13.長き道のり
食堂にある十人掛けのテーブルに座り、ダテは一人、遅い夕食を取っていた。手のひらほどのパンが三つにカボチャのスープ、香辛料を使って濃いめに味付けされたサラダ。今日はデザートにと村人が持ってきてくれた桃が一つあった。
食事の用意は当番制。大所帯でもないので一人か二人で全員分をまかなう。得意な者と苦手な者を組み合わせ、ある程度の献立は決まっていて内容にぶれは少ないが、それでも上手い下手は出るらしく、今夜は当たりのようだった。
『大将、食べる前の祈り忘れてるっスよ?』
『あー、別にいいだろ。日本人は「いただきます」で充分だ』
『それすらやってないじゃないっスか……』
暗い室内、白いテーブルクロスの上に乗った器を頼りなげなランプの灯が照らす。食卓にランプという洒落た光景を、電気が無い世界に慣れすぎてもはや見辛い程度にしか感じないダテではあるが、柔らかな暖色に染められる食事にはやはり食欲をかき立てられる。
『ねー大将、桃もらっていいっスかぁ?』
『おいおい、デザートは最後だろうが』
『いや、私そもそも何も食べてませんし』
都へと訪れていたダテが用を済ませ、教会に戻ってきたのは彼の持つ携帯電話によれば十九時前だった。都にいたのは三時間ほど。彼は戻ってから日が落ちるまでの間、例の林を含め村近隣の魔物の出没地帯へと寄っていた。
これから先、午後の神父の仕事に時間を割かれ続けることは好ましいこととは思えなかった。「仕事」上、何が起きてもいいように自由に出来る時間は多ければ多い方がいい。そのために、せめて討伐業務だけでも無くそうと先んじて魔物達を殲滅しに行ったのだ。
そして、寄り道の理由はもう一つある。
『しゃあねぇなぁ、ほれ』
パチン、とダテが桃に向けて指を鳴らすと、桃は刃物で切られたように綺麗に六分割された。
『おおー、絶好調っスな!』
『おう、魔王だの勇者だのがいる世界は楽でいい』
どの世界においても、「仕事」のどの段階においても、彼には暇を見つけてはやっておかなければならないことがある。今何が出来て、今何をやってはいけないのか、その把握だ。これはその世界での「仕事」において、自らの行動を決める際の指針にもなる。
『そら、とっとと食え、言っとくが一切れだけだぞ』
『あい!』
ぽんっと妖精が顕現し、桃へと向かった。法衣姿の妖精がみずみずしい桃をがじゅがじゅやる様は微笑ましくもあるのだが、どこに入るのか放っておくと全部食べ尽くすので注意が必要だ。食べさせなくても不満を垂れるだけで特に問題は無い分、食事が必要な飼い主としては損した気分になる。
うまそうに桃を食べるクモを見ながらパンを飲み込み、ダテは懐に手を入れた。引っ張り出した白い封書、開封するわけにもいかないそいつを見ながら、ダテは思う。
『何か気の利いたことでも書いていてくれれば助かるんだがな……』
思っただけであれ、思いは飛んでしまっていたようで両手で桃を持った妖精が振り向いた。
『気になるなら見ればどうスか?』
『ん……? ああ、聞こえたか……』
『今の大将なら楽勝っしょ? 透視しながら「解読」使うだけっス』
ダテはいつ何があってもいいようにという理由と、単に毎回かけるのが面倒という二つの理由から、複数の魔法を自らに常態化させている。その中に『翻訳』の魔法がある。だが、それは音声の変換であり、文字に対応しているわけではない。
文字を読むための魔法は文字そのものにかけねばならず、読んでいる間にも魔力が消費されるため、常態化はおろか今のように魔力の高い世界以外ではおいそれと使えるものではなかった。
『出来るからってなんでもやっていいわけじゃねぇんだよ、『禁則』じゃなくてもな』
言って手にしていたそれをしまうと、ダテはスープにスプーンをつっこみ、食事を再開した。
『ふぅ、やっぱ真面目っスなぁ、大将は……』
ふっ、と微笑んで桃を食べ出すクモをよそに、ダテは食事を続ける。そして口を動かしつつ、「仕事」について頭の中を整理し始めた。
あの日、クリア寸前のゲームを中座して、扉の擬態にまんまとやられて引きずりこまれてからすでに一ヶ月の時が流れていた。
勇者に出会ったのは訪れてすぐ。早々に主人公に出会い、同行にまで漕ぎ着けられたことに当初の彼は気を良くしていた。
何せ主人公は勇者であり、敵は世界を混乱に導こうという魔王だ。きっと協力を続け、勇者が魔王を倒すまでを手伝えば終了。勇者は出会った頃にはもう充分に強く、仲間も引けを取らないくらいに強かった。それに加え、輪をかけまくって強い自分がいるのだ。なんて楽な「仕事」だろうと、ダテはそう思っていた。
しかし、「仕事」とはそう甘いものではない。一週間が経ち、二週間目に差し掛かると、彼も気付かずにはいられなかった。
――あれ? こいつら別に俺がいなくても魔王倒せるんじゃないか?
その気付きはダテを焦らせるに充分だった。
そもそもが、必要とされないのであれば彼がその世界にいる理由が無い。呼び出されること自体が不自然、無意味ということになる。彼流の言い方、考え方からすれば「仕事」の無い場所に「労働者」を呼ぶ「雇用者」はいないはずなのだ。
召還され、初めて勇者と出会い、同行することになったきっかけの出来事は、いわゆる「負けイベント」だった。まだ勝てる条件の整っていない状況で強敵―― とある街中に突然に現われた魔王に出会い、絶体絶命の窮地に彼らは陥っていた。そこに颯爽と姿を現し、魔王に程々のダメージを与えて撤退を決めさせたのが他ならぬダテだ。
勇者一行に感謝され、その場にいた人々には新たな救世主と映り、「魔王を退けた」という逸話はそこから来ているわけだが、本人が「やったぁ今回楽勝じゃん」などと考えていたとは誰も思うまい。
そんな出来事があったからこそ、彼は見落としていた。「負けイベント」は「乗り越え可能」なイベントであるという可能性を。
「思えばあそこで助けるのが「仕事」なら、その場で「扉」が出てもおかしくはないよな……」
『ん? 何か言ったっスか? 大将?』
「いや……」
目の前で「主人公」の窮地を見、これ幸いとばかりに助けに入った。助けたことは事実だ。だが、後にして思えばその場面に自分が入る、その必要性があったのかどうかは疑わしい。何せ相手は「魔王」だ。自信満々に、弱者めとタカをくくって勇者達を放って帰る愚を冒す可能性は無きにしも非ず。自らが手を下さずとも、勇者一行は自分達で先へと進めたのかも知れない。
今、ダテがついでもらしてしまった呟きの内容も、彼らと同行している頃に考えなかったわけではない。ただ、まだわからなかったのだ。勇者達との旅路の先、本当に「扉」が迎えに現れる、確定的に彼が関わらなければ解決出来ない、そんな問題が待ち受けている可能性もゼロとは言い切れなかった。
しかし結局、ダテは彼らと別れることになった。そしてようやくと気付いた。助ける助けない、同行するしないは関係無く、彼らはダテを特定のポイントへと誘うための道標に過ぎなかったということに。
「……!」
『あっ……』
食堂の入り口から、体を半分出して青いのがこっちを見ていた。
勇者に誘われ、ドゥモ教の本部に送られ、一ヶ月の時を掛けて辿り着いたアーデリッド。
長い「仕事」の終点は、小さな田舎の教会だった。




