10.炎を纏いし空の王者
レラオンが驚きに目を見開く。
ユアナに投げられたガラの書が風に乗り、高く空へと上昇した。
書は彼らから遠く、グラウンドの一点へと落下を見せる。
「よしきたっ! うおおおおおおっ!」
そこに雄叫びとともに、紫の髪をなびかせながら一人の女生徒が走り込んだ。
「いかん……!」
動こうとするも風に押されるレラオン。かくして――
「うっ……! ああ……!? な、なにこれ……!」
ガラの書が、シオンの手に拾い上げられた。
流れ込む情報にたじろぐ彼女の後ろから、笑みを浮かべる金髪の友人が現れ、
「おやおや、お伽噺じゃなかったようだね」
両手に握られたその本に、迷いを見せることなく手を重ねた。
「シオン…… リイク……」
シュンは呆然と、その光景を見ていた。
守ることを、救うことを諦めてしまった友人達。彼らが見せたその奇跡の一部始終を。
「は、はは……」
力が抜け、自嘲めいた笑い声が、湧き上がって喉を突いた。
友人達を見ながら、シュンは自分がどれだけ思い上がっていたのかと、自らの至らなさを恥じた。守る、救う。そんな上からの考えなんて、全くもって恥ずかしい。
彼らは上も下も無い、心の底から対等な、大切な友人ではなかったかと。
「くっ……! 一度に『真魔法』の使い手が三人もだと……!?」
レラオンに焦りが走った。
ただの魔法合戦であれば、学生三人などものの数ではない。
だが、ガラの書が瞬時に伝える真魔法は『その者に最も適した属性のみ』。彼らが今、どのような真魔法を習得したのかは、『闇』のみを知る彼には全くの未知。
加えて彼も今覚醒したばかりには違いなく、まだ自らの力に不慣れな点がある事実は否めない。
リイクがシオンの手からガラの書を抜き取り、戸惑うレラオンに向け一歩前へと踏み出す。
「さぁどうする! ご所望とあらばこの本、ここにいる全ての者に触れさせるが!」
「ぬっ……!?」
指揮官が如く精悍な顔つきで叫ぶ少年の後ろ、百名余りの生徒達の姿があった。
「な、何を馬鹿なことを……!」
「僕は公平な男だ! 民が望むのであれば古代の英知、余すこと無く臣民にもたらそう!」
堂々とした物言いに、レラオンが気圧される。
一目に群を抜いた風格を備える少年。そのような危険が過ぎる愚かしい真似を行うようには思えないが、制服が示す通りまだ子供でもある。レラオンには真意が読み切れなかった。だが――
――やれって言うのか、リイク……
ちらと振られたリイクの目を、シュンは見逃さなかった。
シュンの前には、リイクとガラの書に釘付けになるレラオンの背がある。
「わかっているのか貴様! その書は世界の力の在り方を変える! 凡百の人間の手に委ねていいものではない!」
「そう思うのであれば大人しくこの場を去れ! 僕はお前一人の手に渡すに比べれば、この場の皆に託す道を選ぶ! 我が学友達を信頼する!」
うつぶせのシュンの体に、『癒やしの力』が流れこむ。
――シオン……
遠くに見えるシオンが、シュンにちろりと舌を出した。
遠隔から接している地面に流しこんでいるのだろう。『聖』属性の癒やしの力は間違いなく、シオンの魔力だった。
「ふん…… たかだか学生風情が真魔法を知った程度でいい気になるな! 貴様らと私では元が違うのだ! 貴様が行動を起こす前に我が力で奪い去ってやる!」
「ほう、出来るかな?」
前につき出したリイクの左手に、金の煌めきが宿る。
煌めきが一瞬に眩い光を発し、リイクの前に青く輝くクリスタル状の盾を出現させた。
「……! 防壁の真魔法だと……! 邪魔な……!」
「どうやら僕の属性は『氷』のようだ。普段最も得意なものが選ばれるようだね」
リイクの更なるパフォーマンスに、今やレラオンは完全に囚われている。
――わかったよ……
シュンは首を動かし、ユアナを見る。
彼女は一度、こくりと首を縦に振った。
――やってやる……!
