34.気高きその血筋
ダテの腕にかざされた小さな手から白い輝きが放たれ、集中に伴って定めた場所へと光が集束する。光は一分近くそこへと滞在し続け、消失とともに彼の腕から傷を拭った。
「おお……! 完璧に出来たんじゃないか……!?」
「ふぅ……」
素直な驚きの声をあげるダテの声にアロアが息を吐き、ほっとした表情で額の汗を拭った。
「しかしまた…… 急にどうして上手く? この二日で練習したのか?」
「今日お前が往診の時に言ってたから、イメージってのを考えてみたんだ。怪我が治ってくのってどんな感じでどんな風だったかなって」
「今日の今日でかよ…… お前は優秀なのかアホなのか……」
「アホ言うな! まぁ、今日はお前もほんとに怪我してたしな」
「そうか……」
その怪我は、シャノンをかばって地面を滑った時についたものだった。
自分で回復出来るはずのダテがどうして怪我を放っておいたのか。ひょっとしたら自分の練習のためかとアロアは思ったが、そうだとすると悪いようで気恥ずかしいようで、いざ聞いてみる気にはなれずにいた。
「アロアはすごいのね、人の怪我を治してしまえるだなんて……」
ふわりと長い髪から柑橘のような爽やかな香りを浮かせ、この場唯一の私服姿の少女が向かい合う彼らの傍らに立った。
「お、おう! このくらいなら楽勝だ!」
「楽勝なわりにはここまで一週間もかかってるがな」
「うっさいわっ!」
アロアとダテのやりとりに、シャノンが楽しそうに微笑む。
自分とはまるで正反対。うかつに触れると壊れてしまいそうなお姫様。そんな彼女が自分に微笑んでくれるのが嬉しく、アロアはついと、言ってしまっていた。
「シャノンだってダテに習えばすぐに出来る! こいつは偉いやつだからな!」
~~
今夜も涼やかな山間の風が吹き込む二人部屋だった一人部屋。
たった一日に沢山の出来事があった安息日。過ぎればあっという間だったようで、思い出せばいつもよりずっと長かったようにも感じるその一日は体に疲れを与え、頭には高揚を残していた。
時折ごろごろと、眠りにつけない体を反転させる。気付けば意識は今日の回想へと旅立っている。
「なんであんなこと言うかな、わたしは……」
独り呟いた言葉の先に、今は無人のベッドが映る。居もしない姉に頼ろうとした、誰に受けることのないそんな誤解が恥ずかしく、アロアは天井を向く。
林を抜けた後、教会へ帰ると言ったダテにシャノンがついてくることになった。アロアに魔法を教えているという話に興味を持ったところをダテが誘った形だったが、アロアもそれを悪くは思わなかった。一緒にいることがなんだか誇らしくなる、それでいてもう少しだけでも一緒にいてあげたくなる、不思議な子だった。
そんなシャノンだったからだろうか、言ってしまった。明日も会えないかなと淡い期待を込めて。
「ほんとに来るのか……?」
ダテはいいと言ってくれた。シャノンも是非ととても嬉しそうにしていた。明日からはまた普段通り修士としての務めに戻る。でも二時間ほど、ダテとの練習の間は自由だ。きっとその間には今日のように、彼女は傍らで、優しく微笑んでいるのだろう。
だから少し、不安だった。本人を前にしては言えないが、正直なところダテだけでも充分だった。彼一人、外から来た彼がたった一人、家族ではなく「友達」になった日常はそれだけで新しい風が吹き込んできたようで、アロアは日々新鮮な楽しさの中にいられた。
そこにまったくの偶然で、この界隈では珍しい自分と同年代の、それも会ったこともないようなお姫様が現われ自分と仲良くしてくれた。
変わり過ぎる日常。こんなに楽しい日々は夢なのではないだろうか、明日目が覚めれば、今までのことはなかったことになっているのではないか。そんなことを思ってしまう。
「いや、来るさ…… 絶対来るって感じだったしな」
馬鹿馬鹿しいと一つ自分の頬をつまみ、一笑する。
「だって今からじゃ一日だって休んだら魔法を覚える時間なんて――」
呟き、はたと言葉が止まった。
そこから先には昨日知らされた、訪れて当然の事実。
途端に広く感じられるようになった部屋の中、彼女の思考は、体の疲労によって徐々に意識を沈ませていった。
~~
二つの触れ合う鏡面が見えなくなった陽光を反射し、夜空を白く照らしていた。
冷たい空気を裂いて夜空に紛れる黒い影が走る。影は体を宙に留め、眼下を見渡す。
「……何もないな」
『こっちであってるんですよね?』
「ああ…… 確かにこの辺りだ」
夜半、教会を飛び出したダテは上空から、彼女が帰ったと思われる地点を探っていた。
「教会を出て、しばらくは歩いていたようだが途中からは空へと飛び上がるのを感じた。反応が消失したのはこの辺りのはずなんだが……」
『な~んにもありませんよねぇ?』
月明かりに照らされるは森、林、農道―― 後ろにはアロア達が住む村の、点在する家々の明かりが見える。いつもより離れただけの、ただのアーデリッドの風景だった。
「ふむ…… あるとすれば…… ここだろうな」
空中に直立で止まり、ダテは後ろ頭を掻く。目線は森を向いていた。
『……? 何かあるっスか?』
「ああ、『あっちの世界への入り口』がな」
『え? じゃあ、シャノンちゃんは……』
「おいおい、そんなの会ったその日に気づけよ……」
体を反対方向へと向け、ゆっくりと村へと飛び始める。
「あの子は魔族だ。それも相当に、由緒正しきな」
ほとんど白紙のまま行き詰まりを見せていた調査の紙面に、自ら乗り上がって来たシャノンという少女。
間もなく重なり合う双月を前に、ダテは思考を捨て、行動に移る時の訪れを感じていた。
大胆不敵に思うがままに、勘に任せた成り行きまかせ。そんな彼一流の手腕を、『世界』はじっと、ものも言わずに見守っていた。




