人差し指で眉間を掻きながら吟味した。
「……そういやシャノンがどれくらいの速さで飛べるのかもわからんし…… まぁ、あの程度の距離で空中一直線なら車程度の速さでも問題無いか」
「風防には除き窓もあるっス…… またとない空の旅を楽しんでいただくのもよいのではないかと……」
ひょろひょろと弱々しい妖精の声に、伊達は頷いた。
「よし、よくやった。いいだろう、「電球の刑」は勘弁してやる」
「あ、ありがたきしあわせ~……」
ぽてっと、床に膝立ちしていたクモが前のめりに倒れた。
ちなみに「電球の刑」とは、全身を紐で縛って逆さ吊りにし、夜の明かりとする無慈悲な折檻である。
「うん…… 今日もいい天気だな……」
窓の外にはアーデリッドの空。どこまでも蒼く続く、吸い込まれそうな蒼天が広がっていた。
~~
「うはぁ~! 鳥だ! 群れて飛んでるぞ! すげぇ! すげぇな!」
今朝出来たばかりの特等席から、感動が溢れんばかりのはしゃぎ声が響く。声の主は今日の道中、唯一の飛べない子。そろそろと飛び立って一時間が経とうというのに、興奮は収まらないようだった。
「元気だなぁ……」
「ん? なんか言ったか? ダテ?」
「いいや! 危ないからあんまり動かんようにな!」
背中越しに「おう!」と返った。ベルトで繋ぎ、リュックのように背負った座席。安全で、楽しませるには充分だったが、会話は少し面倒だった。
ダテは二メートルほど離れ、併なって飛ぶシャノンに手を振った。
『シャノン、辛くはないか?』
『大丈夫です。アロアは平気そうですか?』
『ああ、さっきからうるさいくらいだ』
その返信に、彼女がくすりと笑うのが見えた。
アロアの誘いによって魔法を教わりに来ていたシャノンだったが、彼女は別に魔法を苦手としていたわけではなかった。単純に他者を回復できる魔法を知らなかったというだけで、こういった長時間の飛行や思念による会話などはなんなく出来た。通常の声による会話に大声を要する今は、彼女の器用さは有り難かった。
『ダテ様、都です』
『おう』
眼前に、数日前も訪れた放射状に広がる建築物の群れ、美しい石壁の迷宮が近づく。
シャノンに着いてくるようにと指示を出し、ダテはその一画を目指し速度を上げた。
~~
上空から真っ直ぐに降り立ったのは、三階建ての白い石壁が印象的なアパートメントの屋上。ずっと背中合わせになっていたアロアを下ろした後、ダテが二人を招いたのは屋上から一つ階段を下った、真下の一室だった。
薄暗い廊下にて、懐からポーチを取り出したダテが鍵を差し、木造の扉が開かれる。
「いらっしゃい」
先に入り、振り返って微笑むダテ越しに二人は部屋を見回す。陽光射し込む広い一室。窓際にはベッドが一床、少し離れて机や本棚。住居のようでいて、生活感の薄い部屋だった。
「……? ダテ、ここは?」
「ああ、俺の家だ」
「ダテ様の?」
「ドゥモの方に世話してもらってな、まぁとりあえず入れ。あ、そこで靴脱いでな」
二人は言われるままに、ダテに習って靴を脱いで扉の近くに置き、フローリングの上に敷かれた絨毯の上へと上がった。
「飲み物でも入れてやろう。そこにでも座っててくれ」
そこ、と言ってダテが指差す先には丸く湾曲した白いローテーブルが一つと、座る場所だと言わんばかりに薄いクッションが一つ置いてあった。
「ダ、ダテ様? 床に座るのですか?」
「え? ああ…… そういう家なんだ。気にせず座ってくれ」
「は、はい……」
「怒られねーんだな、ブンカの違いか」
物珍しそうに部屋を見回しながら、アロアは言われたとおりにテーブルに着いた。
「ほら、シャノン」
アロアがぽんぽんとクッションを叩くと、別室へと入って行くダテを気にしつつ、ためらいがちにシャノンはその上へと座った。
やがて、陶器のカップ三つとポットを盆に乗せたダテが現われ「あっ」と、二人と盆を見比べながら固まった。
「苦い、苦いぞこれ……」
「むぅ、すまん……」
ついと客人をもてなす普通の感覚でコーヒーを煎れてきてしまったダテだった。自分がなんだか無性に飲みたくなったという裏もあり、少し悪い気にもなる。アーデリッドにおいても都においても、嗜む人は少数派の飲み物だった。
「悪いなシャノン、平気か?」
「いえ、それほど多くはありませんが飲んだことはありますから」
「そ、そうか……」
問題無さそうに飲むシャノンを見つつ、その優雅に戴く所作に逆に紅茶を煎れなくて良かったとも思う。むしろいつも通り魔法で豆を速攻に砕いて濾しただけのコーヒーなどを出してしまった自分が恥ずかしくもあった。
「ふぅ、苦かった…… おかわり」
「おかわりするのかよ!」
「なんだ、ダメなのか?」
「いや、いいけどよ……」
微妙に残ったポットの中身をアロアのカップへと注ぐ。苦いとは言った、まずいとは言っていない。案外ややこしいアロアだった。
しばし、三人で陽当たりの良い部屋でコーヒーを飲む。上空の風に煽られた体に熱が入り、なんとも言えない心地良さがあった。
「よいしょっと……」
アロアが立ち上がり、窓の方へと向かった。
「おー、すげー…… マジで都なんだなここ……」
