第82話 世界が震える日
大陸北西部に広がる荒野。 その岩山を削り取って築かれた巨大な要塞都市、鋼牙帝国アイゼンガルド。
そこは、常に重苦しい鉄の臭いと、魔力が焼ける独特の刺激臭に支配されていた。 空を覆うのは雲ではない。無数に立ち並ぶ工房の魔導炉から吐き出される、魔素の残滓である黒い煤煙だ。
大地を震わせるのは風ではない。 巨大な槌が振り下ろされ、魔鋼が鍛え上げられる、重厚な律動である。
「――無様だな、バルドル」
皇帝の玉座の間。 黒鉄で鋳造された巨大な玉座から、地底の岩盤を削るような低い声が響いた。
その声の主は、全身を漆黒の魔導甲冑で覆った巨魁。 アイゼンガルド帝国皇帝、ゼギオン・ヴァン・アイゼンガルド。
彼は今、手元にある羊皮紙の報告書を握り潰し、その残骸を眼下に平伏する男へと投げつけた。
「は、ハッ……! 申し訳……ございません……ッ!」
冷たい鉄の床に額を擦り付けているのは、先日ネメシスから逃げ帰った将軍、バルドルである。 彼の自慢であった白銀の鎧はアレスの熱波で溶解し、皮膚は焼け爛れ、かつての威厳など見る影もない。
「貴様は余の顔に泥を塗った。……いや、泥ならばまだ洗い流せよう」
皇帝が立ち上がる。 ガシャン、と甲冑が鳴り、玉座の間全体が物理的な重圧で軋んだ。
「貴様は『帝国』という絶対的な恐怖の象徴に、敗北という傷をつけたのだ。……たかが辺境の冒険者ごときに、尻尾を巻いて逃げ帰るとはな」
「ち、違います陛下! 奴らは……奴らは人間ではありません! 魔法も通じぬ怪力、音速を超える剣速……あれは人の皮を被った魔獣です!」
バルドルが涙ながらに弁明する。 あのアレスという男。そして、その配下にいた得体の知れない少年。 彼らの瞳の奥に見た深淵を思い出して、バルドルの身体はガタガタと震えが止まらない。
「魔獣、か」
皇帝は冷ややかに鼻を鳴らした。
「ならば尚更のこと。……獣風情に後れを取るなど、我が国の恥晒しよ」
皇帝が指を弾く。 その合図と共に、玉座の脇に控えていた四つの影が動いた。
音もなく。風も切らず。 ただ「死」の気配だけを濃厚に漂わせて。
「しょ、処刑……ですか……?」
バルドルが顔を上げる。 彼の視界に映ったのは、四本の異なる色の魔剣だった。
『帝国四騎士』。 帝国の武力の頂点。皇帝直属の処刑人にして、単騎で要塞を陥落させると謳われる怪物たち。
「――介錯」
無機質な声と共に、四つの刃が閃いた。
ザンッ。
絶叫を上げる暇もなかった。 バルドルの首が、胴体から離れ、床を転がる。 噴き出した鮮血が、冷たい鉄の床を赤く染め上げていく。
「……掃除しておけ」
皇帝は転がる首を一瞥もしない。 彼は玉座の裏にある巨大なバルコニーへと歩み寄り、眼下に広がる練兵場を見下ろした。
そこには、おぞましい光景が広がっていた。
無数の「鉄の巨人」が、墓標のように静止して並んでいるのだ。
全長五メートルを超える人型の機甲兵。 全身を分厚い魔鋼の装甲で覆い、その手には城壁をも粉砕する巨大な槌や斧が握られている。
それらは機械ではない。 中に人が乗っているわけでもない。 中身は空洞。その内側にびっしりと刻まれた魔法陣と、動力源となる巨大な魔石によって動く、錬金術の悪夢。
『鉄機兵団』。
帝国の錬金術師たちが、太古の遺跡から発掘された「巨人が歩いた痕跡(広い道路やトンネル)」を見て、「古代の神兵はこのように巨大で強靭であったはずだ」と模倣し、作り上げた鋼鉄の魔法生物群である。
「ネメシスと言ったか。……あの街には、我らが求めて止まぬ『未知の技術』と『資源』が眠っている」
皇帝の瞳に、どす黒い欲望の炎が灯る。 報告によれば、レギオンは夜を昼に変える光を作り出し、爆発する粉を使って魔物を屠っているという。 それは、魔導機工の完成を目指す帝国にとって、喉から手が出るほど欲しい「叡智」であった。
「奪うぞ。……技術も、資源も、民も。全てを我が帝国の糧とする」
皇帝が拳を握りしめる。 グシャリ、と手甲が軋む音がした。
「四騎士に告ぐ。……鉄機兵団、全機起動せよ」
重々しい号令が、城内に響き渡る。
「目標は南。……アラクネ共和国を地図から抹消し、更地となった場所に帝国の旗を立てろ」
「「「御意!!」」」
四人の騎士が跪き、その姿を霧散させる。
直後。
ズゥゥゥン……。
練兵場の地下から、地鳴りのような音が響き始めた。 並んでいた数千、数万の鉄の巨人たちの胸部にある魔石が、一斉に赤く輝き始めたのだ。
