27.伏せき修士様の過去、その真相
西日に茜色に染まる裏庭の花壇の縁に腰掛け、ダテは俯いていた。
「つ、疲れた…… 本当に、なんて疲れる世界なんだ……」
この世界に訪れて以来、散々に自覚は出来ていたことではあったが、今更ながらにやりづらい世界だと自覚せざるを得なかった。
『大将が超イケメン設定って話ですか? 私的にはすごく面白いですが』
妖精は暢気にぱたぱたと、楽しそうに彼の隣を飛んでいた。
『何が面白いことがあるかっ! 俺は影からこっそり動いていくタイプなんだ! 目立っちまったらやりにくいだけだろうが!』
『またまたまたまたー、いっつもなんのかんので矢面に立っちゃうやり方じゃないスかー』
幸いと、あまりの反響にもうやらないことが決まったが、午前中から続いた今日の懺悔は悲惨だった。
お互いに相手の見えない懺悔室。だが、その実ルーレント教会における男性修士はダテ一人。教会の人間を把握している者達にとっては誰が応対に出ているかは明白なのである。
狭い村内、毎日のように往診に出ていた彼はその『美形』ぶりと上品さで、本人に自覚の無いままに順調にファンを増やし続け、その結果が至る先が今日だった。
教会内の修士達は修行のおかげか自分達の分をわきまえているのか、やたらとお茶に誘ってくるくらいのものなのだが、一般人は遠慮が無い。もとよりそれほど女性を相手にするのが得意ではないダテには、こういった展開は苦行以外のなんでもなかった。
『でも、大将が勇者パーティーから離れてこうしてここにこられたのも、なんだかんだでそれがきっかけじゃないっスか。踏ん切りつかなくて都を越えてたらと思うとゾッとするっしょ?』
『まぁ…… それはそうなんだが……』
ダテは最早、会うこともないだろう勇者を想った。
ちょっと頼りないところもあるが、いいやつには間違いなかった。少なくとも助け甲斐のあるやつだとは思っていた。そんな勇者が仲間になってたった一週間、二週間ほどで見る間に元気を無くし、やつれていく様は辛いものがあった。
『……今更ですが、その後、彼は大丈夫なんでしょうか』
『まぁ…… 大丈夫なんじゃ…… ないか? よりが戻ればいいが……』
どう考えてもヒーローとヒロインだったはずの片方、ヒロインであるはずの賢者が、助けてやったり助言を与えてやったりしている間に、どんどんとダテに惹かれてしまったのだ。おまけに成り行きで、本来ヒーローがやるべき、仲間である魔法使いの心を開くという重要イベントをダテがこなしてしまったせいで、そこから一行の中で微妙な信頼のカーストが生まれた。
以来、自ら勇者と率先して普通に話すのはむくつけき筋肉の塊のみ。決して悪気があったわけではないのだが、せっかくこの世界の主人公をやっている彼に対し、ダテは哀れみや申し訳無さを覚えずにはいられなかった。
『幼なじみって…… なんなんでしょうね、大将……』
『そうだな……』
何より、旅の終盤での勇者に対する賢者の汚物を見るような目は忘れられない。あの目が出てから勇者がぐらつく度に、ダテは『禁則』による目眩に襲われていた。
きっとこのままいけば、勇者は気落ちして本来の実力を出せずに魔王に負けてしまうのだろう。そちらはダテの「仕事」では無いにしろ世界には都合が悪いことのようで、その考えに至ったダテは折を見て彼らから離れることを決めた。
それはこの先、決して誰にも語られることがないだろう、これから語り継がれるはずの勇者の物語の影――
『辛いな……』
『辛いっスね……』
しんみりと、修士と妖精は夕陽を見上げた。遠く離れた彼の人に、よりは戻らなくてもせめてふっきれてくれ、そう願いながら。
「ん……?」
『あっ……』
裏口の扉が開く音が聞こえ、中からちっこい青いのが現われた。珍しくベールを着けていない彼女はふらふらと、夕陽に全身を照らされながら重い足取りでこちらへ向かってくる。
「アロア……?」
その様子に不思議そうに問いかけたダテの問いには答えず、彼女は脱力するようにダテの隣に座った。
「ぐはぁぁぁ…… 疲れたぁぁ……」
両手をだらりと下げ、首は天を仰ぐアロアはまさに満身創痍といった感じだった。
「どうした? 何があった? お前今日は休みじゃなかったのか?」
