第84話 |魔法使いの墓場《グレイブヤード・オブ・ウィザーズ》
轟音が止んだ後の戦場には、奇妙な静寂が横たわっていた。
嘆きの荒野に立ち込めるのは、鼻を突く硝煙の刺激臭と、焼け焦げた鉄の錆びた臭い。 かつて帝国の誇りであった鉄機兵団は、今や無残な鉄屑の山脈へと変わり果てていた。 原形を留めぬほどに粉砕された魔鋼の装甲。内臓をぶちまけるように露出した歯車と、砕け散った動力魔石。 それらは、古い時代の「力」が、新しい時代の「理」によって蹂躙された証左に他ならなかった。
「……へっ、ざまぁみろってんだ」
黒煙を噴き上げる魔導戦車のハッチから身を乗り出し、十王・第十席【工】シノは、煤けた顔で不敵に笑った。 彼の背後では、二十門の砲塔が未だに赤熱し、陽炎を揺らめかせている。
「見たかよ、ヴォルカンの爺さん! 俺たちの『合成兵器』は無敵だ! 帝国の最新鋭なんて、ただのブリキの玩具じゃねぇか!」
「ガハハ! 違げぇねぇ! わしの打った装甲に傷一つつけられんとは、帝国の鍛冶師も腕が落ちたもんじゃわい!」
隣の車両で、第九席【鍛】ヴォルカンもまた、愛用の戦槌を掲げて勝利の雄叫びを上げる。 共和国軍の陣営からは、ワアァッという歓声が湧き上がった。 圧倒的な勝利。無傷での完勝。 誰もが、この戦争の行方を楽観視し、帝国という巨象が膝を屈したのだと確信していた。
――ただ一人、戦場の後方でその光景を見つめる少年を除いては。
瓦礫の山となった監視塔の上。 風に黒髪をなびかせ、Fランク冒険者の装束を纏ったシンは、冷え切った瞳で地平線の彼方を見据えていた。
「……はしゃぐな、馬鹿共が」
シンの呟きは、誰の耳にも届かない。 彼の深紅の瞳孔は、鉄屑の向こう側に広がる「真の脅威」を捉えていた。
「鉄機兵など、ただの『盾』だ。……物理的な障壁を排除し、こちらの居場所を固定するための、捨て駒に過ぎん」
シンは知っていた。 帝国という国が、いかに効率的で、いかに非人道的で、いかに「命」を軽く扱う狂ったシステムであるかを。 彼らが最強を謳う所以は、鋼鉄の鎧ではない。 その内側に隠された、もっとおぞましく、ドロドロとした「人の命の使い方」にあるのだと。
その予感を裏付けるように、風向きが変わった。 鉄錆の臭いが消え、代わりに漂ってきたのは――甘ったるい香の匂いと、腐った果実のような、濃密な死臭。
「……おい、シノ。あれを見ろ」
歓喜に沸く戦車の砲塔上で、ヴォルカンの笑みが凍りついた。 彼が指差した先。 黒煙が晴れた地平線の向こうから、新たな軍勢が姿を現そうとしていた。
ズッ、ズッ、ズッ、ズッ……。
それは、軍靴の音ではなかった。 数千、数万の衣擦れの音と、素足が荒野を踏みしめる湿った音が重なり合い、巨大な波となって押し寄せてくる。
「……なんだ、ありゃあ」
シノが防風ゴーグルを押し上げ、目を細める。 現れたのは、鉄の軍団ではない。 全員が同じ純白のローブを纏い、同じ深さでフードを被り、同じ歩幅で歩く、人、人、人。
その数、およそ五千。 彼らの顔には、表情がなかった。 恐怖も、闘志も、殺意さえもない。 瞳孔は開ききり、虚空を見つめたまま、ただ命令に従って歩く「肉の人形」。
帝国の切り札。 殲滅魔導師団。
「ま、魔法使い……? 杖も持ってねぇぞ、あいつら」
シノが訝しげに呟く。 通常の魔導師ならば、魔力を増幅させるための杖や宝珠を持つはずだ。だが、彼らの手には何もない。ただ、だらりと下げられた両手の甲に、赤黒く光る不気味な刺青が刻まれているだけだ。
その異様さに、レギオンの兵士たちがざわめき始めた時。 白衣の集団の中央から、豪奢な輿に乗った一人の指揮官が進み出た。
「――整列」
指揮官が軽く指揮棒を振るう。 それだけの動作で、五千の魔導師たちがピタリと足を止めた。 一糸乱れぬ停止。呼吸のタイミングさえも完全に同期している。それは訓練された軍隊というよりも、一つの巨大な生物の細胞のようだった。
「ゴミ掃除の時間だ。……鉄屑ごと焼き払え」
指揮官の冷酷な号令。 次の瞬間、五千人の口が同時に開き、全く同じ言葉を、全く同じリズムで紡ぎ始めた。
『『『我は器なり。満ちよ、溢れよ、崩壊せよ。』』』
ブゥゥゥゥン……!!
