28.近き帰還の知らせ
時刻は二十時半、空に浮かぶ双月は身を擦り合わせるような形で空に浮かんでいた。
「……この調子なら、あと一週間無い感じか」
教会の緩やかな傾斜の屋根に腰掛けた伊達は暖炉用の煙突に背を持たせ、その様を見ていた。
折を見て書庫を漁れど『合月の日』の正確な日取りはわからず、わからないどころか例の本以外にその記述すら見られず、こうして伊達は日々の観測に乗り出している。
ここ四日間の観測の結果、少しずつ、少しずつ、並んでいた月は右に浮かぶ月に左側の月が迫る形で重なり始めていた。
『完全に合わさったら「合月」なんでしょうか?』
『さぁてな、詳しいことはわからん…… 一日だけなのか三日ほどあるのか、情報が無い』
『やっぱり聞いてみるしかないんじゃないスか?』
伊達は懐から金襟の箱を取り出し、一本引き抜き、発火させた。
『……時期尚早だ』
煙を吐き出す。それを聞けそうな人物に一人だけ心当たりがあった。長年に渡りルーレント教会に勤め、話によれば御年五十四歳だという最年長の修士、イサである。それとなく日々の会話の中で聞いて見たところ、彼女は今のアロアとそう変わらない年の頃からこの教会にいるという。そうであるならば二十五年前は二十九歳、何かを知っている可能性はある。
『前々から思ってたんスけど、何を渋ってるんです? 聞いたら何かまずいんスか?』
『まずいかどうかもわからん…… だから渋ってるんだ。俺が今知っているのは合月魔法、合月の日に選ばれし者が使えるというそれだけだ。それが使えてなんなのか、いったいその魔法にどういう意味があるのか、その点がまったくわかっていない』
『そりゃそうスけど…… 知ってるなら教えてもらえないんスかね?』
『知ってるとして、向こうに都合が悪かったらどうする? 態度が豹変するならまだしも、嘘を交えて話されれば今の俺の情報量なら判断出来なくなるぞ』
『でも…… ほんとに都合が悪いならあの本だって貸してくれないんじゃ……』
一本を咥え、口に含み、息を吐き出す。紫煙が月光に照らされながら踊る。
『それだけじゃ判断出来んさ。なにせ古い本だ、内容を読めなくて知らないのかもしれないし、何か理由があってこちらを試しているとも考えられる。誰でも読んでいい本だからな、警戒するのもおかしいだろ』
『む~、そうですけどぉ……』
頭を抱えながら羽をぱたぱたやるクモ。妖精は妖精なりに、打開策を導き出すことに一生懸命なようだった。
『でも、まぁ…… そうも言ってられんようになってきたか……』
『えっ……?』
煙とともに、少々疲れたような声でもらす呟きには諦めの色があった。
『今日の夕方、手紙が届いた』
『手紙……? 大将にですか?』
『ああ、レナルド神父から、俺と教会宛てにな』
むむっとクモが険しい顔をした。
『手紙には、なんて……?』
『四日後だ、今日はもう終わりだからもう三日後だな。帰ってくるらしい』
『えっ…… ってことは……』
『俺の役目が終わる。来た日と同じように、入れ替わりで都に戻ることになる』
クモが驚き、手と羽をぱたぱたやった。
『そんな! 大将の見立てではまだ合月まで日はあるっしょ!? せっかくアロアちゃんと仲良くなって面白そうな子も出てきたっていうのに!』
煙を吐きながら、クモの後半の言葉に眉間にシワをよせつつ、伊達は言う。
『はいそうですか、って素直に帰るわけないだろ。「仕事」さえ終わっちまえばあとの体面なんざどうでもいいんだ。こっから動く気はないさ』
『ほっ…… そりゃそうっスよね……』
『だが少なくとも表立ってここには、この周辺にはいられなくなる。俺がいることが不自然になるからな…… 教会のメンツともお別れだ』
『えぇ~…… そんなぁ~……』
伊達は一本を上へと放り投げる。それは激しく燃え上がり、灰となって風に流されていった。
『話が聞ける機会ってのも時間が限られてきたってことだ…… 明日か明後日か、それくらいで答えが掴めなきゃもう手立てが無い、イチかバチかで直接聞いてみるしかないだろう』
『うわぁ~…… そりゃきっついっスねぇ~……』
