19.眩き満月の笑顔
数分後、起き上がれるようになったダテはアロアとともに埃っぽい書庫を出、今は礼拝堂の長椅子に腰掛け、俯いていた。
「ほ、ほんとに大丈夫なのか? お前……」
隣に座るアロアは落ち着かない様子でそんな彼を覗き込む。
「病気…… いや、病気とかそんなんじゃないぞアレは…… なんかもっと危険な……」
クモの放つ光に誘われるままに庭を歩き、書庫に辿り着いたアロア。そのタイミングは丁度ダテが倒れ込み、クモが騒ぎ出したまさにその瞬間だった。
咄嗟に窓を開けて飛び込んだアロアは、昼間からの連想なのか人を呼ぶなどは思いつかず、その場で回復魔法を使うことに思い至ったという。
「たまにあることだ…… 気にしなくていい」
「たまにってお前……」
アロアが目にしたダテは苦悶の表情とともに全身が明滅していた。何か体調に異変が起こり、顔が蒼白になっていたことまでは理解出来るが、体が透ける―― 点いたり消えたりするなどという病気は聞いたこともない。彼女にしてみればダテが持ち直した今にしても、先ほどの症状が気が気では無かった。
「お前のおかげで助かった…… 人を呼ばないでくれたのにも感謝だ。ありがとな……」
実のところ、アロアの回復魔法に彼の症状を抑えるような力は無い。彼の回復は自然なもの、引き起こしていた行動を止めさえすれば収まる。ただ、襲っていた苦痛を和らげるには効果があった。
「ま、まぁ…… いいけどさ……」
出会った瞬間から仇のように扱い、今は見張っているつもりの相手から感謝を言われる。嫌な気分ではない、だが妙な気分ではあった。
「たいしょー、水っス」
ぱたぱたと、陶器のコップを抱えながらクモが飛んで来た。
「おう、サンキュー、気が利くな」
「いえいえ~」
受け取り、ダテは一口喉を潤し、むせた。咳き込むその横顔を見ながらアロアは、「あっ」と何かに気付いた声を上げた。
「ん……?」
「お、お前…… ひょっとして…… なんか、呪われてるのか……?」
呪い。正直なところ、ダテには言われた意味がわからなかった。「病気」というならわかる。
「あんなのがたまにある、なんて…… 魔王になんかされたんじゃないのか……?」
魔王、そういえばいたな、そんなの。そう思った。
「なに言ってんスか? アロアちゃん。大将のアホっぷりは天然なだけで呪われてなんて――」
すぱこん! ぺちゃ! 妖精が床に張り付いた。
「ああ…… 実は、そうだ」
ダテは思い出した。そうだ、と。
そういえば今の自分はそういう「設定」を持っていたのだと。
「や、やっぱりか……! 変だって思ってたんだ!」
「変……? まぁ、体が点いたり消えたりなんて変だとは思うが……」
「ちがうちがう、お前がここにいる理由だ!」
「えっ……?」
何を言わんとしているのか、今度こそわからなかった。思わず呆けてしまうダテに、アロアの小さな手から指先がピンと向けられる。
「だってお前、勇者と一緒に戦ってたんだろ? だったらおかしいじゃないか。なんで今こんな田舎で神父の代わりやって、わたしに魔法なんて教えてるんだ。今も一緒に戦ってなきゃ変じゃないか」
「あれ? お前にその話…… したっけ?」
「イサから聞いた…… 聞かされた」
途中で自ら話を打ち切ってしまった時のことを思い出したのか、アロアがそっぽを向いた。
「お前の昔を勝手に知ったのは悪いと思うが、わ、わたしのせいじゃないぞ。聞かされたんだ」
「なるほど……」
ようやくと、ダテはアロアが「呪い」と言い出したくだりからの、彼女の自分に対する当て推量を理解した。そして奇しくも、その推測はダテが自分ででっちあげた「設定」に合致していた。
自然と緩みそうになる頬を律して、思い煩うような複雑な心境を演じる努力をする。
「……お前の思うとおりだ」
顔を逸らしていたアロアの目線がちらりとダテを見る。彼の目はアロアには向けられておらず、礼拝堂の隅に置かれた古ぼけたオルガンに注がれていた。
「俺は勇者とともに旅をしていたある日、一人になったところを魔王に襲われ、呪いをかけられた。不覚だった……」
「えー? そんなことありましたっけ――」
すぱこん! べいんっ!
