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短編倉庫

冥夜聖女の願い事







「私は貴方に、感謝しているのです」


 彼女はそっと、あなたに告げる。


「幼い私に、手を差し伸べてくれたこと」


「名も無かった私に、名をくれたこと」


「一緒に居ることを、あなたの隣に私が居ることを許してくれたこと」


「たくさんの幸せを、私に教えてくれたこと」


 彼女の言葉からは示すべき敬意が欠けていたけれど、あなたが口を挟むことはない。


「その幸福はあまりにたくさんで、私にはもう、返すことが出来ませんでした」


 だからせめて。



「私はあなたの遺志を、継ごうと思うのです」


 彼女は静かに不器用に、そう微笑んだ。











 戦乱の時代。

 大陸戦争と呼ばれる戦は、史上最悪の魔術師を生み出した。



 銀の術師と呼称される彼女は、帝国軍の魔術師だった。そして彼女の指揮官は、皇族の一員である青年(あなた)(あなた)が皇族である前から、彼女が魔術師となる前から、二人は親密な関係だった。


 魔術師は寿命を縮める仕事である。数人で一つの魔法を完成させるのが常だ。しかし彼女はさしたる反動もなく、一人で術を行使することが可能だった。

 人間の国において彼女は人の外に属する種族なのだと周りが、彼女自身が気が付いたのはいつのことだったか。それでもあなたは、彼女を自身の右腕とした。


 あなたの右腕だったが故に、彼女はあなたの命が消える瞬間を見た。





「術師様っ……」


 若い魔術師が彼女に指示を仰ぐ。

 初陣だっただろうか、と彼女は思いを巡らせ、安心させるための笑みを浮かべた。


「慌てることはありません。 獣人の魔法は私たちより劣ります。 こちらまで届くことはないでしょう 」


 若い魔術師の黒い瞳を見つめる。

 その色を密かに羨ましく思いながら彼女は諭す。


「私たちの仕事は丁寧さと冷静さが何よりも求められているのですよ?」


 それでも尚不安気な色を見せる部下に、左手を差し出すよう促した。


「あの、これ……」


 彼女が左手に赤色のインクで描いた紋様へ、部下は訝しげに目をやる。


「おまじないです」


 彼女の守りたい人はもういないけれど。

 あなたの護りたかったものを護ると決めたから。

 彼女は金の瞳に決意を宿した。








 充満する鉄の臭いと、生物が死にゆく香り。獣の部位を持つ兵士は、既に魔術師の陣営まで踏み込んでいた。

 決意も遺志も、意味はなく。


 彼女の眼前で若い魔術師が崩れ落ちた。

 状況を理解しても、彼女に出来ることはない。純粋な腕力のみで兵士に――野蛮な獣の種族に、敵うわけがなかった。


 帽子が地面に落下する。まとめ上げていた銀の長髪が、垂れ落ちる。人でないことを表す色にほんの一瞬、兵士が動きを止めた。


 彼女は決意していた。どんな手段を使っても、どれほどの犠牲を払おうと、あなたの護りたかったものを護ろうと。

 この戦に勝利を導くと。


 臓物を撒き散らしながら若い魔術師だったものが、ゆらりと獣人の後ろで立ち上がる。







 後日、勝利の報せが帝国へともたらされた。












「一時的ではありますが、死者を蘇らせる魔法を編み出しました」


 彼女の言葉は全てを揺るがした。


「今だ開発途中ではありますが、いずれ完全な蘇生魔法へとなるでしょう」


 ただ問題点を述べるならば、それは彼女にしか使うことが出来ない魔法だった。厳密には人間という種族には不可能。必要とされるエネルギーは、人では賄えない数値を叩き出した。


