俺のスマホが火を噴くぜ
澄川樹は、遅れた昼食を会社の屋上で食べようと思った。
急な資料作成依頼が舞い込んでしまったのと、電話番も兼ねて昼休みは自分の机から離れられなかったのである。
資料作成は期日がまだ先ではあるが、ある程度の目鼻な付けておきたかったので自分から昼当番を買って出た。そうして昼休みが終わり、樹の昼休みが始まったという訳だ。
弁当が入った小さなバッグを持ち階段を上がり屋上への扉を開く。明るい光と温い風が樹に一瞬纏わり付いて通り抜けた。
「今日は風がぬるいなあ。」
呟きながら給水塔へと歩いていく。
給水塔の土台部分のコンクリートが座って弁当を食べるのにちょうどいい。樹はハンカチを敷いて腰掛ける。バッグから弁当を取り出すと膝の上に広げた。携帯マグは自分の横にある空のバッグの上に置く。
「いただきます。」
ちいさく言うと、黒ごま塩の乗った白米を箸にのせる。
温かった風も心地よく、太陽も暑いというよりまだ暖かい熱を放つ。
案外の心地よさに、樹は折角だから今日のお昼はギリギリまで休もうかなと考え始めた。
いやいやそれじゃあ悪いような気もするし。あの資料もとりあえず数字を拾っておかないと、期日までに仕上がらないかなあ。
取り留めの無い事をぐるぐると考えていた為、樹は屋上に自分以外の人間が上がって来たことに気付かなかった。
「――――」
「――――」
小さな話し声が背中から聞こえて樹の意識は現実へ引き戻される。
「誰だろう。」
そうっと弁当を持ったまま後ろを伺う。二つの存在が対峙していたのが見えた。
一人は営業の佐倉隼人で、もう一人は人というより影の様でなにやらはっきりしない。
影の様な黒い塊を見た瞬間、不快感が鳥肌となって樹の肌を撫でる。
――――絶対に関わりあいたくない――――
強くそう思って後ろから前を向こうとした瞬間。
「俺のスマホが火を噴くぜ。」
佐倉隼人が言いながら胸のポケットからスマホを取り出し、黒い塊に向けて言い放つ。
言葉と同時にスマホから業火が黒い塊へと噴出し、一瞬にして黒焦げにしてしまった。見た目は全然変わらないのだが、黒い塊と同じ形をしたものが風に何処かへと運ばれた。
「は?」
マヌケな声を出しながら思わず立ち上がる樹は声に気付いた隼人と向かい合ってしまった。
暖かな日差しをウェーブのかかった茶色い髪がきらきらと跳ね返す。
長身にストライプのシャツが良く似合う。濃いグレーのスラックスが覆う足は身長に見合った長さを主張している。
一瞬見惚れてしまった樹であったが、隼人が手にしていたスマホを見て我に返った。
手にした弁当が足元に落ちた時、
「ぶほべっ」
妙ちきりんな音を立てた。御飯や玉子焼き、アスパラベーコンと赤いウインナーがコンクリートの床に広がる。野菜が少ない気もするが、プチトマトは一番初めに食べてしまったから仕方ない。
樹は自分を見る隼人の目が少し細くなったのを認めた。次に冷や汗が流れる。
慌てて両手の掌を隼人に向けると思いっきり左右に振りながら少し大きな声で言った。
「わ・・・私、何も見ていません!!」
言い終えるや否や、ほっぺに黒ごまを一つ付けたまま、スカートではなくパンツを穿いているのをこれ幸いに猛ダッシュで屋上を後にした。
「・・・誰だ?あいつ。」
天パな茶色い髪が覆う彫りが深く整った顔立ちとモデル張りのスタイルのみならず、営業成績で結果を残している隼人はモテモテである。ぶっちゃけ来る者拒ますの人である。会社の独身女子達も掃除のオバチャンも一度は何かにつけて見に来た事がある、そんな存在、佐倉隼人。
その彼が知らない、というか今の今まで存在に気付かなかった女性。
澄川樹。その地味っぷりに密かに「地味川」と呼ばれている事すら、この時隼人は知らなかった。