第80話 エピローグ・世界への宣戦布告
城塞都市ネメシスに、新しい風が吹いていた。
王城の尖塔には、長きにわたり掲げられていたゼノリス王家の「双頭の鷲」の紋章旗はもうない。 代わりに翻っているのは、漆黒の地に深紅の糸で描かれた、巨大な「蜘蛛」の紋章旗である。
『アラクネ共和国』。
それが、この国の新しい名前だ。 街を行き交う人々の表情は明るい。重税から解放され、レギオンによる無償の食料配給を受け、かつてないほどの豊かさを享受しているからだ。 市場には活気が溢れ、大通りは整備され、夜には魔石灯が街を真昼のように照らし出す。
一見すれば、そこは地上に現れた理想郷のように見える。 だが、鋭い観察眼を持つ者がいれば、その異様さに気づくだろう。
路地裏から犯罪者の姿が完全に消えていること。 市民たちが、まるで「見えない糸」に操られているかのように、あまりにも規律正しく、レギオンを崇拝していること。 そして、街の至る所に潜む「影」から、常に何者かの視線を感じること。
ここは楽園ではない。 巨大な飼育箱だ。 幸福という名の餌を与えられ、思考を放棄した家畜たちが肥え太る、絶対管理社会。
その頂点に立つのは、新女王セリス・ゼノリス。 彼女は今日もバルコニーに立ち、人形のように美しい笑顔で手を振っている。 その背後で、レギオンの幹部たちが冷ややかな瞳で「資産」を値踏みしていることになど、誰も気づかないまま。
◇
地上の繁栄とは隔絶された、次元の彼岸。 地下宮殿、玉座の間。
始祖・シンは、巨大な大陸地図の前に立っていた。 その手には、黒いインクを含んだ筆が握られている。
「……まずは、一角」
シンは、地図の中央北部に位置する「ゼノリス王国」の領土を、無造作に黒く塗りつぶした。 白い地図の上に広がった黒いシミ。それは、彼が支配する領域が物理的に確定した証だ。
「楽な仕事だったな。人間というのは、恐怖と利益を交互に与えれば、いとも簡単に魂を売り渡す」
シンは筆を置き、グラスのワインを煽った。 傍らには、三禍のルシリウス、夜霧、リリアが控えている。
「シン様。地上の統治は順調です。ジェイドとヴィンセントが、飴と鞭で見事に民衆を調教しております」
ルシリウスが恭しく報告する。 シンは満足げに頷き、視線を地図の「西側」へと移した。
そこには、中央大陸でも最大規模の版図を誇る軍事大国――『鋼牙帝国アイゼンガルド』が広がっている。
「次はここだ」
シンが指差す。 その瞳には、王国を落とした時以上の、獲物を狙う捕食者の光が宿っていた。
「帝国は、魔法と科学を融合させた『魔導機工』を操ると聞く。……前時代の遺物を必死にかき集め、兵器利用している猿真似国家だ」
シンは冷笑する。 彼にとって、科学とはかつて世界を滅ぼした忌むべき記憶であり、同時に喰らい甲斐のある「味」でもある。
「奴らは我々の『技術』を狙ってくるだろう。シノとヴォルカンが作った魔導兵器……あれを見れば、軍事国家が黙っているはずがない」
「迎撃しますか? それとも……」
夜霧が好戦的な笑みを浮かべて問う。 シンは首を横に振った。
「いや。……こちらから行く」
シンは立ち上がり、黒いロングコートを翻した。 その背中から、どす黒い覇気が噴き出し、玉座の間を震わせる。
「王国は『内部』から腐らせて奪った。だが、帝国は違う。 奴らは力を誇示する覇権国家だ。ならば、我々も『力』で応えよう」
正面からの蹂躙。 圧倒的な武力による破壊と征服。 それが、次なるシナリオだ。
「アレスたちに伝えろ。……休暇は終わりだ、と」
シンは地図上の帝国領に、深紅の×印を刻みつけた。
「鉄の国か。硬い殻を噛み砕くのも、悪くない余興だ」
王城での「ごっこ遊び」は終わった。 これより始まるのは、大陸全土を巻き込む本格的な侵略戦争。
シンは虚空を見据え、世界に対する宣戦布告を口にした。
「さて……次は大陸制覇だな」
黒い太陽が、西の空へと移動していく。 レギオン【蜘蛛】の進撃は、まだ始まったばかりである。
お読みいただきありがとうございました! これにて第2章が完結となります。
ギルバート王子の断罪、そして「アラクネ共和国」の誕生。 一国の歴史が終わる瞬間を、シンの視点と共にお楽しみいただけたなら幸いです。
ここまでお付き合いいただき、本当に感謝です。 もし「面白かった!」「3章も読むぞ!」と思っていただけましたら、 ブックマーク登録や、下の【☆☆☆☆☆】評価をポチッと押していただけると、執筆の燃料になります!
それでは、第3章の戦場でお会いしましょう




