12.愛しき家族への想い
昼の祈りを終えて自室に戻ったアロアはベッドに倒れ込み、天井を見上げた。
昨日から不機嫌を続け、次第に無理に続けるようになり、いざ冷めてしまうとどっと疲れが出てきていた。そしてその疲れがまた、彼女を不機嫌にさせようとする。悪循環だった。
「くそっ、あいつめ……」
何度言ったかわからない悪態をつく。そろそろと言い飽きてきたことを自覚してはいるが、どうにもならない。
考えがぐるぐるぐるぐると回る。そもそも自分が何に腹を立てているのかと、考えてしまうこと自体が嫌だった。
「姉ちゃん……」
天井には、木造の木枠、歪んだ場所に染みが見える。どうしてそう見えたのだろうか、小さな頃、ただの染みが悲鳴を上げる人の顔に見えて怖かった。それが怖くて、いつも近くにいてくれた姉代わりのローラに頼み、強がりを言いながらも一緒に寝てもらっていたことを思い出す。
自室にあるもう一つのベッドに目をやる。シーツを剥がされたベッドには、相部屋だった頃の面影はもう無い。それは見る度に、一緒に遊び、一緒に学び、一緒にイタズラをし、時に叱ってくれた。そんな姉はもういないのだと実感させられ、辛くなるだけだった。
ローラが出て行った当初、彼女の様子を見かねたノナが何度となく、相部屋にしようと言ってくれていた。それは今でも時折続いている。しかしアロアには、まだこのベッドに違う人が寝るということ、いたはずの姉の存在が消えてしまうということを、素直に受け入れられる気持ちにはなれなかった。
コトリと音を立て、風に吹かれたカーテンが小さな木の人形を動かし、窓枠から床へと落下させた。アロアはベッドから身を起こし、少し慌ててそれを拾い上げる。
子供向けの、手のひらより少し大きな人形。頭に埋められた毛糸の長さが、かろうじて女の子だとわかるだけの、裸の木細工。小さな姉が、小さな自分にプレゼントしてくれたものだった。
無事を確認され、人形は窓際から、本棚の上へと移動された。
「ごめんな、姉ちゃん……」
自分を置いて出て行った。結婚だ、姉を祝福したくないわけじゃない。それでも思い出す。都から行商に訪れた、洗練された見た目の若い男。日に日に姉と仲良くなり、ついには自分から奪っていってしまった男。
別に悪い男では無かった。姉だけになく、自分にも、教会の誰にも優しく、村人達にも喜ばれる心に描いていた都会人とは思えない、気さくでいい男だった。
ただ、いつからか、姉が仲良くなるに連れて不愉快になった。姉にとって一番だったはずの自分から心が離れていく。わかればわかるほど、不愉快になっていった。
そして、姉が出て行くと聞いて、最後の数日。
アロアはついに、ローラと言葉を交わすことは一度も無かった。
再び、アロアはベッドに寝っ転がる。
「わかってるんだ…… あいつは、あの兄ちゃんじゃない…… でも、嫌なんだよ……」
――都会から、神父の代わりに若い男がやってくる。
それを聞かされた時、アロアの胸元に二ヶ月前の不愉快さが蘇った。
「次は誰を連れてくんだ…… もうやめろよ、ほんとに……」
教会の外でこっそりと待ち伏せして、誰よりも先に「あいつ」を見たアロアの不愉快は、もう止められないほどになった。顔も姿も全然違う、それでも洗練された都会人で、姉をさらっていった男と同じくらい優しそうな男だった。
きっと、同じ。
大好きだった姉のように今度もまた誰か、生まれ育ったこの場所の、大事な自分の家族を奪って都に連れていってしまうのだろう。
それだけは、許すことが出来なかった。
少し零れてしまった涙を拭い。アロアは身を起こした。
「わたしがしっかり…… あいつを、見張っておくんだ」
そんな決心を固めたアロアの自室に、落ち着いたノックの音が響いた。
~~
光射す林の中を、少女が歩いていた。光を透すように揺れる、長く、白い金の髪。上質な白いチュニックの上からロングスカートへと繋がる青いコルセット。
アーデリッドに住む者ならば誰もが知っている村外れの魔物の出没地帯。透き通るような肌の少女が優雅に歩く様は、見る者がいれば目を疑い、覆いたくなるような惨劇の一幕にも映る。
