29.怪しき世界の在り方
「昨日のことをぶぅたれたら、こうなった」
普段より少し歩調を落とし歩む早朝の馬車道。右隣を歩む彼女はそう言った。
「結局休みにはなってないじゃないか、残念だったな」
「そーでもない、ずっと教会にいるのに比べたら全然マシだ。昨日はすげぇ儲かったみたいだからな、機嫌が良かったんだろう。普段ならこんなこと許して貰えるとは思えん」
商売熱心なのはいいが自分をダシにするのはいかがなものかと、ダテは仏頂面で頭を掻いた。
「一回お前が往診してるところも見たかったしな、わたしとしては丁度いい」
「あん? 面白いところなんか別にないぞ?」
「だって往診だったら回復魔法使うだろ? 二日も練習空けられちゃったけど、後一歩でなんか掴めそうなのは確かなんだ。見てたらなんかきっかけになるかもしれないじゃないか」
「だといいがな……」
そういえば、初日以降は使わせるばかりであまりやって見せてはなかったかなと、今更にダテは思った。練習の時間の大半を魔力の制御に充てているため実践の時間が少ないというのもあるが、ダテが自身の魔力の消費を気にするタイプというのもある。この世界では別段気にするような消費でもないのに、どうしても魔力には吝嗇になってしまう。どの世界でもついと備えに気を張ってしまう、ダテの長所であり短所でもあった。
馬車道から外れ、牧場の柵を頼りに草原の上を歩く。遠く霞がかり、青空に溶け込むように見える山々から吹き込む冷たい風が草の匂いを嗅ぐわせる。
最早地図を見る必要すらなくなった、一つの待合所にダテは入った。
「おお、ダテ様…… お待ちしておりました」
ダテの世界にある田舎のバス停に似た、屋根から壁から座る所までが一体化している待合所、そこには一人の老人が座っていた。
「こんにちは、お加減はどうです?」
「だいぶ良うなりました、痛みは無いし、この分なら杖はいらなくなるかもしれませんな」
左手を杖に乗せ、右足をさすりながら老人は笑った。
「じいちゃん、足、悪くしてたのか?」
「おお、アロアか…… 久しぶりじゃの、手伝いかい?」
「ん、ああ……」
手伝えとイサには言われたが、本人にそんなつもりはなかったのだろう。アロアは決まりが悪そうにしていた。見た目や言動の通り、嘘は苦手らしかった。
「では、失礼します」
ダテは老人のズボンの裾を捲り上げ、靴を脱がせた。露わになった右足にはふくらはぎから土踏まずまでを直線に、そこから足先に巻き付き、再び逆側のふくらはぎの辺りへと伸びる形で複雑に巻かれて固定された布があった。
「……?」
それを不思議そうに見るアロアをよそに、ダテと老人は会話を始める。
「うん…… ご自分でなされたのですか? 良く出来てますね」
「教えて頂いた通り、思い出しやってみたのですが、間違い無いですか?」
「ええ、充分です。これだけ出来ているとかなり楽でしょう?」
「ほっほ、直接して頂いた時ほどではありませんがな……」
微笑みを返しながら、ダテは布を解いていった。
~~
処置を終えたダテとアロアは待合所を出て、老人を見送った。
二人は次のポイントへと向けて歩き始める。
「なぁダテ、さっきのあれはなんだ?」
「うん? いつも見せてる回復魔法だが……」
「違う違う、なんかぐるぐると固そうな布巻いてたろ?」
「ん……?」
ダテは足を止め、アロアを見ながら首を捻った。習うように立ち止まったアロアが見上げてくるのに合わせ、単語を投げかけてみる。
「テーピング」
「へっ……?」
明らかに呆気にとられた表情をするアロアに、ダテは確信した。
「い、今なんて言ったんだ? 外国語か? 変な発音だったんだが……」
「……足を固定してやって、楽にしてやるっていう治療法だよ。骨折したら添え木とかするだろ? それの軽いやつだ」
翻訳魔法は相手を取り巻く世界の言語情報や、知識の完全に外にある単語を訳すことは出来ない。この世界、少なくともこの地域において彼の施術は一般的ではないようだった。
「へ、へー…… そんなのがあるのか…… じいちゃん喜んでたが、そんなにいいのかあれ?」
「ああ、痛い時とかだるい時は楽になるぞ。やり方は結構難しいけどな」
ずっと昔に自分のために覚えた技術。自分には必要のなくなった今も、時折と他人のためには役に立っていた。
「でも、なんでそんなのやってるんだ? 回復魔法使ってるんだろ? 一気に治せないのか?」
