第93話 |鉄帝《カイザー》の|激昂《ゲキコウ》、放たれる四つの|凶星《カラミティ》
黒い雨が、世界を塗り潰すように降り注いでいた。
大陸北西の果て。鋼牙帝国の最北端に位置する断崖絶壁。 かつてそこには、『|帝国魔導院・第零研究棟』と呼ばれる巨大な石造りの塔が、天を衝く墓標の如く聳え立っていた。 だが今、その場所にあるのは、抉り取られたような大地の傷跡と、遥か下の海面から立ち昇る白煙のみである。
ごうごうと吹き荒れる海風が、爆発の余韻と、そこで長年にわたり行われていた非人道的な実験の痕跡を、すべて彼方へと運び去っていく。 鉄錆の臭い。薬品の刺激臭。そして、数千の子供たちが流した血と涙の残り香。 それら全てが、腐食の雨に打たれて海へと還っていく。
その断崖の縁に、一人の少年が佇んでいた。
ボロボロの麻服を纏い、顔を煤と泥で汚した、Fランクの冒険者――シンである。 肌を焼く毒の雨に濡れることも厭わず、彼は眼下の虚無を見下ろし、その薄い唇に冷笑を刻んでいた。
「……壮観だな」
シンの呟きには、感傷など塵ほども含まれていない。 あるのは、仕事を完璧に遂行した職人が、片付けた現場を確認するような冷徹な満足感だけだ。
「これだけの質量が崩落すれば、証拠など欠片も残るまい。帝国の『未来』は、海のもくずだ」
シンは自身のこめかみを、細い指先でトントンと叩いた。 そこには今、先ほど所長ガンツから【記憶略奪】で抜き取った叡智と、帝国が数十年かけて蓄積してきた膨大な術理が渦巻いている。
死体から魔力を抽出する死霊術。 生きた人間に魔石を埋め込み、兵器へと作り変える生体錬金。 そして、鉄に魔を宿す魔導機工の禁忌。
帝国が誇る「悪意の結晶」が、今やすべてシンの脳内書架に収められていた。
(……使えるな。実に、有益だ)
シンは奪った知識を整理しながら、舌なめずりをした。
(ヴォルカンの鍛冶技術とシノの発想力。そこにこの『生体改造』の秘儀を組み込めば……レギオンの兵器開発は数百年分、一足飛びに進化する)
ただの魔鎧ではない。 着用者の神経と鎧を直結させ、思考速度で動く「第二の皮膚」。 あるいは、魔物の細胞を組み込み、破損しても自ら再生する「不死の兵器」。 そんな妄想が、現実的な設計図となって脳裏に描かれていく。
「礼を言うぞ、帝国。……貴様らが積み上げた罪の塔は、我ら蜘蛛の礎として、骨の髄まで再利用させてもらう」
シンは踵を返した。 背後の闇からは、爆発音を聞きつけた警備兵たちの怒号と、空を飛ぶ飛竜部隊の羽音が近づいてくる。 探索の光が雨雲を切り裂き、犯人を捜して彷徨っている。
だが、遅い。 犯人は既に、闇の一部だ。
「さて……。派手に花火を打ち上げたんだ。飼い主(皇帝)も、さぞお怒りだろうな」
シンは路地裏の影に足を踏み入れた。 その姿が、陽炎のように揺らぎ、輪郭を失い、帝都の澱んだ空気と同化して消えていく。 Fランクの少年は、再び混沌の中へと潜伏した。 次なる盤面を整えるために。
◇
鉄帝都の中枢。 山の中腹を穿つようにして建てられた、威圧的な黒鉄の城塞――『黒鉄宮』。
その最上階にある玉座の間は、物理的な質量を伴うほどの「激怒」によって震えていた。
「――虚仮にしおって……ッ!!」
ズゥゥゥゥンッ!!
