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玄人仕事  作者: 千場 葉
#6 『コネクティング・ホーリー・アンド・ダーク』
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14.暗き食堂でのひととき


 入り口の柱に両手を掛け、青い法衣の少女はじっと動かずにいる。


「な、なんだよ……」


 無言で見つめ続けられることに耐えきれず問いかけてしまったが、よくよく見るとアロアの目はダテに向いているわけではなかった。

 その目線の先には、ちゃっかり次の桃を抱えた妖精がいた。


「あっ、てめぇ!」

『三つ目です』

「自白してんじゃねぇよ!」

「そこに何かいるのか?」


 はたと、ダテはアロアを一瞥いちべつし、険しい顔で目を伏せ、だらりと右腕を上げた。


「……!」


 ポンッとテーブルに煙が立ちアロアが目を丸くする。彼女の目には煙の中から、昨日の使い魔が現われたように見えた。


「おいっス、アロアちゃん! 桃食べるっスか?」

「お前な……」


 無駄に元気に桃を頭上へと抱え上げるクモにダテはうな垂れた。顔を上げるとアロアと目が合う。逃げようとしないことからダテは雰囲気を察し、あごで対面の席を促した。

 迷うように足を二、三。逡巡しゅんじゅんを挟みつつも、アロアは食堂の中へと入り、ダテの対面に座した。


「ほい、アロアちゃん! 桃っス!」

「あ、ああ……」


 勧められるままに桃を手に取るアロア。しばらくの間、食事に戻ったダテと、うつむいて桃を食む一人と、夢中になって果物にとりかかる一匹の物音だけがそこにあった。

 ややあって、アロアが顔を上げ、言った。


「こ、こいつだったんだな……」

「ん?」

「も、桃が勝手に消えていくから…… なんなのかと……」


 ダテ以外の人間に不可視の状態でクモが食べる食物。それは宙に浮かび、独りでに消えていく謎物体となる。


「こいつは…… クモは食わなくても大丈夫なのに食いたがるんだ。困ったもんだ」

「そ、そうなのか……」


 だがすでに彼女はクモの存在を知っている。単に驚いただけであり、確認せずとも見当はついたことだろう。本当に話したいことはそれではないと察することはたやすかった。

 二言ほど交わし再び訪れる沈黙。仕方無いなと、ダテは自ら話題を振ることにした。


「明日から――」

「アロアちゃん! この桃美味しいっスね!」


 が、クモが先行し、ダテの気遣いが流される。


「お、おう……」

「村の人がこんなの持ってきてくれるなんて、教会は村に好かれてるんスな」


 勝手に話し始めるクモ。相変わらずこいつはと少し顔をしかめたダテだったが、任せてみることにした。警戒されている自分が話しかけるよりはいいのかもしれない、そう思い直して。


「ああ、村のみんなは…… いいやつばっかりだ。ドゥモの信者とか関係無く、みんなが畑で出来たものとか、お土産とか持ってきてくれる」


 三切れ目の桃にフィニッシュを決め、クモはアロアに向かってテーブルをちょこちょこ歩き始めた。そしてアロアの手が届くくらいの位置で止まると、ぱっと明るい笑顔で言う。


「いい村っスな! 来れてよかったっス!」


 なんだかんだと、ダテと奇妙な言い合いばかりやっているクモ。勝手気ままでほぼ考え無し、おっさんみたいでキモい時もある困ったヤツではある。だが、彼女の笑顔はいつも無垢で無邪気。人の警戒を解き、場を和ませる。そんな魅力があった。


「そ、そっか…… 田舎が好きなのか、変なやつだな……」


 クモから目を逸らし悪態をつくアロアは、言葉とは裏腹に少し嬉しそうだった。妖精がひょいと空を飛び、アロアの小さな左肩に飛び乗る。戸惑いを見せた彼女は、「にへへー」と笑いかける妖精に諦めたような笑みを見せ、うつむいてそのままにさせた。

 クモがさっと目配せをし、理解したダテは軽く微笑み、話し出した。


「明日から、魔法を教えてやることになったんだが…… 聞いてるか?」

「うん…… イサが、言ってた」


 顔は上げないまでも、今までよりは幾分トゲの無い返事が返る。


「そっか…… 厳しくはないが、そこそこに退屈だ。我慢してくれ」

「うん……」


 ダテは知らない間に最後の一切れになってしまっていた桃を一口で食べ、空になった食器を重ね始める。その音に、アロアが顔を上げた。


「お、お前、怒ってないのか?」

「ん?」


 皿を持っていた手を止め、ダテがアロアの顔を見ると、彼女はさっと右を向いた。


「ど、毒を盛ったし、悪魔扱いしたし、昨日は蹴った!」

「あ、ああ…… 蹴ったな……」


 無理矢理がんばるようにして逸らせていた顔を戻し、アロアの顔がダテを捉える。


「普通怒るだろ! お前はへたれなのか? 聖人なのか?」

「う、うーん……」


 怒ってほしいのだろうか、そう考えてみるがダテは特に怒ってはいなかった。それは嫌な気分にはなるかもしれないが、理不尽に慣れすぎた彼にとってはその程度はまさに子供イタズラ、気にすることでもない。そして、ノナから事情を聞かされた今となってはだ。


