第9話 絶望の「不死王(ノーライフキング)」
その光景は、戦いと呼ぶにはあまりにも一方的で、あまりにも残酷な「処刑」の幕開けだった。
「おおおおぉッ! 食らええぇッ!!」
アレスの喉が裂けんばかりの絶叫が、広大な地下ドーム内にこだまする。 彼が繰り出したのは、自身の持てる魔力の全て、生命力の全てを注ぎ込んだ最強必殺技――『紅蓮剣・一閃』。
刀身が赤熱し、周囲の空間すら焼き焦がすほどの熱量を帯びている。 鋼鉄すらバターのように斬り裂く渾身の一撃だ。 その軌道は鋭く、速く、迷いがない。 Bランク冒険者としては、確かに到達点に近い剣技であり、芸術の域に達していた。
もし相手が、常識の範疇にある魔物であったならば、その一撃は勝利を決定づけていただろう。 だが、彼が刃を向けたのは、常識の外側に住まう「王」であった。
カィィィンッ……!
硬質な音が響き、炎の軌跡が空中で強制的に停止させられた。
「……は?」
アレスの目が点になった。 思考が追いつかない。 彼の大剣は、不死王の喉元、わずか数センチのところで止まっていた。
受け止めたのは剣でも盾でもない。魔力障壁ですらない。
不死王が、ただ漫然と掲げた、骨だけの左手人差し指だった。
指一本。 たったそれだけで、アレスの全力の斬撃は、まるで小枝で撫でられたかのように受け流されていたのだ。 熱量も、質量も、速度も。 Sランクという絶対的な格の前では、物理法則さえも意味を成さない。
『……遅い』
脳裏に響く冷徹な声。 物理的な速度の話ではない。思考、魔力の練り上げ、動作の起こり。その全てが、不死王にとっては止まって見えるほどに緩慢だったのだ。
『興が削がれた』
次の瞬間、不死王の指が軽く弾かれた。 いわゆる、デコピンの動作。
ドォォォォンッ!!
爆発的な衝撃波が炸裂した。 物理的な打撃ではない。純粋な魔力の塊による、空間ごとの拒絶。
「がはっ……!?」
アレスの体は枯れ葉のように吹き飛ばされ、石畳の上を五メートル、十メートルと転がった。 壁に激突し、さらにバウンドして地面に叩きつけられる。 全身の骨が悲鳴を上げ、肋骨が数本イカれたのがわかった。 口の中に、鉄の味――鮮血が広がる。
「アレスッ!?」 「くそっ、よくもアレスを!」
後衛のミラが叫び、震える手で杖を突き出す。 彼女は即座に状況を判断し、攻撃魔法の詠唱に入っていた。
「不浄な魂よ、消えなさい! 『聖なる光』!!」
彼女の得意とする聖属性魔法が、不死王の玉座へと奔流となって降り注ぐ。 司教の放つ、アンデッドにとって致命傷となるはずの純白の浄化光。 まともに食らえば、Sランクといえども無傷では済まないはずの高出力。 光が玉座を飲み込み、闇を払う。
だが。 光の中から、不死王は何事もなかったように姿を現した。
『……ぬるい。蛍の光か?』
傷一つない。焦げ跡すらついていない。 不死王の周囲には、薄い対魔力障壁が展開されており、ミラの魔法を完全に無効化していたのだ。
不死王が、手にした宝石杖を軽く振るう。 それだけで、周囲に渦巻いていたアレスの爆炎が一瞬で凍りつき、氷の華となって砕け散った。
『目障りだ』
王の視線が動く。 影から忍び寄っていたチェルシーが、死角からナイフを突き立てようとした瞬間だった。
ズボッ!
「あぐっ……!?」
チェルシーの腹部から、黒い棘が突き出していた。 床の影そのものが実体化し、鋭利な槍となって彼女を串刺しにしたのだ。
「が、ぁ……影、が……?」
彼女が得意とするはずの影が、逆に彼女を貫いた。 支配権の奪取。 Sランクの魔力は、場の属性さえも瞬時に書き換える。 彼女は短く呻き、ゴミのように吹き飛ばされた。
「おのれぇぇッ!」
ボルトスが吼え、巨大な大盾を構えて突進する。 防御に特化した彼の盾は、ドラゴンの爪撃さえ防ぐ鉄壁の守り。 仲間がやられた今、自分が時間を稼ぐしかない。
『邪魔だ』
不死王が掌をかざす。 放たれたのは、漆黒の『暗黒弾』。
ドガァァァン!!