地底の岩盤が軋むような重低音と共に、鉄の玉座の肘掛けが、握力だけでねじ切られた。 ひしゃげた鉄塊が床に落ち、乾いた音を立てて転がる。
玉座に座る巨魁。 鋼牙帝国皇帝、ゼギオン・ヴァン・アイゼンガルド。
全身を漆黒の魔鎧で覆い、兜の奥から深紅の眼光だけを光らせるその姿は、人の形をした要塞そのものである。 彼の足元には、無残に引き裂かれた報告書が散らばっていた。
『第零研究棟、爆破消滅』 『収容されていた特務部隊候補生一〇〇〇名、行方不明』
「単なる反逆ではない。……これは『略奪』だ」
ゼギオンの声は、煮えくり返る溶岩のように低く、熱を帯びていた。
「奴らは余の庭を荒らし、施設を壊しただけではない。……帝国の未来そのものである『才能』を、根こそぎ奪い去ったのだ!」
ギフテッドたちを育てるのに、どれだけの時間と金、そして希少な魔薬を費やしたと思っているのか。 彼らは単なる子供ではない。帝国の次世代を担う、替えの利かない「生体部品」なのだ。 それを一〇〇〇体、一晩で盗まれた。 被害総額など算出できない。国家存亡に関わる致命的な損失だ。
「……おのれ、鼠め。コソ泥風情が、余の逆鱗に触れたと知れ」
ゼギオンの全身から、どす黒い闘気が噴き上がる。 その圧力に当てられ、玉座の間に控えていた近衛兵たちが、音を立てて膝を屈した。呼吸すらままならない重圧。鎧の継ぎ目が悲鳴を上げる。
「陛下。……敵の正体は明白です」
玉座の脇から、影のように一人の男が進み出た。 全身を灰色のローブで包み、顔を包帯で隠した異様な姿。 帝国宰相にして、死霊術師の長、モルガンである。
「このような大胆不敵、かつ鮮やかな手口。……例の『レギオン・蜘蛛』をおいて他にはありえません。 南の僻地で、我が軍の遠征部隊を退けたという、あの蛮族どもです」
「分かっておるわ!」
ゼギオンが一喝する。 窓ガラスが共鳴し、シャンデリアが揺れた。
「南の蛮族どもめ……。先の遠征軍を退けただけでは飽き足らず、余の懐にまで手を伸ばすか。 もはや『敵国』としての認識すら生温い。……奴らは『害虫』だ。駆除せねばならん」
皇帝は立ち上がった。 ガシャン、と魔鎧が鳴り、広間中の空気が凍りつく。
その時、広間の扉が開き、ボロボロになった鎧を引きずりながら、一人の男が這いずり入ってきた。
「へ、陛下……! 申し訳……ございません……ッ!」
将軍バルドルである。 かつて第一遠征軍を率い、勇ましく出撃した彼は、今や全身火傷と打撲で原形を留めぬほどの重傷を負っていた。 自慢の白銀の鎧はアレスの熱波で溶解し、皮膚は焼け爛れ、かつての威厳など見る影もない。
「……バルドルか」
皇帝は冷ややかに見下ろした。
「貴様は余の顔に泥を塗った。……いや、泥ならばまだ洗い流せよう」
皇帝がゆっくりと階段を降りる。 一歩近づくたびに、バルドルの心臓が萎縮し、死の恐怖が喉元までせり上がる。
「貴様は『帝国』という絶対的な恐怖の象徴に、敗北という傷をつけたのだ。……たかが辺境の冒険者ごときに、尻尾を巻いて逃げ帰るとはな」
「ち、違います陛下! 奴らは……奴らは人間ではありません! 魔法も通じぬ怪力、音速を超える剣速……あれは人の皮を被った魔獣です!」
バルドルが涙ながらに弁明する。 あのアレスという男。そして、その配下にいた得体の知れない少年。 彼らの瞳の奥に見た深淵を思い出して、バルドルの身体はガタガタと震えが止まらない。
「魔獣、か」
皇帝は冷ややかに鼻を鳴らした。
「ならば尚更のこと。……獣風情に後れを取るなど、我が国の恥晒しよ」
皇帝が指を弾く。 その合図と共に、玉座の脇に控えていた四つの影が動いた。
音もなく。風も切らず。 ただ「死」の気配だけを濃厚に漂わせて。
「しょ、処刑……ですか……?」
バルドルが顔を上げる。 彼の視界に映ったのは、四本の異なる色の魔剣だった。
『帝国四騎士』。 帝国の武力の頂点。皇帝直属の処刑人にして、単騎で要塞を陥落させると謳われる怪物たち。
「――介錯」
無機質な声と共に、四つの刃が閃いた。
ザンッ。
