第83話 魔導機工の悪夢
世界が軋む音がした。 大気が震え、足元の小石が跳ねる。 それは比喩でも詩的表現でもなく、物理的な質量を持った「死」の予兆だった。
アラクネ共和国(旧ゼノリス王国)北西国境、嘆きの荒野。 かつて人と魔物の血で何度も泥濘と化したこの不毛の大地は、今、歴史上類を見ない「鉄の津波」に飲み込まれようとしていた。
空は鉛色に澱み、太陽は厚い雲の向こうに隠れている。 風には微かな硫黄の臭いと、錆びた鉄の臭気が混じっていた。
「……おい、嘘だろ」
国境防衛線の最前線。 急造された塹壕の中で、古参の冒険者ガリウスは、乾ききった唇を戦慄かせた。 彼は歴戦の戦士だ。Bランク相当の実力を持ち、オーガの群れやワイバーンと対峙した経験もある。 だが、その彼をして、眼前の光景は「理解の範疇」を超えていた。
地平線の彼方から、黒い染みのように広がってくる影。 それは生物の軍勢ではなかった。
ズゥゥゥン……。ズゥゥゥン……。
大地の底から響く、重苦しい駆動音。 姿を現したのは、人の形を模した、巨大な「鉄の山脈」だった。
身長三メートル超。 全身を分厚い魔鋼合金の装甲で覆った、無骨な巨人の群れ。 顔面には表情も、眼球すらもなく、ただ一本の縦に入ったスリット(隙間)から、不気味な深紅の魔力光が漏れ出している。 関節の隙間や背面の排気口からは、動力源である魔石が燃焼した際に生じる黒い煤煙が、蒸気機関車のように噴き出していた。
鋼牙帝国が誇る、大陸最強の機甲戦力。 鉄機兵団。
中身は空洞である。 肉体を持たず、魂を持たず、恐怖も痛みも感じない。 古代遺跡から発掘された「巨人の設計図」を模倣し、帝国の錬金術師たちが作り上げた、殺戮のための自動人形。 その数、目視できるだけで一万機以上。 個の武勇など何の意味も持たない、圧倒的な「物量」と「質量」の暴力が、ゆっくりと、しかし確実にこちらへ迫ってくる。
ギシッ、ギシッ、ガシャン。 一万体の金属が擦れ合う音が、波の音のように重なり合い、戦場を圧迫する。
「総員、構えッ!! 魔法部隊、詠唱急げ! 距離が詰まるぞ!」
現場指揮官の、裏返った絶叫が響く。 共和国側の兵士たち――その実態は、旧王国の騎士崩れや、金で雇われた冒険者たちの混成部隊――は、恐怖で強張る指を叱咤し、それぞれの武器を構えた。
「来るぞ……! 歯を食いしばれぇッ!」
ガリウスが叫ぶと同時に、帝国軍の先鋒が射程距離に入った。
「放てェェェッ!!」
号令と共に、数百発の火球と風刃、そして氷槍が虚空を走り、鉄機兵の前衛に吸い込まれる。 着弾。 爆炎が荒野に花開き、轟音が鼓膜を揺らす。 土煙が舞い上がり、視界が遮られた。
「や、やったか……?」
新兵の誰かが、縋るような希望的観測を口にする。 魔法の直撃だ。生身の人間なら消し炭になり、魔物であっても致命傷は免れない。 だが、その淡い期待は、続く一瞬の金属音によって無慈悲に粉砕された。
ギィィィンッ!
炎を切り裂いて現れたのは、無傷の鉄機兵たちだった。 装甲の表面がわずかに煤け、赤熱しているだけ。 風刃に至っては、硬質な装甲に弾かれ、火花を散らしただけに終わっている。
「魔法が……効かない!?」 「馬鹿な! あれは中級魔法だぞ!? オークの皮膚だって切り裂く威力があったはずだ!」
狼狽する魔術師たちの顔色が、土気色に変貌する。 帝国の魔鋼は、魔法抵抗能力を付与された特殊合金だ。 生半可な魔力など、表面を滑り落ちる水滴に等しい。
鉄機兵の一体が、その巨大な右腕を振り上げた。 握られているのは、鉄骨をそのまま削り出したような、刃のない無骨な大剣。 生物的な躊躇いなど微塵もない。 ただ「敵を粉砕する」という命令に従い、数トンの鉄塊が振り下ろされる。
ドゴォォォォン!!