「綺麗……」
うっとりと、少女の鮮やかな緑色の瞳が木漏れ日に照らされる林を見回す。所々と、倒壊した木々こそ見られるものの、暗黒の魔力が抜けた林は輝く新緑と爽やかな草木の香りに包まれていた。
「見に行くように言ってくれたお父様に感謝ね…… いつもこうなら素敵なのに……」
呟いた少女は微笑とともに、林を散策し始める。その場の美しさを目におさめるのではなく、木の倒壊の具合や、傷を受けた草木の様子、衝撃を受けた地面の状態などに瞳が動く。
葉が音を立て、黒いもやを纏う獣が現われた。獰猛さを滲ませる鬼面。この林では主となる、四つ足の魔物だった。
「魔物……」
少女の呟きと同時、魔物は地を踏みならして駆けた。他者に害を成すことが彼の機能。目標を目にしたのであれば行動は一つだった。
だが、今まさに跳び、息の根を止めにかかる、そんな距離に入った魔物は身をすくませ、足を止めた。
少女の瞳が、魔物を射貫いていた。
二、三、後ろへと歩み、魔物は静かに木々の合間へと戻っていった。
「……小さく、弱々しい。これだけ暗黒の魔力が無くなれば当然ね……」
地面を蹴る動作もなく、すっと少女の体が宙へと浮いた。そのままゆっくりと上昇を続け、木々の高さを越え、青いドレスと、空の色が混じり合う高みへと昇る。
「予想以上ね…… お父様はどうご判断なされるのかしら」
空の彼方へと、少女は飛び去っていった。
~~
「なななな! なにぃっ!?」
教会の裏手の庭。簡素な物置や私的な花壇のある一画へと呼び出されたアロアは、とんでもないことを口走ったイサに対して動揺の叫びを上げた。
「声が大きいです。少し抑えなさい」
「は、はい……」
イサより何か個人的なお小言を食らう修士はたいていがこの場所へと呼び出され、事と次第によってはそのまま物置へと放り込まれることとなる。通称「説教の花壇」と怖れられるこの裏庭はルーレントの修士達には居心地の悪い場所であり、常連であるアロアにとってはいるだけで萎縮してしまう最悪の場所でもあった。
最悪の場所で聞く、最悪の話。ただただ動揺する他無かった。
「でも、そそそそれ、マジでやるのか……?」
「ええ、すでにお伝えはしてあります。しばらくの間、時課の方はお休みしてかまいませんので、しっかりと指導を受けなさい」
「えっ…… いや、でも…… あいつ、神父の仕事が……」
「そちらは私の方で調整しておきます。あなたが気にすることではありません……」
「う…… で、でも…… あいつは……」
面倒を回避出来る言い訳は無いかと必死に頭を巡らすが、何も浮かばなかった。そもそも浮かんだところで相手が悪い。これまで言い訳が通用した例は数えるほどしかなく、それもローラの機転が絡んだ時のみだった。
「アロア、失礼ですよ」
「へ……?」
「ダテ様に向かって「あいつ」呼ばわりはやめなさい」
「う、うぐ……」
そういえばと、感情的になって「あいつ」と呼んでいたが、随分と年上の相手だったことを思い出す。だが、だからといって今更改まった呼び方など気分が悪い。ではどう呼んだものかと考え始めたアロアに、ここにきて不自然な点が見えた。
「あ、あれ……?」
「……?」
「あいつ…… ただの修士だよな? わたしとかノナとか、他の姉ちゃんたちと一緒で」
「だから失礼だと…… まぁそうですね、皆さんや私と同じく、修士です」
不自然はイサの言葉によって、ただの点から明らかなものになった。
「じゃなんで、「様」なんだ? イサだけじゃなく、神父だってそう言ってたぞ?」
「……? 教会の皆にはそれとなく伝えたつもりでしたが、あなたには伝わっていませんでしたか?」
「し、知らない! あいつ…… なんなんだ?」
昨日逃げだし聞きそびれた話。無関係だと思っていた魔王と勇者の話から繋がる先。
勇者とともに戦い、魔王さえも退けたという『奇跡の聖職者』――
ダテの正体を聞かされたアロアは数分間、言葉もなく固まっていた。




