7.オアシスを逐われし者
翌朝、厚い雲の向こうにかすかに太陽の円が顔を見せた頃、彼は再び頂上を目指し歩み始めた。
相も変わらず続く一方的な砂と岩の風景。変化と言えば標高が上がり、狭い道と登らなければならない岩が増えたこと、そして――
「ふぅ…… それだけで随分と生き物っぽくはなったな」
五メートルほどの岩盤をクライミングし、ダテはそれに言った。
ぱたぱたと、それは彼のまわりを飛ぶ。
「おう、だいじょぶ、だいじょぶ、別に落ちても死にはしないからよ」
昨夜、熱に浮かされるままに魔力を送ってしまったらしいそれには、変化が現れていた。
光の玉に、トンボのような四枚の羽が生えた。意味の無い変化で、今の状況で特別役に立つというものでもない。だが――
「おっ、ちょっと上の方見てくれ、敵がいないか確かめてほしい」
羽をはためかせ、光の玉が宙を舞う――
無味乾燥、どこまで行っても砂。そんな風景の中では、とるに足らないそんな変化。前を向いているのか後ろを向いているのかがわかるようになった、それだけの変化。たった一つの変化が彼の心に新鮮さを与え、前に進む足取りを軽いものにしてくれていた。
「……そうか、いないか」
光の玉は戻り、彼の前で横に揺れた。ダテは崖に腰掛け、マントの内側にぶら下げられた、半分ほどになった水筒を取り出す。
「はぁ…… 腹が減ったな。一日分の食い物くらい貰ってくるべきだったか……」
邪心払いの結界の力はウイルスにも作用したのか、ダテの体調はかなり回復していた。だが依然魔力は回復しておらず、空を飛んで一息に頂上へ向かうほどの力は蓄えられていなかった。
「……これは課題だな。もっと省エネな、消費の薄い空の飛び方ってのは探すなり考えるなりするべきなんだろう」
ほとんど羽を動かすことなく浮かぶ、そんな玉を見ながら今回の「仕事」を反省する。水筒を一口煽ると、コルク栓を閉めマントの中に戻した。
「ふむ……」
ダテは手を伸ばし玉に触れようとして、やめた。
玉はふよふよと横に回る。羽がついたというだけで、その二百八十度から八十度ほどを左右に回る動作が不思議そうにしているように見えた。
「いやな、もっと魔力を送ってみれば会話くらい出来るんじゃないかと思ったんだが…… 考えてみれば今俺にあるのは暗黒の魔力ばっかりだし、やめといた方がよさそうだ」
玉は前向きで、ちょっと下に降りた。残念そうだった。その様子に笑ってダテは立ち上がる。
「ま、じいさんの見解が正しければ、ここの上にある石をぶっとばせば本当の姿にも戻れるだろ。さぁ、さっさと世界を元通りにしようぜ?」
歩き出した彼を追いかけて、光の玉が羽をはためかせた。
~~
老人の元を彼が去り、丸一日が経過した。彼の眼前には昼だというのに暗く、紫がかった瘴気の世界が現れていた。
「こいつか……!」
隣に飛んでいた光の玉が怯える様子がわかった。ダテの右腕にも、ぴりぴりとウイルスが活性化する感覚が感じられる。
眼前に、火口のような広さのクレーターが広がっていた。そして窪みの中心には、それを形成したであろう全ての元凶。
「確かに…… でかいな……!」
三メートルから五メートルほどの紫色の岩石が中心部にひしめきあっている。全てつなぎ合わせれば直径三十メートルはくだらない、そんな隕石だったのだろう。その巨大さは破片となった今の状態でさえ異様なものだった。
「これが降って、よく世界樹が無事だったもんだな」
ダテには天文学の知識もなければ数学の知識も無い。ただ、隕石の恐ろしさは知っている。隕石を落とす魔法、それを知っているのだ。知識は無くとも経験がそれを知っている。
そんな彼だからこそ、瞬時にしてわかる。
「まいったな…… これは普通には壊せん……」