ボルトスの大盾が、硝子細工のように粉々に砕け散った。 衝撃は盾を貫通し、ボルトスの右腕をへし折り、その巨体を宙に舞わせた。
「ぐ、ぅ……!」
ボルトスが地面に叩きつけられ、気絶する。 全員が、一撃の下に無力化された。 時間にして数十秒。 これがSランク。人知を超えた災害指定生物。
『……飽いた』
不死王は退屈そうに呟くと、ゆっくりと立ち上がった。 その瞬間、空間の重力が倍増したかのような重圧が襲った。 誰もが絶望し、死を覚悟した。
だが、一人だけ。 まだ折れていない男がいた。
「くそったれがああああッ!!」
アレスだ。 彼は血反吐を吐きながら立ち上がり、折れた肋骨の痛みを無視して突っ込んだ。 勝算などない。 だが、彼の肥大化したプライドが、このまま無様に死ぬことを許さなかった。
「俺は……俺は英雄になる男だ! こんな骨ごときに負けてたまるかよォッ!」
狂乱の特攻。 なりふり構わぬ獣のような突撃。 不死王は、それを哀れむような、ゴミを見るような目で見下ろした。
『……無駄だ』
不死王の手が閃いた。 それは魔法ですらかった。 単なる、魔力を纏わせた鋭利な「手刀」。
ザンッ!!
乾いた肉の切断音が、静寂の広間に響いた。
アレスが剣を振り上げた、その右腕が――肘から先ごと宙を舞った。
「え……?」
アレスは、自分の右手が握っていたはずの剣が、くるくると回転しながら遠くへ飛んでいくのを呆然と見た。 視線を戻す。 自分の右腕を見る。
そこにあるのは、鮮血を噴き出す断面。
「ぎ、ああああああああああああああああッ!!!」
遅れてやってきた激痛。 脳髄を焼くような熱さと、喪失感。 アレスは傷口を押さえてのたうち回った。
腕が。 俺の剣を持つ腕が。 英雄の証となるはずの腕が。 ない。
『脆弱な命よ。……恐怖を知れ』
不死王は汚いものを見るように、のたうち回るアレスの顔面を骨の足で踏みつけた。
「ぐっ……!?」
頭蓋骨が軋む音がする。 それと同時に、不死王の足から『死の呪い』が流し込まれる。 激痛。悪寒。そして、絶対的な死の予感。 魂が凍りつき、生命力が急速に吸い上げられていく感覚。
「あ……が……あ……」
アレスの瞳から、闘志という名の光が消える。 代わりに宿ったのは、原初的な恐怖。
そして――。
ジョボボボボ……。
アレスの股間から、生温かい液体が漏れ出し、石畳を濡らした。 失禁。 Bランク最強の剣士、未来の英雄と謳われた男が、腕を失った激痛とあまりの恐怖に、排泄のコントロールすら失ったのだ。
「あ、あう……たすけ……」
アレスの口から、情けない命乞いが漏れる。 もはやプライドも何もない。 ただ、死にたくないという動物的な本能だけがあった。
『……汚らわしい』
不死王はつまらなそうに足を退けた。 アレスは泥のように地面に転がった。 自分の排泄物と血にまみれ、震えるだけの肉塊。
視界が涙と泥で滲む。 その視界の端に、呆然と立ち尽くしている荷物持ちの少年――シンの姿が映った。 彼は、まだ入り口付近に立っていた。 微動だにせず、この惨劇を見つめている。
アレスは震える唇を開いた。 自分でも驚く言葉が出た。
「逃げろ……ッ!」
アレスは叫んだ。 掠れた、情けない声だった。
「荷物持ち……! 逃げろ……! こいつは、勝てねえ……!」
それは、彼の中に残っていた微かな良心か。 あるいは、せめて一人でも生き残らせて、自分の最期を伝えさせたいというエゴか。 だが、彼は確かに言った。「俺を置いて逃げろ」と。
不死王は残酷に嗤った。
『逃がす? ククク……逃げられると思うか? 我が領域に入った者は、一人残らず屍となるのだ』
不死王の両手に、先ほどとは比べ物にならないほど巨大な魔力が収束していく。 ドーム内の魔素がすべて吸い寄せられ、どす黒い霧となって渦を巻く。
『広域死滅魔法・死の雲』。
この部屋にいる全ての生命を瞬時に腐敗させ、塵にする戦略級魔法。 回避も防御も不可能。 死の確定宣告。
「あ……ああ……」
アレスは絶望に顔を歪めた。 終わりだ。 腕を失い、尊厳を失い、そして命も失う。 何もかもが無駄だった。 俺の人生は、ここで終わるのか。