絶叫を上げる暇もなかった。 バルドルの首が、胴体から離れ、床を転がる。 噴き出した鮮血が、冷たい鉄の床を赤く染め上げていく。
「……掃除しておけ」
皇帝は転がる首を一瞥もしない。 彼は玉座の裏にある巨大なバルコニーへと歩み寄り、眼下に広がる練兵場を見下ろした。
そこには、おぞましい光景が広がっていた。
無数の「鉄の巨人」が、墓標のように静止して並んでいるのだ。
全長五メートルを超える人型の死霊鎧。 全身を分厚い魔鋼の装甲で覆い、その手には城壁をも粉砕する巨大な槌や斧が握られている。
それらは機械ではない。 中に人が乗っているわけでもない。 中身は空洞。その内側にびっしりと刻まれた怨念の刻印と、動力源として封じ込められた数千の死者の魂によって動く、死霊術の悪夢。
『鉄機兵団』。
帝国の錬金術師たちが、人の魂を鉄に定着させるという禁忌を犯し、作り上げた鋼鉄の亡者群である。
「ネメシスと言ったか。……あの街には、我らが求めて止まぬ『未知の理』と『資源』が眠っている」
皇帝の瞳に、どす黒い欲望の炎が灯る。 報告によれば、レギオンは夜を昼に変える光を作り出し、爆発する粉を使って魔物を屠っているという。 それは、魔導機工の完成を目指す帝国にとって、喉から手が出るほど欲しい「叡智」であった。
「奪うぞ。……技術も、資源も、民も。全てを我が帝国の糧とする」
皇帝が拳を握りしめる。 グシャリ、と手甲が軋む音がした。
「四騎士に告ぐ。……鉄機兵団、全機起動せよ」
重々しい号令が、城内に響き渡る。
「目標は南。……アラクネ共和国を地図から抹消し、更地となった場所に帝国の旗を立てろ」
「「「御意!!」」」
四人の騎士が跪き、その姿を霧散させる。
直後。
ズゥゥゥン……。
練兵場の地下から、地鳴りのような音が響き始めた。 並んでいた数千、数万の鉄の巨人たちの胸部にある魔石が、一斉に赤く輝き始めたのだ。
ギチチチ、ガシャア……。
金属が無理やり動かされる、耳障りな軋み音。 魔力が鋼鉄の血管を駆け巡り、意志なき泥人形たちに「殺戮」という命令だけを焼き付ける。
それは軍隊の行進ではない。 鋼鉄の皮を被った、巨大な呪いの塊が進撃を開始しようとしていた。
◇
数分後。 玉座の間の扉が、音もなく開かれた。
足音はない。気配もない。 ただ、異質な「死」と「氷」、そして「鋼」の臭いだけが、風に乗って流れ込んでくる。
現れたのは、四人の男女だった。 彼らは一様に、人間離れした美貌と、生物としての欠落を感じさせる冷たい瞳を持っていた。
帝国の錬金術と生体改造の粋を集めて作られた、最高傑作。 寿命と引き換えに、位階Bの限界を突破し、擬似的なAへと至った人造の英雄たち。
『帝国四騎士』。
先頭を歩くのは、氷のように透き通る銀髪の美青年。 その周囲だけ気温が下がり、床に霜が降りている。 腰には、刀身そのものが永久凍土で鍛えられた魔剣を帯びている。
四騎士筆頭、【氷剣】グレイシア。
「……お呼びでしょうか、皇帝陛下」
声に抑揚はない。感情というノイズを脳外科手術で切除された、冷徹な殺人機械の声。
その右後ろには、左目に奇妙な機巧仕掛けの義眼を埋め込んだ、痩せぎすの男が立つ。 背中には身の丈ほどもある長弓。その義眼は、壁を透かし、数キロ先の獲物の心臓さえも捉えることができる。
【魔眼】ホークアイ。
左後ろには、岩山が歩いているかのような巨漢。 全身を分厚い魔鎧の装甲で覆い、右腕には城門破壊用の巨大な杭打ち機が一体化している。
【城壁破壊】ガンド。
そして最後尾には、抱き人形のような小さな少女が、ふわりと浮遊していた。 黒いゴシックドレスに身を包み、その周囲には無数の怨霊が黒い靄となって渦巻いている。
【死霊使い】ネネ。
「……陛下。殺シ、デスカ?」
ネネが首をかしげ、虚ろな瞳で問う。 四者四様の異形。彼らこそが、帝国が隠し持っていた「人間という枠組みを超えた」殺戮兵器の完成形である。
「うむ。……貴様らに勅命を与える」
ゼギオンは彼らを見下ろし、残虐な笑みを浮かべた。