大気が共鳴し、空間が歪む。 個々人の魔力は微々たるものだ。だが、五千人が狂いなく同一の術式を詠唱し、波長を完全に重ね合わせた時、それは「魔法」という枠を超えた物理現象へと変貌する。
――集団詠唱・魔力砲撃。
「な……ッ!?」
シノの背筋に悪寒が走った。 本能が理解した。あれは、まずい。 物理的な砲弾ならば、ヴォルカンの装甲で弾ける。爆風ならば、耐えられる。 だが、目の前で膨れ上がっているのは、純粋な「熱量」と「破壊エネルギー」の塊だ。
「総員、防御障壁展開ッ!! 伏せろぉぉぉッ!!」
シノの絶叫と同時だった。 五千人の掌から放たれた光が一点に収束し、水平の「光の壁」となって荒野を薙ぎ払った。
カッッッ!!!!!!
視界が白一色に染まる。 音すらない。 圧倒的なエネルギー密度は、音波さえも焼き尽くし、ただ静寂なる破壊として世界を塗り潰した。
ジュッ、ジュワァァァァァ……。
数秒後。 光が収まった戦場には、焼け爛れた大地の傷跡だけが残されていた。 レギオン自慢の魔導戦車の前衛部隊が、装甲を飴のように溶かされ、蒸気を上げて停止している。 シノが展開した『魔導障壁』のおかげで直撃による消滅は免れたが、その表面は赤熱し、内部の回路は焼き切れ寸前だった。
「あ、熱っ……! なんだよこれ、ふざけんな!」
シノは車内で悲鳴を上げながら、冷却装置のレバーを引いた。 シュウゥゥゥッ! と白煙が上がり、辛うじて戦車の温度を下げる。だが、ヴォルカンが鍛えた魔鋼でさえ、表面がドロドロに溶解し始めていた。
「シノ! 装甲が保たんぞ! 物理的な硬さじゃねぇ、熱量が浸透してきやがる!」
通信機越しに、ヴォルカンの焦った声が響く。 彼らの作る兵器は「物理」には無敵だ。だが、このような純粋魔力による質量攻撃――言うなれば「電子レンジの中に入れられた金属」のような状態には、相性が最悪だった。
「ちくしょう! なら、撃ち返すしかねぇ! 全砲門、斉射用意!」
シノが反撃を命じる。 生き残った戦車隊が砲塔を旋回させ、白衣の集団に狙いを定める。
ドォン! ドォン!
数発の砲弾が放たれ、魔導師団の只中で炸裂した。 肉片が飛び散り、数十人が吹き飛ぶ。 だが――。
「……は?」
シノは双眼鏡越しに見た光景に、言葉を失った。
隣の仲間が爆散し、はらわたをぶちまけて死んでも、周囲の魔導師たちは悲鳴一つ上げなかった。 視線を動かすことすらせず、眉一つ動かさず、ただ機械的に次の詠唱を続けている。 それどころか、吹き飛んだ仲間の死体を無造作に踏みつけ、空いた穴を埋めるように後列の者が前へ進み出てきたのだ。
『『『焦がせ、焼却せよ、灰と還れ。』』』
感情がない。 死への恐怖がない。 彼らは人間ではない。ただの「生体部品」だ。壊れれば交換され、尽きれば補充される、使い捨ての砲台。
「き、気持ち悪ぃ……。なんだよあいつら……!」
生理的な嫌悪感が、シノの胃袋をせり上げさせる。 彼らは敵を殺すことにも、自分が死ぬことにも、何の意味も見出していない。
その時。 戦場の後方、レギオン陣営の司令塔で、一人の男が水晶板を睨みつけていた。 十王・第六席【魔】セレンの副官を務める、元研究者のレインである。
「……解析完了。……馬鹿な、正気か……?」
レインは震える手で眼鏡の位置を直し、隣に立つセレンに報告した。
「セレン様。敵の術式構造が判明しました。……あれは、『魔法』ではありません」
「どういうこと? レイン」
氷の魔女セレンが、不快そうに眉をひそめる。
「彼らは、大気中の魔素を使っていません。……自らの『生命力』を直接、燃料として燃やしています」
「……ッ!?」
「脳のリミッターを薬物と外科手術で強制的に解除し、魂を燃料にして限界以上の出力を叩き出しているのです。……見てください」
