14.信じる者達の巣穴
白い石壁の冷えた廊下を、黒いジャンパーの男が歩む。
壁に並ぶ頼りないランプが、戦いの跡を仄暗く照らしていた。
『いや~! お強くなったっスね! あの子達!』
男の脳内に、脳天気な少女の声が響く。
歩幅を大きく、床に倒れている数人の黒いローブをまたぎながら彼は答える。
『ああ、立派なもんだ。毎回ああいう子らばかりなら楽なんだがな……』
引寄せた後ろ足がローブの一人を蹴る形でひっかかり、男は軽くたたらを踏んだ。
『でもどうなんス? これでホントに今回の『仕事』は終わるっスか?』
『さてなぁ…… 終わってくれないと困るんだが、モノゴトってのはフタを開けて見ないとなんとも……』
『え~』
男は緊張感皆無な足取りで、地下への階段を降りる。
どう、と衝撃音とともに振動が伝わり、ランプの灯りが小さくなった。
この世界のランプは電力と魔力の二つのエネルギーで光を発している。光が小さくなる理由は明白だった。
『大将! またどこかで戦いが始まったっぽいっスよ!』
『……急いだ方が良さそうだな。ちょっと飛ばすぜ?』
低く構えた男の体が、一瞬にして消えた。
後には揺り動かされた空気が、一陣のつむじ風を吹いた――
レラオンが根城とする旧世紀の砦。地下三階にシュン達はいた。
白い石壁がドーム状に囲む大広間。彼らの前には、赤い外套に赤毛の、小柄な少女が倒れている。
彼女の名はアスタリッド。シュン達とそう変わらない年齢の彼女はレラオンの信奉者であり、これまで何度となく交戦した、最高位に位置する幹部の一人である。
「……終わったか」
シュンは腕を振り、拳に纏っていた炎を消した。
横たわる外套の少女は動かない。思わずと安堵のため息が漏れた。
シュンの背後から、リイクが歩み寄る。
「彼女で主立った幹部は最後だ。あとは――」
「レラオンだけね…… 行けそう?」
言葉を途中から引き継いで、シオンがシュンへと尋ねた。
シュンは振り返り、答えようとして――
「くっ……!」
戦闘の後おびただしい、砕けた床へと膝をついた。
「シュン……!」
遠間から駆け寄ろうとするユアナへと片手を挙げ、押しとどめる。
「大丈夫だ…… 俺はまだ、行ける」
足を踏ん張り、ふらつきながらもシュンは立ち上がった。
砦に入り、倒した幹部はこれで四人目となる。三週間に亘る戦い、その最後の時にまで残っていた幹部達。弱いわけがなかった。攻撃の要として率先して戦ってきたシュンはもとより、誰にしても疲労の色は隠せない。
シュンの様子を心配そうに見つめながら、ユアナが口を開く。
「……どこかで休みましょう」
「ダメだ、やっと巡ってきた決着の機会なんだ、手を休めるわけには……」
「ユアナの言う通りだ、シュン。一度休息をとった方がいい」
「リイク……!」
リイクはシュンの肩に手をかけ、首を振った。
「焦るな、ここはやつの根城だ、もうあいつには逃げ場は無い。それにあいつもこちらを迎え討つ気でいる。このまま無理を通すのはあまりに危険だ、勝てる戦いをふいにするな」
彼の真剣な表情に、シュンは難しい表情で頷いた。
「さてと…… どうするのリイク、こんな目立つ場所じゃのんびり出来ないわよ?」
「ああ、そうだな。次のフロアへ下りて、どこか隠れられそうな場所を――」
からかうようなシオンの声に振り返り、リイクが答えたその時――
「逃が…… さん……!」
全員が一斉に、声の方へと向いた。
「無事になど……! 何事もなくなど行かせられるものか……!」
全身から煌々と朱色の魔力を噴き上げ、赤毛の少女が立ち上がっていた。
「せめて貴様だけでも! 道連れだぁっ!」
叫んだアスタリッド、『爆発』の真魔法使いが彼らの中、離れた位置にいた少女へと向かう――
――ユアナ……!