死の光が膨れ上がる。 世界が白く染まる直前。
コツン。
軽い足音が、静寂を破った。
アレスは見た。 恐怖で震える自分たちの前を通り過ぎ、不死王の方へと歩み出る、小さな影を。
「……おい、荷物持ち……? 何をして……」
アレスの声など聞こえていないかのように、少年は歩く。 その背中は、あまりにも無防備で。 しかし、奇妙なほどに堂々としていた。 ボロボロの服、細い手足。 どこにでもいる15歳の、Fランク冒険者の少年。 だが、その背中から立ち昇る気配だけが、異常だった。
不死王の動きが止まる。 眼窩の炎が、怪訝そうに揺らめく。 Sランクの威圧を受けながら、呼吸一つ乱さず、まるで散歩でもするかのように近づいてくるFランクの少年。
少年は、不死王の目の前まで歩み寄ると、ゆっくりと顔を上げた。 フードの下から覗くその瞳には、恐怖など微塵もなかった。 あるのは、駄々をこねる子供を見るような、冷めきった色。 あるいは、皿に乗った料理を品定めするような、昏い眼差し。
少年――シンは、鬱陶しそうに髪を払い、静かに言った。
「……騒がしいな」
その一言が、世界の空気を凍りつかせた。
迫り来ていたはずの死の霧が、消滅していた。 否、「弾かれて」いた。 あたかも、不快な羽虫を追い払うかのように。 アレスたちの目の前に立つ、小柄な荷物持ちの少年――シンの、たった一振りの裏拳によって。
シンは、無造作に右手を振った体勢のまま、退屈そうに佇んでいた。 その一撃から放たれたのは、魔法ではない。 ただの「風圧」。 そして、その身から溢れ出した、空間の座標さえも歪ませる圧倒的な「覇気」だった。
Fランクの雑魚だと思っていた少年の背中が、今はどんな巨塔よりも大きく、そして底知れぬ深淵のように恐ろしく見えた。 彼の周囲だけ、空気が止まっている。 いや、空気が彼に触れることを恐れ、避けているかのような錯覚。
「……なんだ、今の魔法は」
シンは気怠げに呟き、手の甲についた不可視の埃を払った。 その声には、伝説級の魔物と対峙しているという緊張感は微塵もない。 あるのは、期待外れの三文芝居を見せられた観客のような、冷ややかな落胆だけだった。
「術式の編み方が雑すぎる。魔力の変換効率が悪すぎて、ただの汚い煙幕にしかなっていないぞ。……美しくない」
『な……!?』
玉座に座る不死王の思考が、凍りついたように停止した。 我が魔法を弾いただと? 人間ごときが? いや、あれは魔導による相殺ではない。純粋かつ暴力的な質量によって、魔法という理そのものを物理的にねじ伏せたのだ。 Sランクの魔法を、風圧だけで消し飛ばす。 数百年を生きた不死王の叡智にも、そのような理不尽な現象は記録されていない。
『き、貴様……何者だ……?』
不死王の声に、初めて動揺の色が混ざった。 ただの荷物持ちではない。Fランクの弱者などではない。 その少年の内側から溢れ出しているのは、死の超越者である自分さえもが本能的に畏怖し、魂の深奥でひれ伏したくなるような、絶対的な「上位存在」の気配。
生命としての格が、決定的に、絶望的に違う。
シンは被っていたフードを脱ぎ捨てた。 露わになった黒髪が、魔力の余波で揺らめく。 彼はアレスたちを一瞥もせず、ただ真っ直ぐに眼前の「王」を見据えていた。 その瞳は、獲物を品定めする捕食者のそれだった。
「……遊びは終わりだ。この器は少し窮屈でな」
シンが首をコキリと鳴らす。 次の瞬間。
ドクンッ!!
心臓の鼓動のような重低音が、ダンジョン全体を揺らした。 空気中の魔素が狂ったように渦を巻き、シンを中心とした一点へと吸い込まれていく。 シンの影が爆発的に膨れ上がり、彼自身を包み込む漆黒の繭となった。
バリバリバリッ!
空間に亀裂が入るような音と共に、シンの肉体が変貌を遂げていく。 五歳の幼さも、十五歳の未熟さも、仮初めの皮と共に剥がれ落ちる。 骨格が軋み、筋肉が躍動し、背が伸びる。
擬態解除。 数万年の時を経て完成された、始祖としての「真なる姿」へ。
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