第85話 |軍神《ヴィンセント》の防衛線
灼熱。 視界を埋め尽くすのは、すべてを白く塗りつぶす破壊の光。
嘆きの荒野は今、現世に出現した焦熱地獄と化していた。 帝国軍殲滅魔導師団五千名による、命を薪にくべた「人間大砲」。 その第二射、第三射が、休む間もなくレギオンの防衛陣地へと降り注いでいた。
「くそっ、出力が……維持できねぇ!」
魔導戦車の車内で、シノが悲鳴を上げる。 彼が展開する『魔導障壁』は、物理法則を書き換えるほどの熱量に晒され、飴細工のように歪み始めていた。 冷却装置が限界を超えて唸りを上げ、配管から白煙が噴き出す。
「シノ! 退け! これ以上は魔導炉が融解するぞ!」
通信機越しに、ヴォルカンの怒号が響く。 彼の鍛え上げた魔鋼の大盾部隊もまた、限界を迎えていた。 最前列に配置された盾兵たちの鎧が赤熱し、中の肉が蒸し焼きになる寸前だ。
「退くって……どこへだよ!」
シノが歯を食いしばる。 後ろには、まだ避難しきれていない負傷者や、物資の搬送部隊がいる。 ここで自分たちが崩れれば、後ろにいる味方は蒸発する。
『『『滅せよ、滅せよ、滅せよ!!』』』
帝国の魔導師たちの詠唱が、呪詛のように響き渡る。 彼らの目鼻からはどす黒い血が流れ出し、それでもなお、機械的に魔力を放出し続けている。 死を恐れぬ狂気。個を捨てた集団の暴力。 その圧倒的な質量の前に、レギオンの兵士たちの心は折れかけていた。
「だ、だめだ……勝てっこない……」 「あんなの、人間じゃねぇ……悪魔だ……」
武器を取り落とし、膝をつく兵士たち。 恐怖という名の毒が、熱波よりも速く陣地を侵食していく。 誰もが死を覚悟し、目を閉じた――その時。
ドォォォンッ!!
地響きと共に、巨大な黒い影が、崩れかけた最前線へと着地した。 舞い上がる砂塵。その向こうから現れたのは、漆黒の軍服を纏った一人の巨漢だった。
十王・第二席【軍】ヴィンセント・グレイ。
彼は武器を持っていなかった。盾さえも持たない。 ただ、その身一つで、迫りくる光の奔流の前に立ちはだかったのだ。
「……総員、顔を上げろ」
その声は、爆音轟く戦場においても、鮮明に兵士たちの鼓膜を叩いた。 怒鳴っているわけではない。だが、腹の底にズシリと響く、岩山のような重圧感。
「閣下……!? 危ないです、下がってください!」
シノが叫ぶが、ヴィンセントは振り返らない。 彼は懐から葉巻を取り出し、迫りくる熱波を利用して火をつけた。 紫煙をゆっくりと吐き出し、眼前で渦巻く五千人の狂気を見据える。
「……数が多ければ強い、か。帝国の考えそうなことだ」
ヴィンセントは鼻で笑った。 かつて将軍として数多の戦場を駆け抜け、組織の裏切りや政治の腐敗を見てきた彼にとって、目の前の光景はあまりにも「稚拙」に映った。
「個を殺し、駒として使い潰す。……それは『軍』ではない。ただの『消費』だ」
ヴィンセントが一歩、前へ踏み出す。 その瞬間、彼の背中から赤黒い闘気が噴き出した。 それは魔力ではない。彼が積み上げてきた武勲、殺してきた敵の数、そして背負ってきた部下たちの命の重さ。 それらが凝縮され、具現化した「威圧」の塊。
「教えてやろう。……本物の『軍隊』とは、どういうものかを」
ヴィンセントが右手を天に掲げた。 彼の掌に刻まれた【蜘蛛の刻印】が、ドクンと脈動する。 地下宮殿のシンから送られる膨大な魔力が、ヴィンセントという器を通して変換され、戦場全体へと波及する。
「――第一恩恵:【覇王の威圧】」
カッッッ!!!!
ヴィンセントを中心として、不可視の衝撃波が炸裂した。 それは敵を吹き飛ばすものではない。 味方の魂を、強制的に「叩き起こす」檄である。
「う……あ、あぁ……!?」
膝をついていたレギオンの兵士たちが、弾かれたように顔を上げた。 震えが止まる。 恐怖で縮こまっていた心臓が、熱い血を送り出し始める。 脳裏に直接響く、ヴィンセントの絶対命令。
『――立て。我らはレギオン・蜘蛛。魔王の眷属ぞ』 『死を恐れるな。痛みを忘却せよ。お前たちの背中には、私がいる』
それは、一種の集団催眠であり、精神強化の魔法。 兵士たちの瞳から怯えの色が消え、代わりに狂信的な闘志と、痛みを感じない昂揚感が宿っていく。 彼らの肉体能力が底上げされ、ただの人間が「死兵」へと変貌する。
「……オオオオオオオッ!!」
一人の兵士が咆哮した。 それが伝播し、数百、数千の兵士たちが一斉に吼える。 先ほどまでの負け犬の群れではない。彼らは今、ヴィンセントという一つの巨大な意志の手足となったのだ。
「行くぞ。……私に続け」
ヴィンセントが走り出す。 巨体とは思えぬ速度。砲弾のように荒野を駆け抜け、迫りくる光の壁へと突っ込んでいく。
「閣下! 俺も行きますッ!」
その背中を追って、一人の少年が飛び出した。 黒い軽鎧を纏い、身の丈ほどの大剣を担いだ少年――ヴィンセントの副官、レオである。 かつて荒野でヴィンセントに拾われた名もなき傭兵は今、位階A(英雄級)の戦士として覚醒していた。
「レオか。……遅れるなよ」 「へっ、置いていかれてたまるかよ!」
レオの全身からも、ヴィンセントと同質の闘気が立ち昇る。 彼の才能は【不屈】。 どれほど傷ついても倒れず、窮地に陥るほど力を増す、戦場の申し子。 ヴィンセントの【覇王の威圧】の影響下にある今、レオのステータスは限界を超えて跳ね上がっていた。
「「――|砕けろォォッ!!」」
二人の英雄が、光の壁と衝突した。
ドゴォォォォォォォォンッ!!