「ぎゃああああッ!?」
最前列にいた重装歩兵の盾が、飴細工のようにひしゃげた。 人間の骨格が耐えられる衝撃ではない。 鎧ごと中身が圧搾され、トマトを握り潰したような湿った音と共に、赤い液体と骨片が四方へ飛び散る。 断末魔すら、鉄の駆動音にかき消された。
鉄機兵は、足元の肉塊になった兵士を気にも留めない。 靴底についた「汚れ」を拭うことすらせず、再びズゥゥンと一歩を踏み出す。 無言。無痛。無慈悲。 仲間が殺された怒りも、死への恐怖も、彼らには存在しない。 ただ進み、ただ殺す。 その「生物としての欠落」こそが、対峙する人間に原初的な恐怖を植え付ける。
「退くな! ここで食い止めなければ、背後の街が、家族がすり潰されるぞ!」
ガリウスが愛用のミスリル剣を抜き、咆哮する。 全身の血管に魔力を循環させ、身体能力を限界まで強化。 彼は一機の鉄機兵の懐へ飛び込んだ。 正面からの打ち合いは自殺行為だ。狙うは関節の隙間、装甲の薄い膝の裏側。
「おおおおおッ!」
達人の域に達した一撃。 剣閃が銀色の軌跡を描き、鉄機兵の膝関節を捉えた――はずだった。
ガギィィッ!
「なっ……!?」
手首が砕けるほどの反動。 剣刃が、装甲の表面を滑っただけだった。 硬すぎる。 関節部ですら、幾重もの鎖帷子と魔法障壁で保護されているのだ。
鉄機兵の「顔」が、ゆっくりとガリウスを見下ろす。 スリットの奥の紅い光が明滅した。 まるで、羽虫を認識したかのように。
ブォンッ!
裏拳のような動作で、巨大な鉄の拳がガリウスを薙ぎ払う。
「ガハッ……!?」
肋骨が全壊する感触。 内臓が破裂し、口から大量の鮮血が噴き出す。 ガリウスの体は枯れ葉のように吹き飛び、後方の岩盤に叩きつけられた。 肺から空気が強制的に排出され、視界が赤黒く明滅する。
(……勝て、ない……)
薄れゆく意識の中で、ガリウスは見た。 一万の鉄塊が、蟻の群れを踏み潰すように、味方の陣地を蹂躙していく様を。 槍で突こうが、油をかけて燃やそうが、彼らは止まらない。 人間という種族が積み上げてきた「戦争」の常識が、根本から否定されている。
これは戦いではない。 ただの「廃棄作業」だ。 人間という旧い種族を、より強固な鋼鉄の種族が駆除しているに過ぎない。
「帝国の技術は……これほど、なのか……」
誰かの絶望的な呟きが漏れる。 戦線は崩壊した。 武器を捨てて逃げ出す者、恐怖のあまり失禁して座り込む者、半狂乱で剣を振り回す者。 そのすべてに対し、鉄機兵たちは平等に死を与えていく。 振り上げられる無数の大剣。 それが振り下ろされれば、この防衛線は完全に消滅する。
誰もが死を悟り、瞼を閉じた――その時。
キィィィィィィィンッ……!!
戦場の喧騒を切り裂く、不快なほどの高周波音が空気を震わせた。
魔法の詠唱ではない。魔獣の咆哮でもない。
それは、高速で回転する何かが空気を引き裂く、「物理法則が悲鳴を上げる」音だった。
ドォォォォォォォンッ!!