三階の窓から見る風景は、アーデリッドとは完全に別の世界だった。比較的ドゥモ教本部のある中心地に近いこの場所は、遠目にも最も栄えた大通りを見られる範囲に有り、それでいて人通りの少ない閑静な住宅街と言えた。石畳で舗装された道に、黄色い壁のアパートメントが並ぶ、この世界における都会である。
感慨深げに都会を見回す裸足の法衣の少女と、西洋の名画からそのまま飛び出してきたような少女を前に、本来の住処である自らの六畳間にいる感覚で床に座ってコーヒーを飲む。そのあまりに奇妙な状況に平気で寛いでいる自分を想い、ダテは苦笑した。
「それで…… ダテ様?」
飲んでいたカップをコトリと、テーブルの上に置いてシャノンが尋ねる。
「都へと来たのはよいのですが、今日のこれからは……」
「おお! そうだ! こんな遠くのお前の家に来たのも面白いが外には行かないのか?」
我が意を得たりと窓辺にいたアロアが振り返り、質問を重ねた。
ダテはくっとコーヒーを煽り、空になったカップを置いた。
「来て早々すまないが、俺はこれから少し出かけなきゃならない。小一時間ほどで戻ってくるつもりだが、その間に二人にはちょっと用事を済ませておいてもらいたい」
テーブルに近づいてきたアロアがシャノンの横へと座り、訝しげな顔をした。
「用事? 何するんだ?」
「えっとな……」
懐から皮のポーチを取り出し、ダテは無造作に中を引き抜いてテーブルに置いた。
「うぉっ!?」
アロアが思わず仰け反り声を上げた。広げられた紙片は、辺境の十五の少女が見るには、にわかに信じられないくらいの枚数だった。
驚くアロアをよそにダテは立ち上がり、先ほど彼女が張り付いていた窓へと歩く。
「アロア、シャノン」
ダテは二人を窓辺へと呼び、ここから一直線上、大通りの少し手前辺りを指差した。
「あそこにある、緑と白のシマシマの日除け屋根が見えるか?」
「ああ、あるな……」
「モダンな雰囲気ですね、お店でしょうか……」
「俺は利用したことは無いが、若い子向けの服屋だ。二人で行って、好きなのを買って来い」
並んでみると同じくらいの身長の少女達が、ぽかんとダテの顔を見上げた。
「えっ? えっ? 服屋? お前、何言って……」
「そのようなご厚意を受けるわけには……」
首を振って、ダテが二人をアロア、シャノンの順で指差した。
「いや、二人ともな、ちょっと街中では目立ち過ぎだ。青い法衣なんて着てる修士はいないし、シャノンは上等過ぎる。フツーな服に着替えてきなさい」
二人はそれぞれに、自らの服装を見回した。最早普段着な青い法衣、今日はグリーンだがコルセット付の時代がかったドレス。確かに、窓から見える都会人達とは違って見えた。
「べ、別にいいんじゃないか? 今日だけだし、わざわざ……」
「ダメだ。ドゥモ教のお膝元だぞ? 色違いなんて着てたら街中にいる信者達が怪しむ」
「私の方は別に…… 同じような型のドレスの方も歩いているようですし……」
「ダメだ。いかにもいいところのお嬢様ですって雰囲気がダメだ。妙な輩に絡まれかねん」
ダテのダメだしに、二人が気まずそうにお互いを見ながら黙る。ダテはくすりと笑い、ベッド脇の壁へと歩いた。
「まぁ、せっかく都へ来たんだ。二人ともそんな動きにくそうなのじゃなくてさ、もっと気楽に、年頃の娘らしい涼しい格好でも楽しんだらどうだ? 都はアーデリッドよりも暑いしな」
そう言って彼は壁に掛けられた白い外套を取り、法衣の上に羽織った。普段と違うその姿にシャノンが少しほうっとしたが、アロアは言ってることと真逆じゃねーかと心でツッこんだ。
「じゃ、じゃあ…… ちょっと、買ってみる」
「そ、そうですね…… ダテ様がおっしゃるなら……」
「ああ、そうしてくれ」
「か、金はいいのか? ほんとに……」
「全部いってくれて構わん。あんま高いのになると足らないかもしれんがな」
「ぜ、ぜんぶ……!?」
アロアの目がダテとカネとを行ったり来たりしていた。
「ああそうだ、シャノン」
シャノンへと歩みよりながら、外套の隙間から再び懐へと手をやったダテは懐中時計を取り出し、彼女に手渡した。
「時計を渡しておく、一時間半後にはここにいるようにな?」
「あ、はい……」
コチコチと音を立てる黄金色の時計に見入るシャノンに、ダテは軽く、交差するように顔を寄せた。
『球はどうしてる?』
彼女がはっと顔を上げ、意識を飛ばす。
『小袋に入れて、胸元に忍ばせています』
『そうか、手放すなよ』
シャノンの背丈に合わせていた身を起こし、ダテは入り口へと歩む。
「じゃあ、俺はもう出る。カギはいいから好きな時に出てくれ。ただし、まっすぐ行ってまっすぐ帰ってくること、いいな?」
そう言い残し、彼は家を出て行った。玄関扉の向こう、靴を鳴らして歩く音が遠ざかり、部屋には窓から入り込む街の喧騒がだけが小さく響く。
「普通の娘の服だなんて、よくわからないしどうしようかしら…… ねぇ、アロ――」
扉の向こうへ消えるダテを追っていた目を外し、シャノンがアロアへと振り向く。
「服っていうのは、うちの土産全部より高いっていうのか……?」
座り込んでカネとにらめっこをする青いのは、まだ見ぬ世界の相場におののいていた。