はたかれた妖精が前の席の背もたれに跳ね返り、アロアの足下の方へと消えていった。
「そ、それで……?」
クモはムシされた。
「隠して我慢してたんだがな…… 勇者、あいつが聖なる剣を法王から賜って、そしたらもう、俺はあいつにはついていけなくなった」
「えっ……? な、なんでだ……?」
「聖剣の出す聖なる力が強すぎたんだ…… 俺の呪われた体では近くにいるだけで苦痛だった。もう一緒にはいられない、いられる時は終わった…… 俺はそれを理解したんだ」
過ぎた時間を滔々(とうとう)と語るダテ。その横顔を見ていたアロアの視線が下がった。
「あいつらは引き留めてくれた。聖剣を捨てようとまで言ってくれたやつもいた。でも、魔王は聖剣でなければ倒せない…… だから俺は、別れを選んだ」
「どうしようも…… なかったのか……?」
「戦えないんじゃな…… 一緒にいてもあいつらのためにならない。いいやつらだったし、寂しくはあったがな……」
ダテは目を閉じ、コップを一つ煽る。今更ながらに『これ白ワインじゃねぇか、何考えてんだドアホ』と妖精に思念を飛ばすが、反応は無かった。
「そっか…… 一緒にいても、迷惑か……」
小さな呟きが、ダテの耳を打つ。振り向いて見る彼女は、ダテを向いて両手を長いすにつき、うな垂れていた。
「……そうだな、向こうがそうは思わなくても、俺が迷惑をかけたくなかったんだ。それで俺は、都に残って、ドゥモ教の本部に入れてもらった。もう出来ることはなくても、せめてあいつらのこの先を、無事を祈ってやりたいと思ってな……」
別れの話。聞かされた話に自分を重ねて想い、椅子に乗った自らの手の甲を見ていたアロアの視線に――
「さぁ、お前は、どうしたい?」
白い、一通の封書が差し出された。
――『アロアへ』
教会の高い窓から射し込む眩い月明かりに照らされ、記された文字が目に映る。
見間違えるはずがない、長く共に過ごし家族同然、姉妹のように一緒にいた、今も大事に想う人の綴る自らの名前――
目を見開き、どうして、と封書を受け取り、力の薄い動作で顔を上げる。彼の顔は大人の、優しい笑みを見せていた。
「ごめんな。俺も、お前のことを聞かされたんだ。言ったのはノナだが、お前のためを思ってやったことだ、責めないでやってくれ」
ダテがぐっと右手を握り、開く。その手の中に、昼間に見せてくれた小さな魔法の球、輝く光の球が現われた。彼がそれに指示を送るように指を差し、アロアに向けると球は独りでに、彼女の方へと浮かんでいった。
「正真正銘、本人からの手紙だ。読んでいい。中身は言わなくてもいいぞ」
緩慢にぎこちなく、指先が焦ったように封書を開いていく。
取り出した縦長の二十センチほどの紙片に、見知った人の文字が並んでいた。
「お前…… これ、どうやって……?」
「昨日行ってきた」
「へ……?」
「ノナの話の通りなら、今は都にいる。ローラって名前もわかってて、嫁ぎ先の相手の商売もわかってる。だったら最近アーデリッドの娘と結婚したっていう人を、同じ商売をやってる連中に聞いてまわるだけだ。会うのは簡単だったぜ?」
探し方なんてどうでもよかった。距離がおかしい。アーデリッドで育ち、出たことのないアロアには異国にも感じられる姉との距離。
「連れてきてやろうかとも思ったが、それはお前も困るだろ? だから手紙を書いてもらった。何が書いてあるかは俺も知らん。さ、読んでやれ」
信じられないが、事実真新しい手紙が手の中にある。
そんな有り得ないことへの疑問。抱きつつも、書かれた文に目は吸い寄せられていく。
ダテが作った照明を頼りに、彼女の目が手紙をなぞる。
頼りない、力の入らない表情が、それに従って熱を帯び――
「ぶっ……! くっ…! ふはっはっはっ!」
盛大な笑い声が礼拝堂に木霊した。
「え? ええっ……!?」
まさかの大笑いにダテが仰け反った。
彼女は涙を流して笑い、心の底から愉快で、楽しそうだった。
「はっ、ははっ……! 間違いない、姉ちゃんだ……! くくっ……! ぜんっぜん変わってねぇ……! なんだよくそっ!」