大きさが数メートルに達した隕石の地表へのダメージは原子爆弾や、サイズによっては水素爆弾にも等しい。それほどの高エネルギーを衝突させた『弾丸』がここまで原型をとどめている。その強固さは推して知るべしだった。
光の玉がゆらゆらと、不安そうに彼の横を飛んだ。
「大丈夫だ、それより……」
紫に濁った視界の奥、ダテが睨むその先に大小様々な陰影が現れた。侵入者の元へと、途方も無い数の化け物達が忍び寄っていた。
ライオンを巨大化させたような獣、隕石のサイズを小さくも見せるドラゴン、複数の人形が組み合わさり、レギオンと化した不気味な塊――
今まで目にしてきた感染者達の群れの中、明らかに毛色の違う者達が入っている。
「……本気ってわけか」
伊達は群れを睨みながら拳を握り込む。久々に、戦いに対して覚悟を決めた。
~~
生物としての時計が狂うほどに、鬼気迫る時間だった。
秒が分へと変わり、分は時へと変わる――
「そらそらそらっ!」
奪ったばかりの暗黒の魔力を連弾で放つ。宙を舞っていた翼竜の羽に穴が開き、その巨体が彼方の空へと落ちていく。
後ろから剣で突きを入れてきた人形に脇をくぐらせ、そいつの腕を持ってライオンを突き刺す。
「ぐぁっ……!」
横殴りに飛んで来た怪鳥に蹴られ、吹き飛ぶ。
「てめぇ!」
吹き飛びながら、隕石に右手を「伸ばして」絡ませ、吹き飛ばされた慣性に任せた円運動で怪鳥の背後へと周回し、
「――ざけんなっ!」
怪鳥を人形の群れの中に蹴り込んで群れもろともに吹き飛ばし返す。
一対百を超えた命のやりとり、熱い高揚感と死線を見据える冷徹な脳が全て「戦い」へと向かい、尋常を超えた集中力へと彼を誘う。
「うなれぇっ!」
複数の触手となった右手の全てに刃物を作り、体を旋回させて一気に化け物の群れを凪ぎ裂く。
凪いだ中にいた一体、ゴーレムと思われる岩の巨人がそれを掴み、その重量を振って伊達を空へと投げ飛ばす。
投げ飛ばされた先には紫の羽を持った天使――
「がっ……!」
天使は持っていた錫杖にて伊達を地面へと叩き落とす。地表に激突する直前、彼は体勢を立て直し、着地代わりに地面を蹴って天使に跳んだ。
「ははは! 笑かすなよコラァ!」
天使の後頭部を掴むと急降下し、その顔面を地表に叩き付けて仕留め、奪った錫杖に縦回転のジャイロ効果を加えてゴーレムの胸部へと投げつけ、破砕。
――さながらに、悪鬼のような戦闘のスタイル。
彼の過去に起因する、理不尽な境遇への反骨精神が生んだ、規律も美意識も何もない、チンピラ同然の喧嘩の在り方。
「吹き飛べゴミがぁっ!」
人形の顔面を掴んで振り回し、化け物を蹴散らしていく。
――始まれば酔い、終われば心に穴が空く。
「下がれや三下ぁ!」
空中にてドラゴンの頭部に肘を叩き込む、轟音をたて、その巨体が化け物達を潰していく。
――それは「世界」に雇われた、哀しき「労働者」の魂の悲鳴だった。
「終わった…… か……?」
死屍累々―― 戦場には彼以外、死して何かに物理的に支えられている者以外、立っている者はなかった。
「よう、終わった――」
マントにまで滴る赤黒い液体に染まった手を上げ、光の玉を向く。
遠くにいた光の玉は、さらに遠くへと距離を開けた。
「……怖がらせちまったか」
彼はどかりと座り込み、水筒を煽ると、懐を探った。
「あっ…… そっか、あげちまったんだったか……」
無性に吸いたいと思ったそれは、ブルゾンのポケットにはなかった。
「ん……?」
水筒を手に、戦闘中に切れてしまった口の中を洗っていた彼の元へと光が射した。
光は遙か上空から彼を射し、彼の周りだけを円形に照らす。
「……! サーチライト!?」
魔力をまったく感じない人工の光、世界に似つかわしくないその光に思わず彼は立ち上がる。
――光の先、巨大な鉄の船が彼を見下ろしていた。