物理と魔力の激突。 ヴィンセントは素手の拳で、レオは大剣で、正面から熱線を受け止めた。 皮膚が焼け、肉が裂ける。 だが、彼らは止まらない。 ヴィンセントの剛腕が、魔力の奔流を物理的に「殴り散らし」、レオの大剣が熱波を「切り裂く」。
「ば、馬鹿な!? 生身で戦略魔法を受け止めた!?」
帝国軍の指揮官が絶叫する。 彼らの常識ではあり得ない。魔法防御も展開せず、ただの肉体と闘気だけで魔法を相殺するなど、物理法則への冒涜だ。
「道は開けた! 全軍、突撃ィッ!!」
ヴィンセントが光の壁をこじ開け、その裂け目からレギオンの兵士たちが雪崩れ込む。 彼らはもはや、ただの兵士ではない。 痛みを知らぬゾンビのように、火傷を負っても、矢を受けても止まらず、狂ったように笑いながら帝国兵に襲いかかる。
「ひ、ひぃッ! 来るな! 化け物!」 「魔法が効かない!? こいつら、死なないぞ!」
帝国兵の隊列が乱れる。 恐怖を感じないように調整されたはずの彼らの脳裏に、本能的な「畏怖」が蘇る。 目の前にいるのは、自分たち以上の「怪物」たちだ。
「オラァッ!!」
レオが大剣を一閃させる。 数人の魔導師が、杖ごと胴体を両断されて吹き飛ぶ。 返り血を浴びたレオは、獰猛に笑った。
「軽い! 軽すぎるぜ! ヴィンセントの旦那の背中を見てるだけで、力が無限に湧いてきやがる!」
【第一恩恵:獅子の心】。 ヴィンセントの指揮下にある限り、自身の全能力を倍増させ、致死ダメージすら「気合い」で耐える共鳴能力。
「調子に乗るな、小僧。……首を狙え」
ヴィンセントが冷静に指示を出しながら、目の前の魔導師の顔面を鷲掴みにし、地面に叩きつける。 頭蓋が砕ける音。 彼の拳は、一撃必殺の凶器だ。触れれば死ぬ。その単純な事実が、帝国軍をパニックに陥れる。
「陣形を立て直せ! 前衛、盾を構えろ!」
帝国の指揮官が叫ぶが、遅い。 ヴィンセントという一点の風穴から、レギオンの濁流が堤防を決壊させたかのように流れ込んでいる。 個の武勇が、集団のシステムを食い破った瞬間だった。
「……脆いな」
ヴィンセントは、敵陣の中央で足を止めた。 周囲には、彼の拳によって粉砕された魔導師たちの死体が円を描いて転がっている。 彼は葉巻を深く吸い込み、煙を吐き出した。
「貴様らが頼った『数』は、恐怖が伝染する『媒体』にしかならん。……一人崩れれば、雪崩のように崩壊する」
ヴィンセントの視線が、遥か後方にある帝国の本陣を捉える。 そこには、想定外の事態に狼狽する指揮官たちの姿があった。
「さて。……次は『頭』を潰すとしようか」
軍神が歩き出す。 その一歩ごとに、帝国の敗北が確定していく。 個を捨てた国と、個を極限まで高めた組織。 その勝敗は、開戦の瞬間に既に決していたのかもしれない。
戦場の後方。 シノとヴォルカンもまた、戦車のハッチから身を乗り出し、呆れたようにその光景を見ていた。
「……すっげぇ。あのおっさん、マジで一人で戦況ひっくり返しやがった」 「ガハハ! さすがはヴィンセントじゃ! あの背中は、味方にとっちゃ城壁よりも頼もしいわい!」
レギオンの反撃が始まる。 それは一方的な蹂躙劇の、第二幕の幕開けであった。
お読みいただきありがとうございます!
ヴィンセント、強すぎます(笑)。 素手で戦略魔法を弾き飛ばす「軍神」の貫禄、書いていて楽しかったです。 副官のレオも、ヴィンセントの背中を追って覚醒しましたね。 個を殺す帝国軍に対し、個を極限まで高めたレギオンの反撃開始です!
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次話へつづきます。