レインが拡大した映像を指差す。 詠唱を続ける魔導師たちの目や鼻、耳から、ツー……とどす黒い血が流れ出しているのが見えた。 過剰な魔力負荷により、脳の血管が破裂し、内臓が焼け焦げているのだ。
バタリ。 一人の魔導師が、詠唱の途中で糸が切れたように倒れた。 外傷はない。だが、その体は干からびたミイラのように萎縮し、白煙を上げていた。 魔力切れ(ガス欠)。 いや、寿命切れだ。
「使い捨て……。文字通りの意味で、彼らは『弾丸』なのです」
レインの声が戦慄に震える。 一発撃てば、寿命が数年縮む。連射すれば、その場で死ぬ。 それを承知で――いや、それを認識させる知能すら奪われた状態で、彼らは自らを燃やし続けている。
「……なんて効率の悪い。美学のかけらもないわね」
セレンは吐き捨てるように言ったが、その表情には隠しきれない焦りがあった。 効率は悪い。最悪だ。 だが、その「命」を代償にした火力は、個人の才能や技術でどうこうできるレベルを超えている。 一人の天才が百の努力で生み出す魔法を、帝国は千人の凡人を殺すことで再現しているのだ。
『『『滅せよ、滅せよ、滅せよ!!』』』
第二波が来る。 今度は、先ほど以上の密度。五千人の命を薪にくべた、地獄の業火。
「防げない……! 魔導障壁の出力が追いつかねぇ!」
シノが絶叫する。 戦車の装甲が悲鳴を上げ、溶け落ちる。 ヴォルカンが展開した鋼鉄の盾も、熱量に耐えきれず赤熱し、飴のように曲がっていく。
「退避ッ! 総員退避だ! このままじゃ蒸し焼きだぞ!」
だが、逃げ場はない。 光の壁は、津波のように押し寄せ、レギオンの第一防衛線を飲み込もうとしていた。
その絶望的な光景を、監視塔の上のシンは、無表情に見下ろしていた。
「……魔法使いの墓場、か」
シンは呟く。 帝国のやり方は、シンの思想とは対極にある。 シンは「弱者を強者へと進化」させて使う。 帝国は「強者(素材)をすり潰して」使い捨てる。
「資源の無駄遣いだ。……不愉快だな」
シンが指を動かそうとした、その時だった。
――ズドンッ!!
戦場の真ん中、シノたちの戦車の前に、巨大な影が着地した。 落下衝撃で大地が割れ、舞い上がった土煙が熱波を遮断する。
「……退がっていろ、若造ども」
重厚な、岩山のような声。 煙の中から現れたのは、漆黒の軍服に身を包んだ巨漢。 その背中には、「軍」の一文字が刻まれたマントがはためいている。
十王・第二席【軍】ヴィンセント・グレイ。
「ここからは、『大人』の喧嘩だ」
ヴィンセントは、迫りくる灼熱の奔流を前にしても、一歩も退かなかった。 武器は持たない。 彼はただ、両腕を広げ、五千人の狂気をその身一つで受け止めるように仁王立ちした。
「帝国の自動人形どもよ。……教えてやる」
ヴィンセントの全身から、赤黒い闘気が噴き上がる。 それは魔力ではない。 数多の戦場を生き抜き、死線を潜り抜けた者だけが持つ、魂の重圧。
「数だけで勝てると思うな。……本物の『軍』とは、個の意志が集まってこそ成るものだ!」
――第一恩恵:【覇王の威圧】。
カッッッ!!!!
ヴィンセントの咆哮が、物理的な衝撃波となって炸裂した。 それは炎を押し返し、大気を震わせ、帝国の魔導師たちの「空っぽの脳髄」に、原初的な恐怖を叩き込んだ。
人間大砲の行進が、ピタリと止まる。 感情を奪われたはずの人形たちの瞳に、初めて「動揺」の色が浮かんだ。
「……反撃開始だ」
ヴィンセントが拳を握りしめる。 鉄と魔法の戦争は、ここから総力戦の泥沼へと突入していく。
お読みいただきありがとうございます!
帝国の「人間大砲」こと殲滅魔導師団、恐ろしい火力でした……。 命を燃料にする使い捨ての戦術、まさに帝国の闇ですね。 シノとヴォルカンの兵器も熱量には苦戦していましたが、最後に頼れる漢、ヴィンセントが来てくれました!
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次話へつづきます。