「南へ飛べ。……ネメシスとかいう小賢しい街を、地図から消滅させろ」
「了解」
グレイシアが短く応える。
「抵抗する者は?」 「殺せ」 「降伏する者は?」 「殺せ」 「女子供は?」 「殺せ」
ゼギオンは、慈悲など欠片もない声で繰り返した。
「生きとし生けるもの、すべてを根絶やしにせよ。 ……レギオンに関わる全ての存在に、帝国の恐怖を刻み込んでやれ」
「御意」
四騎士が一斉に跪く。 その瞬間、彼らの体から放たれた殺気が、玉座の間の窓ガラスをビリビリと震わせた。 感情のない殺意。 任務遂行のためなら、自らの命さえも平然と使い捨てる、完璧な兵士たち。
「行け。……最新鋭の高速魔導艇を使え。夜明けまでにはネメシスの上空へ到達できるはずだ」
「はッ」
四つの影が、霧のように消え失せる。 後に残ったのは、冷え切った空気と、皇帝の嗤い声だけだった。
「ククク……。見るがいい、レギオンの主よ。 ……貴様が盗んだ『未完成品(子供たち)』と、余が完成させた『芸術品(四騎士)』……どちらが上か、その身で味わうがいい」
鋼鉄の国が、本気で牙を剥いた瞬間だった。
◇
鉄帝都、下層区画。 煤煙にまみれた路地裏の片隅で、一人の少年が空を見上げていた。 Fランク冒険者の姿をした、シンである。
彼の視線の先には、王城の格納庫から飛び立つ、流線型の巨大な影があった。 四枚の翼を持ち、魔導炉で空を駆ける高速魔導艇。 その船首には、帝国の紋章が輝き、船内には四つの強大な魔力反応が乗っているのを、シンの魔眼は捉えていた。
「……出たか」
シンはニヤリと口角を吊り上げた。
「帝国四騎士。……薬漬けで無理やり出力を上げた、Aランクの改造人間か。悪くない『餌』だ」
シンは懐から、一枚の黒いカードを取り出した。 通信用の魔道具だ。
「アレス、聞こえるか」
『――はッ! こちらアレス。お待ちしておりました、主よ!』
ノイズの向こうから、待ちきれないといった様子のアレスの声が響く。
「帝都から、客人が発ったぞ。……四名だ」
『四名……ですか? 軍隊ではなく?』
「ああ。だが、その四名は、先日の軍隊よりも遥かに厄介だぞ」
シンは楽しげに告げた。
「奴らは帝国の技術の結晶だ。……お前たちと同じ、『人の理』を外れた領域に足を突っ込んでいる」
『……ほう!』
アレスの声色が、一瞬で変わった。 獲物を見つけた猛獣の、喉を鳴らすような歓喜の響き。
『それは……楽しみです。先日の鉄屑どもは、壊れやすすぎて退屈していたところでしたから』
「油断するなよ。……奴らは『殺すこと』に特化している。感情も、痛みも、恐怖もない。……ある意味で、お前たち以上の怪物だ」
シンは警告しつつも、その声には絶対的な信頼が含まれていた。
「だが、負けは許さん」
『愚問です、主よ』
アレスが笑う気配がした。
『我らはレギオン・蜘蛛の四天。 ……主より賜りしこの力、偽物の英雄ごときに後れを取るはずがございません』
『……美味しく喰らってご覧に入れます』
「いい返事だ」
シンは通信を切った。
「さて……」
シンは振り返り、背後の壁に手をかざした。 ズズズッ……。 空間が歪み、漆黒の渦――【影渡りの門】が開かれる。
「俺が出るまでもない。……アレスたちの『食事』には丁度いいだろう」
シンはFランクの演技を捨て、冷徹な魔王の瞳で帝都を一瞥した。
「俺は、こっち(帝都)の仕上げにかかるとするか」
四騎士が留守にした今、帝都の守りは手薄だ。 皇帝の喉元にナイフを突きつける準備は、着々と整いつつある。
「行こうか。……祭りの時間だ」
シンは影の中へと姿を消した。
ネメシスの上空に、凶星が迫る。 鋼鉄の帝国と、魔王の眷属。 真正面からの衝突が、今まさに始まろうとしていた。
お読みいただきありがとうございます!
少しでも「続きが気になる!」「シンたちの無双が楽しみ!」と思っていただけたら、 ブックマーク登録と、広告下の【☆☆☆☆☆】評価で応援していただけると執筆の励みになります! (評価は★5ついただけると泣いて喜びます……!)
続きます。