「お、おお……?」
「だめだ! 見せてやらん!」
思わず気になって身を寄せそうになったダテの肩を、アロアが張り手した。
「あー、もうっ…… ばっかやろー、そーだそーだ、こういうやつだったよ!」
青い法衣の少女はすっくと立ち上がり、手紙を手に歩きながら快活に笑っていた。今までの雰囲気が、夢だったのかと思うほどに。
「な、なにがあったっスかぁ……?」
「さ、さぁ……?」
ひょろひょろと戻ってきたクモとともに、ダテは呆然とその姿を見ていた。
目元を法衣の袖で拭い、そんな彼らにアロアが振り向く。
「ダテ!」
「……! お、おぅ……」
「すまんかった! そんで、ありがとな!」
力強い動作で一礼をされ、ダテはますます面食らう。
「い、いや…… まぁ、喜んでくれたならいいが……」
面くらいながら言葉を返し、ダテははっと、彼女の顔を見た。
ずっと見てきたはずの、漂っていた険のある雰囲気が消え、元気で満ちている。それは丁度、射し込む光の源、満月のような曇りの無い、明るい笑顔だった。
「じゃあな! ダテ! また明日、よろしく頼むぞ!」
呆けてしまったダテを残し、彼女が軽い足取りで礼拝堂を出て行く。
ダテはそれを見送り、彼女が完全に姿を消した後、はたと気付いた。
「はぁ…… どうしちゃったんスかね……? アロアちゃん……」
唐突な彼女の変化にまだ呆然とするクモ。ダテはそいつに向けて、したり顔をしてやった。
「どうやら、お前や恭次の望む方向にはいかなかったらしいな」
「へ? えっ? なんスか? 突然……」
いきなりの内容に戸惑うクモに、ダテは笑みをこぼす。
「転校生にしょっぱなからちょっかいをかけてくるやつ…… そいつは『ヒロイン』じゃなくて、『友達』になるやつだってことさ」
双月の照らす礼拝堂の中。「仕事」の進展に満足そうに、彼女の過ぎた先をダテが見つめていた。
~~
『――アロアへ。
結局何も言えないまま、出て行ってしまってごめんなさい。
私があの人と仲良くなって、あの人の話をする時、次第に心なく、不機嫌になっていくアロアに私は気付いていました。
思えば一番仲の良い、アロアの姉ちゃんだったのに、何も考えてあげられなかったね……
本当に、勝手に出て行ってごめん――
な~んて言うとでも思ったかバーカ!
てめぇ、なんか落ち込んでるそうじゃねぇか、百年早いはアホたれが!
こっちはいいダンナ捕まえて、いい暮らしして毎日がウハウハよウハウハ!
もう一回強調するとウハウハよ!
だからてめぇも落ち込んでなんかないで、てめぇなりに姉ちゃんみたいに毎日楽しく過ごしやがれこのちくしょーめ!
ああ、そうそう、ババァは元気か? 物置につっこまれたら姉ちゃんの作った穴でこっそり逃げろよ? レナルドのおっさんは生きてんのか? どうせまた変なもんや、くっさい葉巻並べて成金趣味してんだろ? うちのダンナより金持ってそうだが、使いすぎないように言っとけ。
それと、あの、巨乳…… ノナな! 生意気だから揉んどけ、御利益で私らのもデカくなるかもしれん。
他の連中にもよろしくな、ただでさえ地味でつまんねー場所なんだ。お前が暴れ回んなきゃ毎日楽しくなんねーぞ?
これだけは言っとくが、アーデリッドと都なんざたかだか馬車で二日だろうが! 深刻になってんじゃねーよ! こっちが落ち着いたら帰省してやるから覚悟しとけ!
んで、今度こそババァに一泡吹かせてやろうぜ?
(この手紙はババァには見せるな、絶対だぞ!)
じゃあな! 甘ったれんなハゲ!
――世界で一番美しい玉の輿姉ちゃんより。
追伸
くそがっ! 私のダンナよりいい男じゃねーか!
そんなん近くにいて毎日寂しいとかぶっころすぞてめぇ!
なんか、なよっちいけどそこがええわ、首輪でもつけとけ! じゃあな!』
ベッドの中、アロアは手を組み、想う。
「幸せになれよ、姉ちゃん…… せめて祈ってやる」
少し開いた窓から風が射し込み、枕元の手紙がかさかさと音を立てた。
「……クソがっ」
目を閉じたまま、一言漏らす悪態。
彼女は安らかに、涼しげな風に撫でられたように微笑んでいた。