昨日、豊穣の日のアロアはダテをして「お前誰よ?」というレベルの完璧な修士だった。青い法衣の上から儀式用の雅やかな青い外套を纏い、朗々と祈りを読み上げ、訪れた信徒や村人達の歌に合わせてオルガンを弾いた。
その堂々たる様は今思い返しても身震いの来るようなもので、彼女が生粋の神の徒であることを知らされると同時、意外な責任感の強さや実直さに、ダテはその人間性を見直していた。
初日に神父が言った「ああ見えて儀式に関しては真面目」という言葉には全く嘘はなかった。たった一回、年に一度の儀式であれ、影で相当な努力を重ねていたことは確かなのだろう。
ただ、今の目の前の彼女には昨日の面影は微塵も無い。
「昼にイサに捕まったらひたすら土産売りさせられたわ……! 若いのからオバサンまで女ばっかりこぞって来やがって売るもんなくなるまで働かされた! 普段の倍以上働いたわ!」
「そ、そっか…… お疲れ……」
「お前のせいだろうがっ! なんで懺悔なんか受け付けてるんだお前はっ!」
「ええ……!? 俺のせいか?」
「そりゃそうだろ! お前みたいなのが受け付けなんかやるからだな! あっちこっちから女がやってきて――」
ダテの後頭部から乗っかるようにして、ひょこっと妖精が顔を出した。
「アロアたん、アロアたん、どうして大将が受け付けすると女がよってくるっスか?」
「う……」
言い淀み、アロアは目を逸らして両手の指を合わせ始める。その様子ににへらっと笑ったクモの顔が見え、彼女は立ち上がって激昂した。
「んなもんこいつが偉いからに決まってんだろっ! 勇者と一緒にいたやつなんだぞ!」
「そぉスかぁ~……」
にやにやと、ダテの頭頂部に肘を立てて寝そべるクモ。ダテはそいつをひっぺがして投げ捨てた。
「わざとじゃないが、俺のせいなら悪かったな」
「い、いや…… いいけど」
再びぺたんと彼女は横に座り直した。
しばらく言葉もなく、二人して疲労に任せて座り続ける。若干肌寒くも感じる夕暮れの空気の中、射し込む西日の熱が心地よかった。
「あ、悪ぃ、そういや昨日に続いて、今日も魔法見てやれなかったな……」
「全くだ…… 間を…… 空けたくないってのに……」
もう少しで何かが掴めそうな気がする。練習中にそう言うようになったアロアの言葉はいい加減なものではなく、ダテもそう思っていた。彼女の性格からすれば、地味で面白くもない練習だろう。だが、妙に覚えはいい。本人は否定するが、きっとどこかで毎日復習しているのだろうと、教える側として彼女の生真面目さは喜ばしく、嬉しくも思う。教えた初日、教え込むのは厳しそうだと思った頃が懐かしくもある。
「ま、もうちょっとだ。お前の覚えならあと二日もすれば――」
彼女を見るともなしに言い出すダテの膝に、ぼてっと乱雑な感じでアロアが倒れ込んで来た。
「うぇっ!?」
「おおぅっ!」
仰向けの危なっかしい乗っかり方に、ダテは慌てて落とさないように膝と手で支える。そのシチュエーションにクモは喜色満面だった。
「ああんっもう、大将ったらまたそんな面白いことをっ!」
くねくね楽しそうにするクモを、冷や汗混じりにダテは見る。
「ってか、こいつほんとに十五なのか? なんか子供が電池切れたみたいにぶっ倒れたが……」
「……相当お疲れなんスな、色んなことがありましたし、昨日の疲れもあるんでしょう」
膝の上にだらしなく寝っ転がるアロア。ダテにとっては珍しくもなくこの世界では珍しい、白い緑髪を西日に金に染め、彼女は緩んだ寝顔を見せる。ダテとの確執、ローラへの想い、豊穣の日―― 色々なものを乗り越えた、それ故の安心しきった顔なのだろうと、ダテは思った。
ふっ、と一つ微笑み、ダテは彼女を抱えて立ち上がった。
「部屋まで持って行ってやるか」
「それがいいっスな。今日はアロアちゃんには振替休日なわけっスし、後一時間くらいで晩ご飯っスから、それまで寝かしといてあげましょう」
人一人の体重程度では動じない、それでも軽く感じるぬくもりを抱えたまま、彼は歩み始める。裏口の扉を「念動」で開閉し、西の廊下をアロアの部屋へと向かう。
その腕の中、眠ったままのアロアがみじろぎした。
「……真の姿を取り戻せし…… 蒼空と黒を心に……」
「……!」
――彼女が越えなければならないもの、その壁は止むことなく眼前へと迫っていた。




