36.神々しき守りの球
時刻は二十一時。椅子の音とともに、伊達は立ち上がった。
「よし、準備は整ったな」
彼が座していた机の上には、びっしりとした注釈の書き込みとともに例の魔法式が写された手帳が開かれていた。
『おっ? 大将、ついに解析出来たっスか?』
ここのところ恒例のように、ベッドの上でごろごろしていた妖精が首をもたげた。
『ある程度な…… 全部完璧かって言われるとそれは無いが、相手さんに何か聞くには充分な出来だとは思う』
『相手さん……? ついにイサさんに何か聞くっスか!?』
がばりと身を起こすクモに対し、伊達は首を振った。
『その前に、もっと聞いてみたい相手がいる…… ひょっとすると、一から十まで全部答えてくれるかもしれん』
『な、だ…… 誰っスかそれ……?』
伊達は懐から箱を取り出し、一本引き抜こうとして、やめた。
「……と、来たか」
『ほぇ?』
両開きの窓を開け、伊達は庭へと飛び出す。そしてその場で上を確認すると跳躍した。
~~
教会の屋根に座り、月を見上げる。煌々(こうこう)と輝く月は既に大部分が重なり、丸いという形容は相応しくない。
「よく来てくれたな……」
「い、いえ……」
闇を射すような光に晒された彼女は、並んで座っていなければ、距離を置いてしまえば幻想のように風景に入り込んでしまうだろう。だが、その体からは忌むべき力、警戒心を抱いてしまうほどの暗黒の魔力が放たれている。
今は彼女の愛らしい容姿と穏やかな物腰、人間味を感じられる距離がダテには有り難かった。
「俺の授業はどうだった? 楽しんでくれたか?」
「はい…… とっても」
「それはよかった。君からすれば退屈かなとも思ってたからな」
自在に空を飛べるような者には今更な指導。だが彼女にとって「誰かにかけられる」回復魔法というのは未知の魔法だったらしく、シャノンは先輩ぶって色々と間違ったコツを教えるアロアとともに真面目に今日の練習に取り組んでくれていた。残念ながら習得には至れなかったが、教会にいる間、三人でいる間、楽しそうにしていた彼女を見る限りその返事に嘘はないのだろう。
今日を思い出しながら、隣に座る目を合わせてくれない彼女をダテは微笑ましく眺めていた。
「お話とは、なんでしょう?」
しばらくの時を置き、耳まで真っ赤にして俯いたままシャノンが言った。
昼間の練習の後、別れ際にダテは話があるからと、夜に来るように耳打ちしておいた。好意を持った相手に呼び出されるとはどんな気持ちだろうか、考えてみてもダテにはよくわからなかった。ただ、悪いな、と思った。
「これを、君に渡しておこうと思ってな」
そう言ってダテは足のポケットに手をやり、中にあったものを手の上にしてシャノンに見せた。
「綺麗……」
それは一つの球だった。直径四センチ程の水晶のような半透明の球の中には、淡い水色をした靄が月光に端を煌めかせながらゆらゆらと踊っている。
「『霧生の守り』という、なかなかに貴重なお守りだ。持っててくれ」
「よいの…… ですか……?」
信じられないといった表情を見せてくるシャノンに、ダテは軽く笑顔を浮かべて頷き、球を逆さにつまんで受け取るように促した。
「あ、ありがとうございます……! こんなに素敵なものを私に……!」
「あ、いや…… それは明日一日だけ貸し――」
両手で包み込むように受け取ったシャノンは、感激したのかそっぽを向いて球を眼前へと掲げ、うわぁうわぁと見た目の年相応の少女の喜び方で顔を綻ばせていた。
その無邪気さに、ダテは言葉をしまい、頭を掻いて苦笑いするより他なかった。
「……それさえあれば、明日は心配しなくて大丈夫だ」
苦笑いのままの、優しい声色にシャノンが振り返る。
「明日……?」