先頭にいた鉄機兵の上半身が、突如として消滅した。
否、弾け飛んだのだ。
見えない巨人の拳で殴られたかのように、強固な魔鋼の装甲が粉砕され、内部の魔石が誘爆して火柱を上げる。
「……は?」
ガリウスが、血の泡を吹きながら呆然と目を見開く。
帝国軍の進撃が、ピタリと止まった。
鉄機兵たちの「眼」が、一斉に攻撃が飛来した方向――東の丘陵地帯へと向けられる。
地平線の向こうから、土煙を上げて迫るものがあった。
それは、この世界の住人が誰も見たことのない、異形の「鉄の獣」たちだった。
馬もいない。車輪ですらない。
複数の転輪に巻き付けられた「鉄の帯(履帯)」を回転させ、泥と岩を噛み砕きながら疾走する、巨大な鉄の箱。
その頂部には、長く太い「筒」が、獲物を狙う猛獣の首のように突き出し、砲口からは青白い魔力の残滓が煙となって立ち上っていた。
漆黒の塗装が施された車体。
その側面には、鮮血のような赤色で、毒蜘蛛の紋章が描かれている。
蜘蛛の国旗。
すなわち、魔王シンの私兵団。
「あー、あー。テステス。感度良好」
戦場に似つかわしくない、変声期前の少年の声が、拡声の魔道具を通じて戦場全体に響き渡る。
先頭車両のハッチが開き、防風ゴーグルをかけた小柄な少年が身を乗り出した。
顔や手は機械油と煤で汚れ、作業つなぎのポケットには無数の工具がねじ込まれている。
ボサボサの髪と、睡眠不足を思わせる隈のある瞳。
アラクネ共和国・技術開発局長。
十王序列十位・「工」のシノである。
「こちら技術開発局、実地試験班。ターゲット確認。旧式ゴーレム一万機。……うわぁ、すっごいアナログ。あんな非効率な関節構造で動いてるなんて、逆に感動しちゃうね」
彼は、まるで博物館の展示物を見るような目で、帝国の精鋭部隊を見下ろした。
その隣の車両からは、筋骨隆々としたドワーフの老人が、上半身を露出させた姿で顔を出す。
赤銅色の肌、燃えるような髭。手には巨大な戦槌が握られている。
十王序列九位・「鍛」のヴォルカンだ。
「ガハハハハ! おいシノ! わしの『特製魔導砲』の味はどうじゃ!? あのクソ硬いカメムシどもを、一撃で挽肉にしてやったわい!」
「うん、いい音。……でもヴォルカン爺、筒の先っちょが『熱い』よ」
シノは砲身から立ち上る陽炎に手をかざし、不満げに頬を膨らませた。
彼の手元にあるのは、緻密な計算式が書かれた水晶板ではない。
歪な線で描かれた、「子供の落書き」のような設計図だ。
そこには、『ドカンとするつつ』『すごくなげる』といった、稚拙な文字が踊っている。
「ほら、ここの『グルグルしてる魔法』の回りが悪いんだよ。もっとこう、冷たい風がビョウッて吹く感じで、筒を冷やせない? じゃないと、次のでドロドロに溶けちゃう」
シノに、兵器工学の知識などない。
ましてや古代遺跡の理論など知るよしもない。
彼はただ、脳内に閃いた「最強のイメージ」を、感覚だけで語っているだけだ。
「筒の中で爆発させて、鉄の塊を飛ばせば強いじゃん。で、熱くなるからこっちに『冷える魔法』を繋げて、壊れないようにあっちとこっちを『硬くなる魔法』でくっつければいいんじゃね?」
その思考は、あまりにも短絡的で、あまりにも暴力的。
だが、その適当な思いつきこそが、この世界の常識を破壊する。
「お、お前なぁ……! 簡単に言うな! この規模の爆発を抑え込みながら冷却まで繋げろだと!? 術式が干渉して暴発するわ!」
ヴォルカンが額に青筋を立てて怒鳴る。
だが、その手は止まらない。
シノの無茶苦茶な「閃き」を具現化できるのは、世界で唯一、この鍛冶師だけだからだ。
「チッ……しゃあねぇ! 予備の『氷竜の鱗』を噛ませて熱を逃がす! その代わり、次はもっと派手なのをぶちかませよ!」
「わあ、さすが爺。話が早い」
シノは無邪気に笑うと、再び戦場の彼方を指差した。
「じゃあ次。あそこの右側に逃げてるやつら。……まとめて『グシャッ』てしたい」
「おうよ! 注文通り『グシャッ』といこうじゃねぇか!」
シノが指を鳴らす。
カシャン、カシャン、と小気味よい金属音が連続した。
丘の上に展開した二十両の鉄の箱――魔導戦車の砲塔が、一斉に旋回する。
砲口の周囲に刻まれた幾重もの魔法陣が、青白い光を帯びて回転を始める。
それは、爆裂魔石の衝撃と、ヴォルカンの神業付与を組み合わせたものだ。
シノの「無責任な閃き」と、ヴォルカンの「至高の鍛造」。
二つの天才が手を組み、無理やり融合させた禁断の合成兵器。
常識の理を超越した、破壊の具現。
「鉄機兵団、突撃ぃッ! あの異物を破壊しろ!」
帝国軍の指揮官が叫ぶ。
停止していた鉄機兵たちが再起動し、地響きを立てて戦車隊へと殺到する。
その距離、五百メートル。
鉄機兵の足ならば、数分で到達する距離だ。
だが、シノは欠伸を噛み殺しながら、右手を振り下ろした。
「総員、射撃開始」
ズドンッ!! ズドンッ!! ズドンッ!! ズドンッ!!