即座に身体強化を行き渡らせ、シュンが足に力を入れるも―― バランスが、崩れる。
「……!?」
スローモーションの中で感じる、軽い目眩。歪む目線の先、身を竦ませる白い制服。
全身を朱く染め上げた少女が、ユアナへと向かう。
肉体がぶつかり合う、鈍い音が響いた――
「……それは、させられないね……!」
「き、貴様っ……!」
ユアナの前、リイクが立ち塞がっていた。
アスタリッドの手刀が、深々と彼の腹部を抉っていた。
「レラオン様の……! 邪魔を…… するなぁっ!」
「それは悪いね…… するために来たんだよ!」
燃えさかり、今まさに『自爆』を仕掛けようとしたアスタリッドの両の肩に、リイクの両手が強く食い込んだ。
「『フリージング・コフィン』……!」
その手に触れるものを一瞬にして凍り付かせる『氷の棺』が発動するも、アスタリッドの魔力の輝きは収まる気配を見せない。
「リイク……!」
シオンが叫ぶ。
リイクとアスタリッド、両者は互いに全身から目も眩むほどの金と朱の煌めきを、必死の形相で咆哮とともに放ち続け――
二人そろって、その場に崩れ落ちた。
「リイク! くそっ……!」
今になって縄を解かれたようにシュンの足に感覚が戻る。彼は倒れたリイクに走り寄り、肩を揺すった。
「おい! リイク! しっかりしろ!」
眉を歪ませながらリイクが目を開く。口元が彼らしい軽い笑顔を作った。
「……僕はしてるさ。しっかり彼女を守らなきゃいけないのは…… 君の方だろ……? おいしい場面を…… 僕に譲ってどうする……」
「リイク……」
彼の返事に安心したシュンの肩を押しのけ、シオンがリイクの腹部へと手を当てた。
「軽口言ってんじゃないわよ…… アンタはもう……」
「は…… はは…… あれ? なんか、こんな光景…… どこかで見たな」
「成長が無いんじゃないの? バカだから」
「はは…… 違いない」
重く、怯えた足取りでユアナが歩み寄り、膝をついた。
「ごめんなさい…… リイク…… 私が、油断したばっかりに……」
うつむいた彼女が涙を堪えているのが誰にもわかった。自責の念、その痛さは彼女を守ろうとし動けなかったシュンにも同様にあり、彼にはかける言葉が見つからなかった。
「いいのよ、ユアナ。最後にカッコつけられてこいつも本望でしょう」
「おいおい…… 僕は死なないよ……?」
場にそぐわない笑顔を見せるシオンとリイクを、二人は不思議そうな顔で見つめる。どこか不自然で、空虚さを感じる笑顔だった。
真魔法の癒やしの光に包まれながら、リイクがシュンへと笑みを向ける。
「悪いね…… シュン。実は僕もシオンも、もう限界だったんだ……」
「え……?」
「どこで切り出そうかと迷ったけど…… アスタリッドを退けられただけでも奇跡、もう僕達に戦えるだけの魔力は無い……」
今更に、シュンは二人の魔力を感知する。小さかった。それは学校を出たばかりの、まだ真魔法を使い始めた頃よりも小さなものだった。見れば回復の光も、弱々しい。
「シュンもユアナもすごいわね…… どんどん強くなっちゃう。同じことをしてたはずなのに、ちょっと差がついちゃったわ」
「シオン……」
ユアナも改めて感知したのだろう。笑いかけるシオンに、寂しげな顔を返していた。
「シュン…… 行ってくれ」
「……! リイク……」
「レラオンが待っている…… 引き返すことは許されない」
「だが…… お前達が……」
回復魔法を使いながら、シオンが片手を上げ軽く拳を握った。
「大丈夫、一発だけなら帰還魔法を使えるくらいの魔力は残しているわ。こんなバカでも王子だもの、戻りさえすれば国も命懸けで助けるでしょう。安心して行って来なさい」
疲労は激しいのだろう。いつもと違い、彼女の声もカラ元気の色合いを見せていた。だがシュンは――
「……ああ、行ってくる。お前達の分まで、ぶん殴ってくるよ」
「頼んだよ、キツめに頼む」
「整形がいるくらいにお願い」
充分に気力を取り戻し、立ち上がった。
いつも支えてくれた友人、思えば頼り続けてきた二人に恩を返そうと奮起した。
「ユアナ…… 君にも頼む……」
まだ心配の表情を覗かせていたユアナが、軽く眉を上げる。
「シュンを支えてやってくれ。こいつは素で、僕よりバカだから」
「そうね、熱くなると何するかわかんないから、首輪でもつけといて」
「ひどいなお前ら……」
三人が一笑した。ユアナが笑みを見せて目元を拭い、立ち上がる。
「ありがとう…… 行ってきます」
言いながら、ぺこりと頭を下げる仕草。こういった少し子供っぽいところのある、純粋なユアナが三人は好きだった。
手を振り、シュンとユアナは歩み出す。二人には行けなかった最後の場へと――
見上げるその光景は、まさにあの日のようだとリイクは思う。
「……ねぇ、リイク」
「なんだい……?」
「あの二人は…… 勝てるかしら……」
リイクは目を閉じ、薄く笑った。
「勝てるさ」
「あら、自信満々に言うわね」
「ああ、言うよ。理由なんていらない、僕は勝つって信頼している。君もそうだろ?」
シオンも目を閉じ――
「ええ、そうよ」
場を後にした二人の背中を目に焼き付け、微笑んだ。