レラオンの背中を定める。精神をその一点に絞る。
たった一撃でいい、その背後に穿つ、絶対的な一撃を『開く』。
目の前の氷の盾に対し、レラオンが右手に闇を纏った。
「くるよ! リイク!」
シオンが叫んだ。
「ああ! 強烈な一発がくる! 油断するな!」
爽やかに歯を見せ、リイクがレラオンを睨む。
レラオンは防御を試みようとするリイクの様子にほくそ笑む。
「はっ、情けのない話だ! いざとなれば、結局は真魔法を広める勇気などないのではないか!」
「なんとでも言うがいい! その一発、耐えられるかどうか試してやる!」
シュンの体が炎を纏い、うつぶせから浮上する。
――我が友が放つ一発を、お前が耐えられるかをな……!
「言ったな愚か者め! 貴様の盾など我が真魔法の前では――」
レラオンの右手が、後方へとひかれる。
「無力――」
「『イーグルドライブ』!」
その強烈な気配に、レラオンが動きを止めた。
彼の背後から、突き出した右の拳に螺旋状の炎を携え、全身を赤く燃え上がらせ、炎の翼で滑空するシュンが接近する。
大気を震え上がらせる爆炎が、絹を裂くような怪鳥の叫びを上げ――
レラオンの背中へと、豪爪を突き立てた。
凄まじい速度で打ち上げられ、前方のリイクを越え、生徒達の頭上を吹き飛んでいくレラオン。彼の体はシュン達から遙か遠く、グラウンドのフェンスに当たり、跳ねて落ちた。
衝突の勢いのまま、生徒達の中へと転がり込んだシュンが立ち上がり、
「……や、やった」
息も絶え絶えに呟き、膝をついた。
――わっと歓声が上がり、生徒達が拳を振り上げ、グラウンドを勝ち鬨の声が包む。
「シュン、大丈夫?」
「ひやひやしたわよ、でも褒めといてあげるわ」
「ユアナ…… シオン……」
見下ろす二人の顔を見、シュンは安堵とともに目頭が熱くなるのを感じた。
「ありがとう……」
格好悪く、すぐさまに顔を伏せ、それだけを呟く。
本当に良かったと、無事に終わらせられて良かったと、そう思った。
「何がありがとうよ、今日のMVPはあなたじゃない」
「がんばったね、シュン…… 助けにきてくれて、本当に嬉しかった……」
二人の柔らかな声に、シュンは肩が震えることを誤魔化し、
「よせよ…… かっこ悪い……」
そう、嗚咽混じりに、絞り出すように答えた。
二人に遅れ、彼らを囲む人垣をぬうように、シュンの背後からリイクが現れた。
「シュン……」
シュンは伏せていた顔を、呼び声の方へと向ける。
「すまない……」
――リイクの膝が崩れ、その長身がグラウンドへと倒れた。
「リイク!」
シオンが血相を変え、リイクへと駆けよる。
ユアナが追いかけ、シュンも力の入らない足をもどかしく、不器用に彼へと寄る。
「どうした! リイク…… っ!?」
息を吐くリイクの腹部から、赤く鮮血が制服を濡らしていた。
「や、やられたよ…… あいつ、吹き飛びながら咄嗟に…… 地面から…… 僕の背後へと、魔力の棘のようなものを……」
「リイク! ちょっと! しっかり…… あっ!」
声を上げていたシオンが、はっと何かに気づいたような様子を見せ、自らの手をリイクの腹部にあてがった。彼女の手に紫の光が散り、魔力が漏れ出す。
ユアナがシオンへと顔を送る。
「シオン……? それは……」
「大丈夫、回復魔法…… 私の『真魔法』よ……」
明かりが灯るように、ユアナが顔を綻ばせた。
「……それは、命拾いだね……」
「調子に乗らない、ちょっとお腹に穴が空いただけで人が死ぬもんですかっ」
「だが…… その魔法は、今はシュンに……」
苦悶の表情を浮かべるリイクの目線に、シュンは予感を感じた。
シュンは振り返る、その方向へと。
グラウンドの歪んだフェンスを背に、レラオンが立ち上がっていた。
その手には、『ガラの書』が握られていた――