「場所は都、ドゥモ教の本部がある場所だからな…… 君が話の途中で憂いていたのくらいはわかってたさ……」
はっと、シャノンの顔に驚きと怖れが現われた。
「ダテ様…… それは……」
隠し通すつもりだったのだろうか、いつかは話すつもりだったのだろうか。どちらにせよ、ダテに待ってやる時間はなかった。
「見抜けないわけないだろ? 俺は一応、彼の勇者一行だった男だ。君がただの人間じゃないことくらいは見抜いてたさ…… っていうか、普通の人間は『羽』なんて生えないしな」
「そ、そうですか……」
彼女は目線を逸らし、再び俯く。受け取った霧生の守りを、ぎゅっと胸の前で両手に握っていた。
「そう、それでいい」
「えっ……?」
ダテは緩い笑顔で彼女を指差す。指の先はその、球を握る小さな手。
「霧生の守りはそうやって、なるべく体の芯に近いところに忍ばせておくんだ。そうしている間の君の魔力は、俺にさえ感知することができない」
淡い緑色の瞳が軽い首の動きに合わせ左右に踊る。自らの魔力の漏れを探っている様子だった。
「な? 不思議な球だろ? 即死魔法を防げるっていうおまけ付きなんだぜ?」
そういえばと、シャノンはここへ来る最中にダテの魔力を探ったが感じられず、いるのかいないのか半信半疑でこの屋根へと訪れ、彼の姿を見てひどく安心したことを思い出した。
「この球は…… いえ、宝玉はいったいどういう……」
「……出所はまぁ、言ってやれんな。ただ、それさえ持っていれば、君は明日一日俺やアロアと気兼ねなく一緒に遊んでいられるってことだ」
息を呑み、シャノンの瞳が開かれた。僅かに、瞳が震える様がダテには見えた。
「ダテ様…… どうして……」
「ん……?」
「最初から私を…… 魔族だと見抜いていて、どうしてそこまでお優しく……」
体を崩し、ダテは屋根にごろりと寝転がって空を見上げた。
「……自分のことを好きになってくれた相手を邪険にできるほど、俺はまだまだ大人にゃなれんからな」
「あ…… えっ? ぅあ……」
「バレバレだ…… 俺はそこまで子供でもない」
ぼしゅっ、と小気味良い音を立ててシャノンの頭が煙を噴いた。異世界だからか魔族だからか、よくはわからないがダテの知る限り、彼の世界以外では変にメジャーな表現だった。
「ぁ…… いえ…… その……」
「なんだ? まさか俺の自惚れだったとでも?」
「そ、そそそんな! 滅相もな…… ぁぅ……」
否定の先のイコール。言ってそれに気づいてまた煙を噴く。面白いなとは思いつつ、ダテは冷たく、彼女のために事実を述べておくことにした。
「残念だがな…… 君が万が一、間違って俺に告白したりしないように言っておく。君の想いは間違いだ。後になって後悔するからやめといたほうがいい」
さすがに、顔を見て言うにはためらわれた。見られたくもないだろう、そう思って目線は屋根、光を反射する屋根に送る。
「……ダテ様は、既に心に決めた方が……?」
小さく震える声が、ダテの意識の中に蒼い光の空間を呼び覚ます。ダテはそれを遠ざけるように目を閉じた。
「そうじゃない…… 君が俺を好ましく想う、それに理由があるってだけだ。君は多分聞いても信じられないと思うが、君は俺の外見―― はともかく、人柄やら内面やら、一般的な理由で惚れたわけじゃない。ちゃんと別に理由があって、それに惹かれたというだけだ」
自覚はしていても、見た目がいいと自分で言うのはちょっと恥ずかしかった。
「そ、そんな…… 私は一目見た時から……」
「そう、既にそれがおかしい」
あの夜。シャノンと初めて会った、お互いに初めて見合った瞬間から、シャノンの様子はおかしかった。この世界におけるダテの容姿に対する扱いが、いかに優れたものであったとしても、それはかなり考え難い。
ダテは身を起こし、意を決してシャノンに向いた。