 しかし一般の魔術師にも行使出来る可能性を示し、彼女は仮の蘇生魔法の全てを帝国に捧げた。目的のために惜しむものは何もない。


 出自と種族とあなたが消えたことにより、時代の中心に出ることがなくなったはずの彼女は、大部分の嘘とほんの少しの真実により、もう一度最前線へと返り咲いた。







 彼女は名を名乗らない。

 単純に、名を持っていない結果だ。

 愛称と呼ぶべきものはあるけれど、それをあなた以外が口にすることは許さなかった。


「恐れることはありません」


 名は無くても、彼女を象徴するものは充分にあった。


「この世に有意義な死などは存在し得ません。 しかし、無意味な死には私が繋げさせません」


 儚げな微笑で、欺瞞を紡ぐ。


「これは、野蛮な亜人達から生を勝ち取るための戦いです」


 だからあなた方は勝ち取るために精一杯――死んでください。







 屍が積み上がるほど、血の臭いが広がるほど、帝国軍は優勢となっていく。

 意思を持たない肉塊に、ただ生者を殺せとだけ命じた。指示するのは敵の方向。誰が死に、誰が生きているのかは既にわからなくなっていた。


 死して尚、あなたに尽くすことが出来る。それをどれだけ望んでも、死体を()る側である彼女には与えられることはない。


 あなたの死に様はあんなにも美しかったのに。あんなにも空虚であったのに。彼らはこんなにも、醜悪な何かに満ちている。彼女自身が満たしているのだと知りながら。


 妾の息子ではあったけど、あなたはきっと最期まで――誰よりも誰よりも国に生きる者であったのだろう。愚かしいけれど、どうしようもなくあなたの死に様は綺麗だった。

 だから、だから全てが許せない。





 死者の力で成した勝利を、彼女は次々と構築していく。

 味方であった成れの果てに殺される恐怖が、彼女に魔女の称号を。人の群れの中で異質な彼女は、人外にとっても恐るべき対象へと。

 彼女の嘘に気付かない民衆は、気付かないふりをした者達は、彼女に聖女の称号を。人と違う色を持ってはいても寿命も肉体の強度もさして違いのない彼女が、傷付きながらも戦場にて力を振るうその姿は象徴として充分だった。


 この時代、彼女は(まさ)しく英雄であったのだから。














「……見捨てると、仰っているのですか?」


 彼女は指揮官に詰め寄った。


「戦略的判断だ」


 帝国の北西部に位置する町が奪われたという報告を、所属する隊は受けたのだ。


「……理由を伺っても?」


 彼女は激情を咬み殺し、問い掛ける。


「割に合わないからだ」


 指揮官は極めて冷静に言い切る。

 その町を襲撃したのはエルフだ。長命にして図太く、その魔術は――認めたくはないが――誰よりも勝る。


「例え術師殿が居ようと、多大な損失は免れない」


 損失を一時的に補うことこそが彼女の魔法であるため、損失を出すこと自体を否定する事態にて、彼女の力は活用したくもない。


「エルフなどに、帝国の土地をくれてやるおつもりですか」


 そこはあなたが命を代償にして護った場所なのに。

 あなたを蘇らせることが可能な唯一の種族に、あなたを蘇らせることを拒否した種族に、あろうことかあなたの屍が朽ちゆく時を早めた種族に、あなたがあなたがあなたをあなたの命を奪った種族に……。


 それは、とても……とても、面白いことをこの人は口にしたと思う。


 彼女の金眼が揺らめいた。

 おもむろに口を開く。


「……十五分、十五分だけ、私に説得の時間を下さいませんか」












 きっかりと時計の針が十五分後を指して、二人の篭った部屋の扉は開かれた。 

 それを目撃した者に、にこりと彼女は微笑んだ。後ろからしっかりとついてきた男の姿を確かめて、目撃者はほっと溜息を漏らす。

 しかし彼女の口から出てきたことばは、安堵を覆すものだった。


「これからの作戦は、全て私に一任されました」


 それはつまり説得に成功したということを、エルフの群れの中に飛び込むことを意味していた。


「何故ですかっ!」


 その者は彼女を差し置いて、自らの上司へと問う。しかし返事の代わりに帰って来たのは温度を感じさせない眼差しだった。


 彼女が華やかな笑顔と共に、宣言する。

 命を賭けなさい、と。

 その者にはそうとしか聞こえなかった。



 ——あなたが命を賭けたのだから……。

 