「怒るっていうより、戸惑うかな……」

「戸惑う……?」


 止めていた手を再び動かし、皿を重ねていく。


「別に俺は何されようが何言われようが、自分が死なねぇならなんだろうがかまわない。ただ、自分が知らないところで何かやっちまってて、それで嫌われてるっていうなら気にはなる。お前とは会ったばっかりだ。よくわからんままに色々やられて、怒る以前に自分が悪いのかって戸惑ってる感じだな」

「……む、むつかしーな」

「うん、むつかしくしてんのはお前だけどな」


 あごに手をあて、うつむいて考え出すアロア。その様子に、好機と見たのか妖精がダテの懐に指を差し、ちっこい両手の指で四角を描くジェスチャーを見せる。

 ダテはその合図に、軽く首を振って答えた。


「まぁ、仲良くしてくれとは言わないが、俺は別に何かしようって悪いことを考えてるわけでもない。ここに来たのも神父の仕事をしにきただけだし、魔法もちゃんと教えてやる。気にくわないかもしれないが、敵みたいに思う必要は無いんじゃないか?」


 言って、椅子から立ち上がる。聞こえているのかいないのか、アロアは動かなかった。ダテは重ねた食器を持ち、


「じゃあ、明日な」


 と残し、食堂を出て行った。やがてキッチンの方から裏戸を開く音がし、庭の井戸がキィキィと鳴った。


「ねぇ、アロアちゃん」


 肩に乗ったままの妖精が、押し黙ったままのアロアに話しかけた。


「大将はぶっきらぼうで口が悪くて、あんなのっスけど…… 実は私から見てもアホなんじゃないかって思うくらいに優しい人っス。何やったってそうそう怒んないっスよ?」


 優しい声だった。不必要なくらい元気な姿ばかり見せる子供のような妖精。そんな今までの印象とは違う大人びた柔らかい声に、アロアは少しだけ、辛い時には寄り添ってくれていたローラのことを想った。


「……どうして、そうなんだ?」

「なにがスか?」

「そうそう怒らないって……」


 近すぎて妖精の姿はしっかりとは見えない。だがアロアには、クモが微笑んだように感じられた。


「いっぱい、辛いことを経験してきたからっスかね…… 人の痛みがわかり過ぎるんスよ。大将は強くも弱くもありますから、強い人の痛みも、弱い人の痛みも、どっちもわかるんス…… その上、あの人は子供っスから」

「こ、子供……?」

「元からそういう人なのか、経験がそうしちゃったのかは一緒にいすぎて私にはわからないっスけど、玄人くろうと気取ってるくせにバカみたいに純粋な人なんス。子供のまんまの目で色んなものを見るっスから、色んな人の想いが見えちゃうんスよ」


 本人を前にすればぶっ飛ばされて中断されるだろう、そんな物言い。アロアにはわかるようなわからないような、そんな話だった。


「ああ、でも大将怒るとわりと怖いんでオススメしないっスけど、怒らせようと思ったら二つくらい方法があるっス」

「……?」

「食べ物を粗末にすることと、悪党になること。これだけはやっちゃダメっスな」


 そういえば、と、ぶん投げてしまったパンを回収された時のことを思い出す。「お前喰いもん粗末にしてんじゃねぇよ」と、そんなことを言っていた。


「特に、悪いやつにはなっちゃダメっスよ? うちの大将、相手がどーしようもない悪党なら何やってもいいってくらいに思ってるフシがありますから、男も女も子供も老人も関係無く、魔物も悪魔も神様も関係無くボコボコにしちゃうっス…… ってまぁ、アロアちゃんに言っても仕方無さそうな話っスけどね」

「そ、そうなのか……」


 ふわりと、妖精は肩から飛び立ち、アロアに振り返った。


「まぁ、変な人っスけど、私としては仲良くしてやって欲しいっスな。あれはあれで寂しがりやっスから。それじゃ、また明日――」

「ま、待ってくれ!」


 去りかけた妖精に、アロアが立ち上がった。


「お、お前…… クモっていったか?」

「あい、クモっス」

「一つ、教えてくれないか?」

「……なんスか?」


 アロアは両手の指を合わせ、少しもじもじとクモが喜びそうな動作を見せたあと、ええいと無理矢理な感じで聞く。


「あいつは…… 結婚とかしてるのか?」


 「ほぇ?」とクモが固まった。羽が止まっても落下はしなかった。

 どういう質問なのか、と少し頭を巡らすクモだったが、彼女が言わんとすることを察することはたやすく、今日確かめておきたかったのはこれなのだと理解することも簡単だった。


「私が奥さんっス!」

「はっ?」

「……というのはいつもやってるジョークっスが、見たまま独身っスよ、大将は」


 見たまま、というのはよくわからなかったが、それはアロアにとっては嬉しい答えではなかった。彼女が怖れているもの、その実現に繋がる。

 クモはそんな彼女の心根を察し、裏表の無いクモでも、こればかりは本人の前では触れられない、そんな言葉を告げることにした。


「……きっとこれからも、誰かになびくことはないのかもしれないっスな。大将は、真面目でめちゃくちゃ純粋な人っスから」

「……? それはどういう……」


 一つ微笑みを見せ、クモは彼女から遠ざかった。


「それじゃあアロアちゃん、おやすみっス!」


 煙が立ち、妖精は彼女の目には見えなくなった。

 アロアは気が抜けたように、再び椅子に身を持たせた。


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