天地を揺るがす轟音。
二十門の砲口から放たれたのは、魔法の光弾ではない。
ミスリルと魔鉄の合金で鋳造され、表面に『貫通強化』を限界まで多重付与された、物理的な「鉄塊」だ。
音速を超えて飛翔する質量弾が、直進して帝国の鉄機兵団に襲いかかる。
ドッガァァァァァァァァァンッ!!
直撃を受けた鉄機兵が、紙くずのように千切れ飛ぶ。
魔鋼の鎧? 魔法障壁?
そんなものは、圧倒的な運動エネルギーの前ではティッシュペーパーと同義だ。
砲弾は装甲を貫通して内部で炸裂。
爆風と衝撃波が、周囲の数機をまとめてなぎ倒し、バラバラのパーツへと還元する。
「な、なんだあれは……!? 魔法……なのか!?」
倒れ伏したガリウスは、激痛も忘れてその光景に見入っていた。
魔法使いが杖を振って火を出す、そんな牧歌的な時代は終わったのかもしれない。
剣士が技を競い、名乗りを上げる時代も、過去のものになったのかもしれない。
目の前で繰り広げられているのは、情緒も美学もない。
より効率的に。
より一方的に。
相手を殺すためだけに研ぎ澄まされた、「工業的殺戮」。
「次弾装填完了! 撃ち尽くせぇ! 弾なら売るほどあるぞぉ!」
「んー、もうちょっと右。……あ、当たった。すごーい」
ヴォルカンの怒号と、シノの気の抜けた感想が交差する。
第二射、第三射。
休みなく吐き出される破壊の嵐に、無敵を誇った鉄機兵団が、ゴミのように吹き飛んでいく。
手足をもがれ、頭部を砕かれ、胴体に大穴を開けられて沈黙する鉄の巨人たち。
進撃は完全に停止し、戦場は鉄屑の墓場へと変わり果てていく。
「ヒャハハハハハ! 見ろよあの様! 帝国の『最新鋭』が、ただのブリキのおもちゃみたいだなぁ!」
アラクネ共和国軍の「機械化部隊」が、いよいよ前進を開始した。
履帯が泥を跳ね上げ、鉄機兵の残骸をバリバリと踏み潰して進む。
その圧倒的な光景は、世界が次の段階へ――魔法と閃きが融合した、より残酷で、より高度な戦争の時代へと突入したことを告げる狼煙だった。
戦場を支配するのは、もはや英雄の剣ではない。
歯車と魔石、鉄と煤。
そして、それらを支配する魔王の意思。
魔導機工の悪夢が、今、高らかに産声を上げたのである。
お読みいただきありがとうございます!
「魔法が効かないなら、物理で殴ればいいじゃない」
帝国の誇る最強のゴーレム軍団が、質量と速度の前に一方的に蹂躙される。
少年技師シノと、頑固親父ヴォルカン。
技術班コンビの活躍(という名の虐殺)を楽しんでいただけたなら幸いです。
もし今回の話で、
「戦車TUEEE!でスカッとした!」
「続きが早く読みたい!」
と思っていただけましたら、
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(★5つ頂けると、シノが張り切って次の兵器を開発します!)
明日の更新をお楽しみに!