ギチチチ、ガシャア……。
金属が無理やり動かされる、耳障りな軋み音。 魔力が鋼鉄の血管を駆け巡り、意志なき泥人形たちに「殺戮」という命令だけを焼き付ける。
それは軍隊の行進ではない。 鋼鉄の皮を被った、巨大な呪いの塊が進撃を開始しようとしていた。
◇
大陸の東端。 神秘の霧に包まれた湖畔に、白亜の塔がそびえ立っていた。
【魔導連邦グリモア】。 魔法こそが至高であり、知識こそが力であると信じる魔導師たちの楽園。
その中枢である「賢者の塔」の最上階にて、七人の老若男女が円卓を囲んでいた。 この国を統べる頭脳、「七賢人」である。
だが、今の彼らの表情には、いつもの冷静沈着な知性の光はない。 あるのは、理解不能な現象を目の当たりにした困惑と、それを解き明かしたいという狂おしいほどの渇望だった。
「……解析不能だ」
口火を切ったのは、全身に魔力回路の刺青を刻んだ老魔導師だった。 彼の手元には、スパイが命がけで持ち帰った「黒い粉」――レギオンの幹部シノが使用した「火薬」のサンプルが置かれている。
「魔力反応が微塵もない。……ただの木炭と硫黄、そして硝石の混合物だ。だというのに、火をつければ上級魔法に匹敵する爆発を起こす。……理が分からん」
「物理法則の改変か? それとも、精霊の力を封じ込めているのか?」
若き女魔導師が、爪を噛みながら呟く。 彼女の目の前にある水晶板には、ネメシスの夜景が映し出されていた。 魔法使いの魔力を必要とせず、ただスイッチ一つで都市全体を照らす光のインフラ。 それは、魔導連邦が数百年かけても到達し得なかった「魔力の自動化」の完成形だった。
「あの国には……我々の知らない『叡智』がある」
円卓の議長席に座る、長い白髭を蓄えた賢者が、厳かに告げた。
「レギオン・蜘蛛……。あの組織は、ただの冒険者崩れではない。古代文明の遺産か、あるいは異界の知識を保有している可能性が高い」
「ならば、どうする? 帝国のように軍を差し向けるか?」
「否。……野蛮な暴力では、知識は破壊されるだけだ」
議長は首を横に振った。 彼の瞳の奥で、冷徹な計算式が走る。
「我々は『搦手』を使う。……内部に入り込み、その技術の根幹を盗み出すのだ」
「スパイですか? ですが、あの国の防諜網は堅固だと聞きますが」
「普通のスパイではな。……だが、もし『異界の勇者』ならばどうだ?」
その言葉に、賢人たちが息を呑んだ。
異界の勇者。 それは、連邦の最深部に封印されている禁忌の召喚術式。 異なる次元から、この世界の理とは異なる強大な魂を持つ者を招き寄せる、神への冒涜とも言える儀式である。
「……本気ですか、議長」
「ああ。レギオンが異質な力を持つなら、こちらも異質な力で対抗するまで。……それに、予言にある『世界を救う者』が現れるとしたら、今をおいて他にない」
議長は立ち上がり、窓の外を見つめた。 東の空には、不穏な星々が瞬いている。
「準備を始めよ。……『勇者召喚』の儀を執り行う」
知識欲という名の魔物が、賢者たちの理性を食い破っていた。 彼らは気づいていない。 自分たちが開こうとしている扉の向こうに、救世主などいないことを。 そこにいるのは、ただ利用され、消費されるだけの哀れな生贄たちであることを。
◇
大陸の南東。 一年中、太陽の光が降り注ぐ温暖な土地に、巨大な大聖堂が鎮座していた。
【慈光礼国ルミナリス】。 光の女神ルミナを唯一神として崇める、敬虔にして排他的な宗教国家である。
その大聖堂の奥深く、ステンドグラスから極彩色の光が差し込む礼拝堂にて、一人の男が祈りを捧げていた。 純白の法衣に、黄金の刺繍。頭には教皇の冠を戴く老人。 教皇グレゴリオ三世。
彼が祈りを終えて振り返ると、そこには数千人の信徒と、白銀の鎧を纏った聖騎士団が整列していた。 彼らの瞳には、狂気にも似た信仰の炎が揺らめいている。
「……迷える子羊たちよ」
教皇の声は、朗々と響き渡り、人々の魂を震わせた。
「悲しむべき報せが届いた。……北の地、ゼノリス王国が、悪魔の手に落ちたという」
ざわ……とどよめきが広がる。
「レギオン・蜘蛛。……彼らは自らを救世主と名乗り、偽りの奇跡で民を惑わしている。祈りも捧げず、神に感謝もせず、安楽を与えているという」
「なんと冒涜的な……」
信徒の一人が呟くが、教皇は即座にそれを遮った。
「騙されてはならぬ!!」
雷鳴のような怒号。 教皇の顔が、憤怒に歪む。
