第90話 黒煙と鉄の街
黒い雨が降っていた。
鋼牙帝国の首都、鉄帝都。 この街の空は、いつ見上げても鉛色の雲と、工場から吐き出される煤煙によって塗り潰されている。 降り注ぐ雨は酸を含み、石畳を溶かし、人々の肌を焼く。だが、傘を差す者は少ない。 道行く人々は皆、フードを目深に被り、泥のように濁った目で足元だけを見て歩いている。
「……酷い味だ」
大通りの片隅にある安宿の軒先で、一人の少年が掌に落ちた雨粒を舐め、顔をしかめた。 ボロボロの麻服を着た、Fランク冒険者の少年――シンである。 彼は昨日、帝都への潜入を果たし、今は街の最下層に溶け込んでいた。
「水も、空気も、魔素さえも。……全てが『効率』という名の毒に侵されている」
シンは路地裏の闇に視線を向けた。 そこには、咳き込む老人や、物乞いをする子供たちの姿がある。だが、ネメシスのスラムとは決定的に空気が異なっていた。 ネメシスの民には「生きたい」という渇望があった。だが、ここの民にはそれがない。 ただ、巨大な機械の歯車として摩耗し、壊れるのを待つだけの無機質な絶望。
「おい、新入り! いつまでサボっている!」
背後から怒声が飛んだ。 振り返れば、魔導鍛冶工房の腕章をつけた監督官が、鞭を手に立っている。
「すみません、すぐに!」
シンは怯えた少年の仮面を被り、荷車を引いて走り出した。 彼が今、与えられている役割は、工房から出る産業廃棄物――失敗した兵器や、燃え尽きた魔石の残骸を運搬する「掃除夫」である。
だが、彼が運ぶ「ゴミ」の中には、もっとおぞましいモノが含まれていた。
◇
魔導鍛冶工房・第十七区画。
重厚な鉄扉が開くと、そこは熱気と騒音の暴力に支配されていた。 数百の魔導炉が唸りを上げ、溶けた鉄の川が流れる。 その熱源の周りには、数千人の職人たちが鎖で繋がれ、亡者のようにハンマーを振るっていた。
カンッ、カンッ、カンッ……。
リズムは一定だ。乱れることはない。 なぜなら、彼らの思考は既に薬物によって奪われているからだ。
「魔力注入! 出力最大!」 「遅いぞ! 次弾の装填が間に合わん!」
監督官たちが怒鳴り散らし、疲労で動きの鈍った職人の背中に鞭を入れる。 職人たちは悲鳴も上げない。ただ、虚ろな目で鉄を見つめ、自身の生命力を削って魔力を流し込み続ける。
(……付与術師か)
シンは荷車を引きながら、その光景を冷徹に観察していた。 武器や防具に魔法効果を付与する専門職。通常なら国宝級の扱いを受ける彼らが、ここでは使い捨ての乾電池のように扱われている。
「おい、そこの! 『殻』が出たぞ。回収しろ!」
監督官がシンを呼びつけ、作業台の下を指差した。 そこには、一人の男が倒れていた。 まだ若いはずだが、髪は白髪になり、皮膚はカサカサに干からびている。過剰な魔力搾取による急速な老化現象だ。
「……はい」
シンは無言で男の体を抱え上げた。軽い。中身が空っぽになったかのように軽い。 男の心臓はまだ動いている。だが、その瞳孔は開ききり、光に反応しない。 精神崩壊。 帝国の過酷なノルマと、覚醒剤入りの魔力回復薬の投与によって、魂が焼き切れてしまったのだ。
「役立たずめ。……まだ二十歳だぞ? 三ヶ月で壊れるとは、最近の素材は脆すぎる」
監督官が舌打ちをして、書類に「廃棄」の印を押す。 シンは男を荷車の上の鉄屑の山に放り投げた。ガシャン、と硬質な音がして、人間が「ゴミ」として処理される。
(……資源の浪費だ)
シンは内心で吐き捨てた。 怒りではない。呆れだ。 この若者には、もっと伸びる素質があったはずだ。正しい教育と、適切な魔力循環を与えれば、Aランク級の術師になれたかもしれない。 それを、わずかな鉄くずを作るために使い潰す。 帝国のやり方は、黄金の卵を産むガチョウの腹を裂いて、中の未熟な卵を食っているようなものだ。
「おい、次だ! 『特級素材』の搬入がある!」
奥のゲートが開き、黒塗りの馬車が入ってきた。 降りてきたのは、手枷足枷を嵌められた十数名の子供たちだった。 年齢は十歳前後。皆、痩せ細っているが、その瞳の奥には、隠しきれない魔力の光が宿っている。
「……天才種か」
シンは目を細めた。 彼らは、帝国が占領地や辺境の村から拉致してきた、生まれつき高い魔力や特殊な才能を持つ子供たちだ。
「いいか、クソガキども! 今日からここがお前らの家だ!」
監督官が子供たちを整列させ、威圧する。