 彼女は薄紅の唇を湾曲させた。


 指揮官であった男の左手の、手袋に覆われたその甲で、血色の紋様が煌々と輝いていた。










 積み上がる勲章も心地よい名声も脳を響かせる言葉も、あの時代彼女が望んだのならば何であろうと手にできたのだろう。


 しかし、彼女が望んだのは形ないものだった。

 休む間も無く、休もうという意思すら無く、まるで止まることの出来ない魚のように戦場を泳ぎ回る。

 いつしか消耗を待つのが煩わしいと考えるようになり、彼女は最初から死体を携えるようになっていた。




 そんな日々を繰り返して、いつのことかすらも曖昧な時系列。


 ――何故。


 と問われたような、そんな記憶があるような、曖昧な認識が未だに彼女の中にはこびりついている。


 ――何故、人間の側につくのか。 何故、我等同種を滅ぼさんとするのか。


 一体彼女はなんと答えたのか、それすらもわからない。

 その種族は希少でありあまりに人に近かったがため、さしたる違和感も感じずに人の中で育った彼女が、自身の種の矜恃などというものを持ち合わせているはずもなく。

 あなたの不定形な愛情以外に情緒を知らない彼女には、倫理を捨て去った彼女には、どうでもいいことだった。

 だから今なら、こう答えるだろう。

 ただ一つ、あなたの遺志を継ぐために。


 ――勝利をもって、あなたを葬送(おく)ると決めたから。


 だから彼女は迷わない。







 彼女が進む度に屍の割合は増えていき、腐臭と血臭とあなたの選んだ香水が毒々しくも甘い臭いを印して行く、そのうちに。


 気が付けば最初から。

 戦場に出るのは彼女と無数の種族の――彼女と同じ銀色すらも入り混じった、汚い肉塊だけになっていた。













 死霊術師は微睡みの中へ落ちていく。

 あなたの姿を追いかけて、ぷつりと途切れるいつもの夢。大陸の全てが帝国の支配下となってから、一日たりとも欠かすことなく見る夢だ。


 いつの間にか全てが、終わっていた。

 目的を失った彼女の心は、壊れることを許さない。たとえ形だけだとしても平静を手にした世の中は、彼女の歪なバランスを崩してしまった。

 中途半端な正気が、現実を捉えかけた。


 思考の余地が、彼女の時間に現れる。

 もしも物を考えてしまえば、狂ってしまうと思ったから。彼女は死体を()ることで、安定を保つしかなかった。

 "考えない"、ただそのために。死んだ人は蘇らない、その現実から目を背けた。



 そして平和な筈の街並みに、崩れた屍肉が溢れ出し――。






 ある時、暦を捨てた彼女の前にあなたの顔が現れた。それがあなたではないと思い当たって、魔女は聖女の如く美しい微笑みを浮かべる。

 あなたにそっくりな彼が宣告する、その前に。


 ――私を殺して頂けますか。


不敬に不遜に冷静なまま、彼女は願いを吐き出した。






 ――いつからだろう。 あなたの隣で、駒となることを望み始めたのは。

 あなたの望みを叶えるだけで幸せだった。だからあなたの望みを、遺志を継ごうと決めていた。

 なのに、

 一体いつから目的と結果がすり替わっていたのだろう?




 亡くなった者たちを蘇らせられたなら。

 あなたの声をもう一度聞くことができたなら。

 最初は純粋にそれだけだった。


 彼女の間違いはきっと、あなたにしかわからない。


 彼女は狂えないまま手を伸ばし、最期の言葉を口にした。


××××(あなたの)帝国に栄光あれ」


 最後に一つ願うならば、

 ――この先私と同じ道を歩む者が、どうか現れませんように。











 聖女であった術師がいた。

 魔女と呼ばれた死霊術師がいた。

 英雄であり罪人でもあった彼女の"名"は最後まで、歴史に刻まれることはなかった。






 その後、帝国の"栄光"は数百年で幕を閉じることになる。










◆◇◆◇◆










 違う時代、違う国、同じ場所。

 一人の少女が今にも朽ちそうな本を手に取った。

 荒い息遣いで分厚いそれを抱きしめる。埃に咳き込み目に涙を浮かべながらも、その顔は確かに笑っていた。





 ——まっていてね、わたしのさいあいのひと。





 少女の歪んだその笑みは、どこか静かで不器用な――魔女のような微笑だった。















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― 新着の感想 ―
[良い点] 独特なテンポがあり、読後になんとも言えないような後味が残りました。厭世感、というのでしょうか。 褒め言葉にはならないかもしれませんが、とても儚い文章で、こういった文を書く方もいるんだな、と…
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