「回復魔法ってのは自然なことじゃないんだ。自然じゃないものには歪みが出る。ゆっくりと、時間をかけて自分の体で治せるならその方がいい。俺が自分の回復魔法に「薬草」をイメージしてるのも、体が自分の力で自分を治す、その自然な感じを出すためなんだ」
「ん~…… 病気の時に苦い薬飲んで寝てる感じか?」
「まぁ、そんな感じだな。薬ってのは体を切ったり貼ったりよりは体にも負担は少ない。栄養とって寝てりゃ治るもんなら本来薬だっていらないんだ。魔法だって同じようなもんさ」
「そういうもんか……」
最近よく一緒にいるダテの仕草が移ったのか、アロアは頭に手を当てながら何か考えていた。いい刺激にはなっているのかなと、ダテは軽く微笑みながら止めていた足を動かした。
~~
二件、三件と周り、昼の少し前くらいになって最後のポイントを出た。いつもより少し時間がかかったのは背の低いアロアが同行しているためだが、ダテとしては特に悪い気はしなかった。無駄に出来る時間もそれほどないとはいえ、今は思いつくこともない。
『たいしょ~~!』
「おっ……」
「……?」
遠く、空から金色の妖精が迫ってきているのがダテに見えた。
「ダテ?」
「あっ、いや…… クモがな」
「クモ? あいつ…… 一緒じゃなかったのか?」
教会を出てダテとともに歩き始めた頃は一緒にいると聞いていた、姿の見えない妖精。見えるようにしてもらっても人目のある所ではどの道話せない、アロアには若干歯がゆい存在でもあった。
『どうだった、クモ』
『結構いる感じっス、この世界魔力高いっスから復活も早いんでしょうね。今日は真面目に掃除しといた方が良さそうっスよ』
『そうか……』
往診の途中、ダテはクモに例の林を見に行かせていた。思えばしばらくと放置し、行ったとしても邪気祓いの魔方陣の中で例の本と格闘していたくらいだ。そろそろと必要性は感じていた。
『……しかし妙ではあるな、早過ぎるような気もする』
『こいつは私の勘っスけど、「合月」が関係しているのかもしれないっスね』
『珍しいな、同意見だ』
「どうかしたのか?」
立ち止まってクモのいるらしい方向を見たままになるダテ。黙ったまま難しい顔をする彼についとアロアは話し掛けていた。
「……あの林だが、魔物が増えているらしい」
「そうなのか?」
ダテが腕を伸ばし、指を差した方向に例の林があった。
「ちゃんとお前仕事してるんだろ? それでも増えてんのか?」
「充分過ぎるくらいには倒しておいた―― 倒してるはずなんだがな…… ん……?」
そこまで言って、ダテは当初気になってはいたはずで、結局聞かずのままだったことを思い出した。
「なぁ、アロア…… お前なんであの時、林の中なんていたんだ?」
「え”っ……?」
「うん?」
聞かれたくないことだったのか、アロアが固まった。そんな自分を見つめ続けるダテの目を見、やがて彼女は観念したように口を開く。
「……イサには言うなよ、自分で反省はしてるんだから」
「あ、ああ……」
「あの林な…… こっから教会までの近道なんだ」
「ん……」
おぼろげに、ダテの頭の中にこの周辺を上空から見た図が描かれる。確かに、日々の往診の最後のポイントであるこの場所と教会を塞ぐように、その林はあった。
「前々から、たまに使っていたんだ。距離考えたら馬鹿らしいからな、わざわざ遠回りすんのも」
「馬鹿らしいってお前…… 滅茶苦茶危険だろうが」
「と、特別わたしがおかしいわけじゃないぞ? 姉ちゃんだって使ってたし、村の連中だってたまに通っているんだ」
「村の人も……?」
一応と、仕事の時間内は働かずとも林の中にはいたダテが見る限り、そんな様子はなかった。これまで中で見た自分以外の人間はアロアだけだ。
「魔物が出るっていっても…… 前はあんな怖いのは出なかったんだ。そりゃ形は似てるけど、もっとちっこくて、棒きれでも持ってれば逃げてくくらいのもんだったんだ」
初めて聞く話で、意外な内容だった。
「……前っていうのはどれくらい前なんだ?」
「前か? ……多分、一年か一年半か、それくらい前だと思う。確かそのくらいの頃に神父が魔物が凶暴化しているので入るなって村のみんなに言い出して…… この間わたしが入ったのもそれ以来だ」
すっとクモがダテの肩口へと近寄った。
『大将…… やはり……』
『「合月」だな…… 林自体に魔物を強化するような特殊な魔法は見られなかった。自然現象として、何かそれが影響を与えていると見るべきだろう』
ダテはアロアとともに、林ではなく、遠回りをして教会へと戻っていった。
その脳内に、この世界に対してのある「疑念」を抱きながら。