「お前たちは選ばれた。皇帝陛下の剣となり、盾となる名誉を与えられたのだ! ……逆らえばどうなるか、分かっているな?」
監督官が指差した先には、巨大な焼却炉があった。 そこでは今まさに、シンが運んできた「壊れた職人」たちが、鉄屑と一緒に放り込まれようとしていた。
「ひッ……!」 「い、いやだ……おうちに帰りたい……」
子供たちが泣き出す。だが、兵士たちは容赦なく彼らを鞭打ち、作業台へと引きずっていく。
「泣くな! 魔力が濁る!」 「薬だ! 『適合液』を投与しろ!」
白衣を着た研究員たちが現れ、子供たちの首筋に太い注射針を突き立てる。 紫色の液体が注入されると、子供たちの悲鳴がピタリと止んだ。 瞳から光が消え、焦点が虚空を結ぶ。 彼らは大人しくなり、指示されるままにハンマーを握った。
洗脳と強化。 自我を奪い、命令にのみ従う生体部品への改造。
(……なるほど。これが『鉄機兵団』の正体か)
シンは理解した。 帝国の強さの根源は、機械技術ではない。 人間という最も汎用性の高い素材を、倫理を無視して極限まで効率化した「魔導生体システム」にあるのだ。
工房の奥には、完成した鉄機兵たちが並んでいる。 その動力炉には、おそらく「彼ら」のようなギフテッドの脳髄や心臓が埋め込まれているのだろう。 魂を燃料にして動く、鋼鉄の亡者たち。
「……おい、掃除夫。何を見ている」
不意に、背後から声をかけられた。 振り返ると、そこには全身を漆黒のコートで覆った長身の男が立っていた。 顔は見えない。だが、その隙間から覗く眼光は、爬虫類のように冷たく、鋭かった。
帝国の特殊警察、『粛清官』。 不穏分子やスパイを摘発し、その場で処刑する権限を持つ死神たちだ。
「い、いえ……! 子供たちが、可哀想だなって……」
シンは身を縮め、震える声で答えた。 Fランクの小市民らしい、精一杯の同情。
「可哀想? ……貴様、反逆者か?」
粛清官が剣の柄に手をかける。 殺気。 周囲の空気が凍りつく。他の職人たちは関わり合いになるのを恐れ、視線を逸らす。
「ち、違います! ただ……僕の弟も、昔あんな風に連れて行かれたから……思い出してしまって……」
シンは嘘泣きを交えながら、必死に弁解する。 その姿は、あまりにも無力で、哀れで、取るに足らない弱者そのものだった。
粛清官は数秒間、シンの全身を値踏みするように見下ろした。 そして、鼻を鳴らして手を離した。
「……フン。くだらん感傷だ。帝国臣民なら、国の礎になれることを誇りに思え」
「は、はい……申し訳ありません……」
「行け。……次はないぞ」
粛清官は興味を失ったように背を向け、去っていった。 彼にとって、Fランクの掃除夫など、路傍の石ころ以下の存在でしかない。殺す価値すらないゴミだ。
シンは何度も頭を下げながら、その場を離れた。 荷車の陰に隠れ、誰にも見えない角度で顔を上げた瞬間。 その瞳から怯えの色は消え失せ、底知れぬ深淵の闇が広がっていた。
(……礎、か。悪くない言葉だ)
シンは口元を三日月形に歪めた。
(だが、その礎の上に立つのは、貴様らではない。……この俺だ)
帝国は優秀だ。 人間を資源として扱うシステムは、シンの「世界牧場論」と親和性が高い。 ただ、その運用がお粗末すぎる。 資源を浪費し、使い潰すだけの三流の管理。
「俺が変えてやる。……もっと効率的で、もっと美しく、永遠に搾取できるシステムにな」
シンは荷車を捨て、闇の中へと姿を消した。 見学は終わりだ。 次に向かうのは、このシステムの心臓部。 拉致された天才たちが収容され、兵器へと加工される「孵卵器」。
特務部隊育成所。
「待っていろよ、天才たち。……本当の『支配者』がどういうものか、教えてやる」
黒い雨が降りしきる中、魔王の影が帝都の深部へと伸びていく。 鉄の都が錆びつき、崩れ落ちる音が、微かに聞こえ始めた。
お読みいただきありがとうございます!
ついに帝国の心臓部へ潜入です。 ネメシスが「光と繁栄」なら、帝国は「闇と消耗」。 職人や才能ある子供たちを燃料として使い潰す帝国のシステム……シンの「もったいない精神(捕食者視点)」が刺激されまくっています。
彼にとって帝国は敵というより、「使い方の下手な牧場主」に見えているようです。 次回、そんな帝国の「教育施設」へ、最悪の採用担当者が面接に行きます。
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