『向こうが答えざるを得ないくらいのネタが集まれば、イチバチも無いんだろうがな……』
『合月魔法』と『合月の日』を知って既に四日目、教会に辿り着いて九日が経過していた。神父の仕事の傍ら、決して遊んでいたわけではない。目指す情報量に対し、残された調査日数は少な過ぎた。
『何か新しいことでも起こらないと厳しそうっスね……』
『そうだな……』
日々、進展はある。だが、今は起爆剤が必要だと伊達は感じていた。
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中世クラシカルな豪奢な天蓋付きベッドの上、白いキャミソール姿の少女が枕を抱えてごろごろしていた。
「ああ…… ダテ様……」
心に抱えたどうにもならない罪を吐き出させてくれる、教会にそんな場所があることは聞いていた。しかし、父をして世間知らずと言われる自身でさえ、まさか件の教会に白昼堂々と入り、実際に使ってしまうとは思ってもみなかった。
あわよくば、もう一度あの姿を拝見できるかもしれない、そんな想いもあったわけだが、「恋」というものは恐ろしいなと彼女は思う。
だが今は、そんな恐ろしいものに捕らわれ、生まれ出た行動力に感謝をしていた。かなり心に負担を受け、教会に入る時も小さな箱部屋に入る時も足が震えて止まらなかったが、勇気を授けてくれる素晴らしい老人に会えた。
老人は「こんな自分」にさえ、それは自由だと言った。素晴らしいことであるとまで言ってくれた。ならばいいのだ。自分を許すのは自分なのだから。
人の神とはなんと懐が広いのだろう。常に見守られる彼らが羨ましかった。
箱部屋を出た後は、よく手入れされた綺麗な庭で楽しい人に出会った。
その人は「お綺麗ですね」と世辞をいい、見ない顔だがどこから来たのかと尋ねた。この質問には難色を示す以外になかったのだが、とりあえず「西の方です」と方角だけを言うと、問いに深い意味はなかったのか、「そーですかー」ところころ笑った。
そして、ここだけの話だといい、とても偉い修士様が今、告解を聞いてくださっているのでよかったらと勧めてくれた。あの老人のことだろうとすぐに理解出来た彼女は、やはり偉い人だったのだと今更ながらに自らの幸運に喜んだ。
声も身振りも大きい、明るい女性修士のその人はとてもよさそうな人で、もう少し話してみたかったが、庭ではお婆さんの修士が机を置いて何か忙しそうにしていたので遠慮をすることにした。
ただ一つだけ、答えてくれることを期待して甘えてみたが。
「不思議なお名前…… あの美しいお姿の通り、どこか遠くの方なのかしら……」
教会にいる若い男性の方はなんというお名前なのか、その質問に、明るい女性修士はあっさりと答えてくれた。「ダテ」というらしい今は神父の代わりを務めるその修士。とても丁寧で優しく、いい人なのだという。そして、見たこともないくらいカッコいいですよねと、同意を求められた。それはまさにあの夜に見たあの人だと思うと同時、自分の感覚はおかしくはないのだと嬉しくなった。
偉い修士様にお言葉を戴け、楽しい人に出会って、彼の名前を知れた。素晴らしいとしか言い様の無い幸運が続き、最後に一つだけ、その幸運に染みが出来た。
「でも、もうあと数日でいなくなってしまわれるだなんて……」
でも残念ですがと前置きをして言った女性修士。その言葉によれば、彼は留守をしている神父の代わりにこちらへ来ているだけで、もう直に、都へ帰ってしまうのだという。
空を飛んでも都は近くは無い。例え行っても、都に住む大勢の中から彼一人を探すことは難しい。何より都にはドゥモ教の本部がある。軽々しく行けるような場所でもない。
彼女は枕を抱いたまま、身を起こした。
「頑張らなければ…… いけません。気をしっかり持つのです」
ぎゅっと枕を抱きしめ、呟く彼女。
そんな彼女を今まさに話しかけようと部屋の扉を半開きにした父が見やり、「うんうん」と何かを勘違いしてそっと扉を閉め、廊下を歩いて闇に溶けていった。
――双月が完全に合わさるその日まで、あと六日。
夜は変化の兆しを見せながら、静かに更けていった。