「それは『悪魔の誘惑』だ! 苦難なくして救済なし! 祈りなくして幸福なし! ……彼らは、人々に『思考停止』という名の毒を盛り、魂を堕落させようとしているのだ!」
教皇は杖を床に叩きつけた。
彼が恐れているのは、悪魔ではない。 レギオンがもたらした「実利」だ。 祈りや寄付などなくとも、技術とシステムで人を救えるという事実。それが広まれば、教会の権威は失墜し、寄付金は枯渇する。 彼らにとって、アラクネの存在は商売敵であり、絶対に許容できない異端そのものだった。
「女神ルミナは告げられた! 『あの毒蜘蛛を焼き払え』と!」
「「「おおおおおッ!!」」」
信徒たちが熱狂し、拳を突き上げる。
「聖戦だ! 異端者どもに、神の鉄槌を下すのだ!」
「異端審問官を派遣せよ! あの不浄な街を浄化し、迷える民を教会の元へ連れ戻すのだ!」
教皇の号令により、白銀の軍団が動き出す。 その先頭には、感情のない瞳をした異端審問官たちが、処刑道具を手に並んでいた。 彼らが掲げる「正義」の旗の下で、どれほどの血が流れることになるのか。 狂信者たちは、恍惚の表情で行軍を開始した。
◇
そして。 すべての因果が交錯する場所。
地下宮殿、玉座の間。
絶対支配者シンは、虚空に浮かぶ無数の幻影の窓を眺めながら、優雅にグラスを揺らしていた。
窓の中には、地響きを立てて進撃する帝国の鉄機兵団、禁断の儀式を進める連邦の賢者たち、そして熱狂する聖教国の信徒たちの姿が、リアルタイムで映し出されている。
世界中が、ネメシスに敵意を向けている。 四面楚歌。 絶体絶命。 常人ならば絶望に発狂する状況だ。
だが、シンの口元には、抑えきれない愉悦の笑みが浮かんでいた。
「……ククッ。素晴らしい」
シンは喉を鳴らして笑った。 その笑い声は、玉座の間に控える配下たち――三禍や四天たちをも戦慄させるほどに、深く、昏く、そして楽しげだった。
「見ろ、ルシリウス。世界が俺たちを見ているぞ」
「はい、主よ。……有象無象どもが、身の程も知らずに騒ぎ立てておりますね」
ルシリウスが冷ややかな声で応じる。
「不愉快です。今すぐ『因果の断罪』で国ごと消滅させましょうか?」
「よせ。……もったいない」
シンは立ち上がり、両手を広げた。 まるで、世界中の敵意をその身に受け止めるかのように。
「これは『宣伝』だ」
「宣伝、でございますか?」
「ああ。我々レギオンが、真に世界を支配するに足る存在であることを知らしめるための、最高の舞台装置だ」
シンは、窓の中に映る帝国の皇帝、連邦の賢者、教皇の顔を指差した。
「彼らは、自分たちが『プレイヤー』だと思っている。……だが違う。彼らは俺の盤上に並べられた『経験値』であり、『資源』であり、そして『観客』に過ぎない」
帝国の鋼鉄も、連邦の叡智も、教国の信仰も。 すべては、シンの胃袋を満たすためのコース料理。
「十王に伝えろ。……『開店準備』だ」
シンの瞳が、深紅に輝く。
「ジェイドには経済で首を絞めさせろ。ヴィンセントには防衛線の構築を。……そして、アレスたち四天には」
シンは、控えていたアレスたちを見下ろした。 彼らの体からは、先の強制進化によって得た新たな力が、抑えきれずに溢れ出している。
「思う存分、暴れさせてやれ。……『手加減不要』とな」
「「「御意ッ!!!!」」」
アレスが、ミラが、ボルトスが、チェルシーが。 歓喜の咆哮を上げる。 ずっと抑圧されていた破壊衝動が、主の許可を得て解き放たれる瞬間。
「さあ、始めようか」
シンはグラスの中身を飲み干し、不敵に笑った。
「世界よ、震えて眠れ。……蜘蛛の巣からは、誰も逃げられない」
黒い太陽が昇る。 それは、大陸全土を巻き込む大戦の始まりであり、レギオンによる世界征服の、真の幕開けであった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
いよいよ第3章の本番、大陸全土を巻き込む大戦の火蓋が切って落とされました。 ゼノリス王国を「内側」から腐らせて手に入れたシンたちですが、今回は真正面からの「力」による蹂躙戦となりそうです。
鋼鉄の軍団を操る帝国、禁忌に手を染める連邦、狂信の聖教国。 世界中を敵に回してなお「宣伝」と言い放つ魔王様の、容赦ない進撃にご期待ください。
もし「続きが気になる!」「面白かった!」と思っていただけたら、 【ブックマーク登録】と、ページ下にある【★★★★★】(評価)をポチッとしていただけると、執筆のモチベーションが爆上がりします!
次話へ続きます。




